2016年10月30日日曜日

今年が書簡集での最後の展示になります

今日、無事に書簡集に搬入してまいりました。
前期「御伽話」、始まりました。

そして。
突然のお知らせですが。
書簡集での展示は、今年が最後になることになりました。

十数年、あっという間だった気がします。
ここでいろんな出会いを得ました。
別れもありました。
笑ったり語り合ったり、ほんとうにいろんな思い出があります。

来年ここにはもういないんだな、と思うと、今は正直、寂しさが先立ちます。

でも、はじまりがあれば、必ず終わりもあるというもの。

今年も、書簡集に常に居ることは、できませんが、
作品を通して、ひとりでも多くのひとたちと出会えるといいなぁと思っています。

なお、しばらく、個展等の予定はありません。

前期、11月26日まで。
後期、11月27日から12月30日まで。
よかったら、作品に会いに行ってやってください。

2016年10月6日木曜日

書簡集で今年も展示します


気づいたら今年ももう10月。月日が経つのはなんて早いんでしょう。
そうして今月末から、今年も書簡集での展示をすることになりました。

前期10月30日~11月26日「御伽話」
後期11月27日~12月30日「風の匂い」

です。

前期と後期、いつものとおり全く異なるそれぞれの展示になります。
書簡集のおいしい珈琲やカレーを食べながら、眺めていただけたら嬉しいです。

今年のDMは、特別に、スタジオカタチの玉川祐治さんが作ってくださいました。
祐治さんとは知り合ってからもう一体何年が経つんでしょう?
私がインターネットを始めて間もない頃からの知り合いです。
写真を通じて、絵の話、写真の話、デザインの話、その他もろもろ、いつも相談に乗ってもらっています。そんな祐治さんが作ってくださったDMなんです。
毎年自分で作っているDMとは全然仕上がりが違います!
細かなフォントの選択、画のトリミング、配置の仕方、あらゆるところに「プロ」としてのお仕事が光っています。DMが届いたら、ぜひ、それらをじーっくり見つめてください。

さぁてここから年末まで、一気に駆け抜けます。
みなさんも、風邪なんて引いている暇はありません!全速力で一緒に駆け抜けませう。

私は常に会場にいるわけではありません。むしろあんまりいません。
なので、私をとっつかまえたいという場合は、ぜひ事前にご連絡ください。

10月末から12月末まで。
どうぞよろしくお願いいたします。

2015年9月20日日曜日

書簡集展示のお知らせ

今年も書簡集での展示の季節になりました。
今年もいつものように展示をやれるということ、とても嬉しく思います。
今年は・・・悩みました。
わたくしごとでいろいろ躓くことが立て続けにあって、こんな状況で展示ができるのかなぁと。
そんな時、ひとりの友が、背中を押してくれました。
感謝、です。

そんなわけで、今年もやります。
「二十代の群像」シリーズから、「Kの旋律」「孤獅唄」、展示します。
「Kの旋律」、前期はカラー、
「孤獅唄」、後期はモノクロ、という構成になります。


展示期間中、私は土日は基本、書簡集に行けません。
平日のみになります。
本当に申し訳なく、ごめんなさい、です。
平日、お時間作れる方いらっしゃいましたら、会場でお会いできると思います。
その時はお声かけてください。

なお、DM、欲しいなーと仰って下さる方いらっしゃいましたら
遠慮なくメッセージください。
10月初めにはお届けできると思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

2015年7月21日火曜日

handmade photo book "SAWORI"

I'm selling a handmade photo book at my website now.
That's the self portrait collection.
I'm hoping to want a lot of people to see that.
photo by SAORI NINOMIYA,
text by RUI HAYASAKA,
English translation by TAKEKO FUJISAWA
edition 30.

Size: 180 mm x 180 mm x 14 mm.
Page 112(Black and white pictures)
book 5500JPY+Postage 1800JPY
そう、どれもこれも、日常の一断面に過ぎない。だけれども、そのどれもが唯一無二の瞬間瞬間であることを、私は強く感じている。これまで見過ごしていたものたちが光を放ってくっきりと輪郭をもって輝いて見えてくるということを、私は今、まざまざと体験している。
そして思うのは。
当たり前なんてものはこの世界にただのひとつもないのだ、と。どんなことも唯一無二の、愛おしい愛おしいものたちなのだ、ということ。
たとえ、過去にどんな被害に遭って穢れていようと、どんなに病が深く私を穿っていようと、私という代物もまた、この世界で唯一無二なのだ、と。
私は日常を愛す。当たり前とされる、でも何一つ当たり前のことなんてない、そんな日常を。
私は、愛す。
Those images are just a preview of my daily life. But I strongly feel that each one of those pictures are an unique moment. 
Those things that I didn't pay attention untill a certain period of my lifetime are highligthed, sharpened and brightened. 
There's nothing that is "normal". None. Everything is unique and lovable. 
Even though I have been soiled by any kind of assault, even if I am drilled by any kind of illness, 
I myself am still unique and irreplacable.
I love my daily life. A daily life that is said to be normal but nothing is normal.
I love it.
-----(from photo book "SAWORI")
This is my self portrait collection. I'd like to report these pictures and texts to you.


2015年7月8日水曜日

グループ展のお知らせ



7月20日から26日、写真集団Funky Makers、11名の有志による写真展示します。
テーマは「宙ニ謳フ」。
これを「ちゅうにうたう(チュウニウタウ)」と読むのか、それとも「そらにうたう(ソラニウタウ)」と読むのか、それとももっと他の音を当てるのか…あなたはどちらだろう。
「宙ニ謳フ」というタイトルのもと、11人の作家が集まった。写真集団FUNKY MAKERS。「宙ニ謳フ」の解釈は作家それぞれに任され、限られたスペースの中でその世界を展開する。作家それぞれの世界をご堪能いただだけたら。そして、この11人だからこそ奏でられる鼓動を感じていただけたら幸いです。

展示が始まるまでの間、facebookイベントページにて定期的に各作家の作品およびステートメントの紹介をしています。
https://www.facebook.com/events/520447421435713/

初日の20日にはオープニングパーティーを催します。この折、声と舞踏とチェロによる即興も予定しています。また、展示していない作品も含め今回の「宙ニ謳フ」というテーマで各作家の作品を動画にて上映します。
お近くにお越しの際はぜひ!お立ち寄りください。

2015年3月15日日曜日

この場所にだけ存在する掟

  朝5時を回る頃、私は家を出た。夏の朝は早い。あっという間に明けてゆく。昨夜遅くぱらついた雨の亡骸が、まだ街のここそこに残っている中を歩いてゆく。目的地はもう決まっている。夜では、今の私には決して行くことのできない場所。そこへ行くために私は下り電車に乗った。
 S町駅を降りてN小路を通り抜けさらに奥へ。一杯飲み屋、定食屋、ラン・パブ、瓦礫のような住家…それらがいっしょくたに存在する場所へと、私は向かう。
 H町駅を横目に過ぎ、わざと表通りを外れて裏へ裏へと足を進ませる。表通りでは、これから始まる一日のために、店開けの準備に忙しい人たちの姿があった。が、一歩ずつ裏へ入っていくほどに、その様相は変化してゆく。
 朝であっても季節は夏。蒸し暑さが肌にぴったりくっついて離れない。でもその気持ち悪さだけじゃない、何か違うもっと違う気配が、私の背中をだんだん覆ってゆくような感じを覚えた。来ちゃいけない場所に来たんじゃないか…?
 頭の上の方をK線鉄道が赤い車体を見せながら走っている。同じH町であっても、表と裏,駅前商店街とその裏側とでは全く違う顔を見せる町。
 まるでほったて長屋だ。高架下にびっしり…続いてゆく、まっすぐに続いている。隣りとの境などまるで定かでない、開けっぱなしにされた玄関口をふと覗けば、夜の商売の後片付けをまだ済ませていないままの散らかったカウンターで、釣り下げられたテレビをぼんやり眺める中年もとうに過ぎた女の背中。その1mも離れていないところにまた次の玄関口、酔いつぶれた客がそのまま寝込んじまったんだろうか、「ほら、もういい加減おきなよ、しょうがないねぇ、まったく。これ一杯おごるからそれ飲んだらもう家に帰るんだよ、ほら!」と、奥を眼で計ってみても2畳半あるかどうかのスペースしかないカウンターに伸びた客を揺り起こすママらしき女の姿。その反対側に、これも同じように2畳、3畳あるかどうか知れないスペースの小屋が数え切れないほどに続いている。
 このどれもに、女が一人ずつ、ぽつねんと佇んでいた。みな、朝の僅かな風を吸い込もうとしているのだろうか、ただ、朝の空気によりかかっているだけなのだろうか、とって付けたような扉を開け放ち、思い思いの格好でぼんやりしている。女達の顔には、まだ昨晩中飾っていたのだろう化粧の名残りが残っていた。特にその眼の周り…ファンデーションはすっかり崩れ落ちても、アイシャドーと口紅は、脂ぎった色合いでもってそれでも残っている。その小屋のすぐ隣りには、もう40年、50年来この土地に住み続けている人たちの朝食の支度の音が。使い古した盥に水を汲んでは玄関口に撒く姿も。…
 私は、だんだん言い知れぬ気持ちに覆われていった。何をと言われても困る。ただ、見てはならないものを私は見ているような気がして…。だから、すれ違う人、目が合っても合わずともすれ違う人にはみんな、「おはようございます」と大きな声で声を掛けながら歩き続けた。けれど、それに応えてくれる人は少ない。目礼だけでも返してくれるならまだしも、私の肩に掛けられたカメラを見つけた途端に扉をバシャンと閉める人のどれほど多いことか…。

 そんななか、何匹もの半野良猫に会った。彼らは知っているのだ。この場所がどういう場所なのか、私などよりもずっとずっと知っているのだ。それを直感した。なぜなら、声を掛けながらそろりそろり近づいてゆく私に、おまえは余所者だろ、という敵愾心を露にした視線を返してくるからだ、しかも一様に。
 途方に暮れた。私はここに来てはいけなかったのか…でも私は今、今この場所を撮りたい、撮らなければならない、なぜだろう、そんな思いがまるで強迫観念のように徐々に私の中で膨らんできた。
 もう、開き直ろう。開き直ってしまえ。向き合ったまま視線を逸らそうともせず余所者は帰れ、という猫の眼から私は離れ、もう一度歩き出した。「おはようございます」「おはようございます」返事なんてどうでもいい、私が彼女らに声を掛けたいから掛けるんだ、返事なんかどうだっていい。私は歩きながら、見かける女達女達みなに声を掛けてまわった。そして気づいた。彼女たちは全員日本人ではないことを。そして気づいたら私は、ふと眼が合った女の幾人かに、声を掛けていた。「おはようございます。あの…私、この街のこと写真に撮りたいんです。撮らせていただけますか?」。無駄だと分かっていた。所詮無駄だと。でも聞かずにはいられなかった。何かしら話し掛けずにはいられなかった。こたえはもちろん想像の通りだ。「ゴメンナサイ、ダメナノ」「ゴメンネ、ダメ」「ダメヨ、ダメヨ、ワタシ、コワイ目、合ウヨ」…。たどたどしい日本語で彼女たちはそれぞれに応えてくれた。私はその度、「ありがとうございました」と深く頭を下げた。頭を上げると必ず目が合う、彼女たちの弱い空ろな微笑は、まるで仮面を剥がされた道化師のようで、私の心を苦しくさせた。だから、めいいっぱい明るい笑顔を返して、私はさっさとその場を立ち去る、それしか私にはもうできることがなかった。

 途中、もうここに先代から住み着いているというおばあちゃんに声を掛けられた。私がちょうど、野良猫にシャッターを切った直後だった。私がシャッターを切り「ありがとね、にゃんこ」と声を掛けてその場を去ろうとすると、「あんた猫がよっぽど好きなんだねぇ」とおばあちゃんが笑った。そして、私は、思い切って尋ねた。
 ここは、撮ってはいけない場所なんでしょうか、私、この場所が好きで、どうしても撮りたくてそう思って来たんだが、と。
 答えは明快だった。笑いながらすぱっと。「そりゃね、ここは明日も知れない生活とセックスと酒と女、これで成り立っている場所だからね。ここにはこの場所の掟ってもんがあんだよ、昔っからね。それを守らせるために四六時中見回っているごろつきが、ほら、あそこにも、あっちにもいるだろ?」。
 そうだった。私が途中何度も気づいた視線たちは、この場所の掟を守り続けるための主たちのものだったのだ。
 うなだれかけた私に、おばあちゃんは続けてこう言った。「でもね、ここに住んでる人たちはね、懐が広いんだよ。これっくらいどうってことないさ。あんたが撮りたいと思ったら頑張るんだよ。みんな根はいい奴ばっかなんだ、これだけは言えるよ」。
 そう言っておばあちゃんは大きな声でまた笑い、私の背中をそっと押してくれた。
 再び道を引き返す。もう、さっきまで開いていた小屋の扉のほとんどは締められていた。所々開け放したままの小屋の中に居る女たちに「おはようございます」と私はさっきよりずっと大きな声で声を掛けて歩いた。返事を返してもらったのは2,3度だけ。目礼のみ。そして、中には細目に開けた扉の隙間から私の姿を見つけ、私がその扉を通り過ぎるとすぐに駆け出してゆき、この場所にだけ存在する掟を守る主たちに駆け寄り耳打ちする女も数人いた。その男達が幾人かで私の様子をかわるがわる見張っているのも、なんだかもうどうでもよくなった。わざと前から歩いて来て私のカメラを睨んだ男に「おはようございます」と言ったら、さっさと帰れというサインなのだろうか、片手を、邪魔なものを払うようなしぐさをしてそのまま通り過ぎていった。
 本当は、猫や長屋のように連なるさまざまな生活の渦巻く外側だけを撮りたかったんじゃなかった。この町で私が見るその姿を真っ向から撮りたかった。そのためにやってきたはずだった。でもこれ以上,執拗にレンズを向けるのは…。それでいいんだろうか。…入り込んではいけない場所があるということを、私に改めて教えてくれた。人の心にこれ以上踏み込んではいけないという一線があるように。
 だんだんとその場所から離れてゆく、私の中で、いろんな思いが浮かんでは消え、消えてはまた浮かんだ。
 あの女達はどこから来、いつまであそこにいるのだろう。多分、次々に顔は変わってゆくのだろう。用なしになればどこへ放り出されるか知れたものじゃない。それでも、彼女たちが夜に咲かせる華に、この街はこの通りは、きっと彩られ、支えられているのかもしれない。
 ほったて小屋のような、もう半ば雨樋も腐った木造小屋に住み続ける住民たちと共に、あてがわれた数畳の小屋に佇む女たち。住民達が住み続けるうちに幾つの女の顔がここで入れ替わり立ち代わり現れては消え、消えてはまた現れるのだろう。でも、女の顔は次々に入れ替わっても、女が夜咲かせる華は咲き続けなければならない。明日もしれない生活とセックスと女と酒…そのどれもが隣り合わせ、背中合わせに混在することで、この街は息づいている…。

 私は、いつのまにかN小路のあたりまで歩いて戻って来ていた。ふと右の方を見やった。O川はとうとうと流れている。その向こう側はF町。これも同じ外国人女たちが夜の華をきらびやかに咲かせる場所だ。けれど。
 何という違いなんだろう。川を挟んでこちらとむこう、向こう側でも夜の華が咲き乱れている。けれど、その華たちは、労働を終えたら、たとえせせこましい部屋であっても帰って眠る部屋を持っている。けれどこちら側は…。
 金を稼ぐために確かにそのために日本にやってきたのかもしれない。が、ひとつの川を挟んでむこうとこちら、何という違い。外国人女性によって成り立っている「性域」でありながら、その待遇の違い。この大きすぎる違いは一体何なんだ。
 私には分からない。分かろうとしても到底分かり得ないのだ…。
 こうして通りを、道を、恐々でもそれでも歩きまわり、いざとなったら警察署なり何なりへと飛び込めば、多少痛い目にあったってどうにかなるような私と、同じ「性域」の向こう側では労働を終えれば帰る場所を持ち、通りも歩いて帰る女たちと、こちら側では、二、三畳あるかないかの小屋から、労働が終わった朝でも、通りにその半身さえも出すことのかなわない彼女らと、…この何という大きな隔たり!!
 もう一度私は川向こうを仰ぎ見、そして振り返った。今、私の目の前に居並ぶ長屋のような小屋の連なり。この場所にだけ存在する掟。そして、通りに陽光を浴びに出ようとさえしない女たちの自由を知らない、羽を持っていても飛び方を知らない鳥のように、あの場所に居る女達の眼差し。忘れないだろう。きっと。
 私が再びこの場所を訪れる時、一体何人の同じ女の顔に出会うことができるのだろう。恐らく、ほとんどが入れ替わっているのだ、そうやって、何人もの女の汗とむせ返るような溜め息の匂いと諦めたとは違う、もっと根っこの方にある「知らない」ということが生み出すこの膿のような淀んだ何かは、私の中から決して消えない。
 また来よう。いや、来る。その時まで、ここが存在していますように。
 「じゃ、また来ます。今日はありがとうございました」。
 私は、深く、深く深く、このH町の一角に頭を下げ、帰途についた。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E7%94%BA より

2004年(平成19年)7月、売春防止法の罰則強化、不法滞在者の取締り強化要望書を中区から国へ提出。2009年(平成21年)の「横浜開港150周年」に向けて街のイメージアップを図るため、2005年(平成16年)1月11日より、「バイバイ作戦」と名づけられた警察による集中的な摘発がはじまった。機動隊の大型車両で突然乗り付けた多数の警察官が地区内へ突入し、風俗嬢らが叫び声を上げる中、大規模摘発が行なわれた。同年4月、県警は近くの町内会館や京急高架下に「歓楽街総合対策現地指揮本部」設置して監視を続けた。この結果同年8月までに全店が閉店した。

1997/11記

2015年2月19日木曜日

あたしの中に




動物は、自分の足を食いちぎってでも生き延びようとするそうだ。怪我を負ってどうしようもなくなった足は、ついているだけ邪魔になる。足がなければ不自由になることは分かっていても、そんなことより、生き延びることを本能が選択するのだろうか。
 そういう話を知り、かつてじいちゃんが生きていた頃、じいちゃんに、動物ってそうなんだって、すごいね、と話したことがあった。そしたらじいちゃんは、まだ尻にアオタンが残っているような子供のあたしにむかって、まっすぐにこう言った。
「動物だけじゃない。人間だってそうだ」
と。
 戦火の真っ只中、頭の上を砲弾が飛び交う。その砲弾を体の何処かに浴びれば肉は吹っ飛び血が噴出す。じいちゃんの戦友の何人もが体に弾を食らった。弾のおかげで片足が吹っ飛んだ奴もいれば、弾が肉の中に食い込んでそれが腐敗し始める奴もいた。吹っ飛ばずに肉の切れ端同士がくっ付いて、下手にくっ付いて残ってしまったが故に腐り始め、高熱に苦しむ奴もいた。そもそも、弾のおかげで木っ端微塵になる奴らがいた。戦場へ行った姿のままでいられる奴の方が少なかった。じいちゃんは淡々とそう言った。
 戦争を経ていないあたしには、到底考えられない光景だった。
「自分のナイフで足に食い込んだ弾を掻き出そうと足の肉を抉る奴もいた。まだ何とかくっ付いている弾を食らった足を、あまりの痛みで切ってくれとうめくように言う奴もいた。運良く掘建て小屋のような病院に辿り着いても、麻酔もなにもなく、命を守るために傷を負った手や足を切り落とさなければならなかった」
 それでも人間は生きるために必死だった。
 じいちゃんは、あたしに、そう言った。
「そんな必要のない世の中におまえは生きることができるかもしれない。そんなことをせずとも生きてゆける世の中になるかもしれない。でも、自分の手足をひきちぎってでも生きることを選ばなければならないときには、迷わず生きることを選べ」
 この世に産まれたからには生きろ。それが為すべき何よりも為すべきことだ。
 じいちゃんがあたしに、教えてくれたことのひとつだ。

 あたしのばあちゃんは、32の歳を数えると同時に癌にとっつかまった。最初は胃が冒され、冒された部分を切り取るために入院し手術した。きれいにとったはずだったが、何処かに残った癌細胞はばあちゃんの健康な細胞を食ってしぶとく生き延び、数年も経たないうちに再びばあちゃんを病院送りにした。今度は胃を半分切った。
 でも、癌は一度食いついた獲物は死んでも離すかといったふうに、ばあちゃんの胃を次々侵食していった。半分の次は残った半分をさらに半分にし、さらには胃を丸ごと奪っていった。
 まるで毎年の恒例行事かのように、ばあちゃんは入院し手術し、そして退院し、と、繰り返した。ばあちゃんの口癖はだから、「あたしは人生ヒトより短いんだから、やりたいことをやるのよ」だった。その口癖を完遂するかの如く、実際周囲が呆れるほどに、彼女は退院すると動き回った。踊りの師匠でもあったばあちゃんは、退院すればさっさと踊りに行き、舞台に立ち、かと思えば友達と旅行に駆け回り、とにもかくにも毎日毎日何処かに出かけた。人生短いんだ、やりたいことはその時にさっさとやらなきゃ。毎日毎日彼女は、死を意識し追い掛けて来る死を背中に感じながら、それに呑み込まれてたまるかと生を突っ走った。生き急ぐという姿があるなら、まさに彼女がそうだった。
 でも、そうやって走って走って走り続ける彼女を、癌はそれでも離さなかった。いくら手術を繰り返そうと一度巣食った癌細胞は、周囲の元気な細胞を次々食い物にし、最期、彼女の全身を見事に癌細胞にし尽くした。
 これが間違いなく最期の入院になる、今度の入院は死ぬことを意味する、どうしようもなくそのことを認識しなければならなくなったとき、周囲が何か言う前にばあちゃん自身がそのことを知っていた。まだ告知ということが今のように為されていなかったその時代、周囲はばあちゃんをなんとか騙そうと必死になった。大丈夫だよ、いつだって元気になって戻ってこれたじゃない、今度だってそうだよ、がんばろうよ、と。でもばあちゃんは知っていた。いや、今度はもうあたしは戻れない、絶対に戻れない、と。それを意識した日からばあちゃんはあたしに言うようになった。「ばあちゃんはもう死ぬからね。死ぬ前にこんなことがしたかった、こんなこともしたかった、でももうできない、いくら頑張ってももう時間がない。だからね、後悔なんてしないようにしなくちゃだめだよ、やれることはやっておくんだよ、生きているうちにやりたいことはやっておくんだよ」。
 そんな彼女が最期の入院の日までうちで過ごした数ヶ月の時間のうち、お風呂の中で泣いた日があった。もう体がぼろぼろになり、肛門の筋肉もすっかりゆるんで、お風呂に入れば汚物が自然と出てきてしまうような状態に陥ったとき、彼女は声を出して泣いた。こんなの見られたくないと言って泣いた。もういやだ、早く逝かせてくれ、と、声をあげておいおい泣いた。お風呂のドアのこっち側で、彼女がお風呂から上がってきたら体を支えるために待機していたあたしのことなど忘れたかのように声を上げて泣いた。あたしは、こうまでして生きなければならないばあちゃんの人生に、初めて涙が出た。悔しかった。悔しくて悔しくてたまらなかった。こんなに一生懸命に生きてるのにどうして、どうしてこんな。こんな思いするくらいなら、ばあちゃんをさっさとあの世に逝かせてやってくれ、と。そう思った。神様がいるなら、これを今見下ろしていながら何もしてくれない神様をあたしは呪った。
 32の歳からこれでもかというほど体を切り刻まれ、それでも生きてきたばあちゃんは、最期、骸骨のような枯木になって死んだ。
 あれはど生きることに一生懸命だった彼女の最期の願いは叶ったんだろうか。あたしには分からない。

 ばあちゃんもじいちゃんも全身癌に食われて死んだ。
 そのばあちゃんとじいちゃんが残してくれたものは、間違いなくあたしの中に在る。
  生きてるか。
  やってるか。
 どうしようもなくなったとき、思い出す。じいちゃんの声を。ばあちゃんの匂いを。
  生きてるか。
  やってるか。
 あたしはどんなふうに答えるんだろう。
  生きてるか。
  やってるか。
 答えはまだまだでない。まだまだ出ない。あたしが死ぬそのときに、あたしが見つける。だからその日まで答えなんか分からない。
 でもね。
 とりあえず今のところ、あたしはやってるよ、生きてるよ。
あの世でしっかり見ててよね、じいちゃん、ばあちゃん。あんたたちの孫は、これでもかってほどこの世にしがみついて生きているから。