2010年2月28日日曜日

港湾地帯

それは埠頭の突端に在った。一体もう何年前から使われなくなったのか、私は知らない。気づいたらそれはそこに在り、窓は割れ、壁にはひびが入り、すっかり煤けて元の白い色などもはや何処にもなかった。
建物の向こう側は海で、海に続くところは木切れが連なっていた。所々木が朽ち堕ちており、行き来するには注意深く足を運ばなければ、海にどぼん、だった。
それでも何故だろう、その建物に背中を預け、木切れに尻をくっつけて座っていると、ひどく落ち着くのだった。何時間でもだから、私はそこで時間を過ごした。もう誰も行き交う人などいない、まさに独りきりの場所と時間だった。
読書したり、歌を歌ったり、詩を書いてみたり。誰に咎められることもなく、私はそこで時間を過ごした。雨が降るときは我慢するが、それ以外は一日一度はその場所を訪れた。
港湾地帯が改築される。噂に疎い私の耳にも、その噂はさすがに届いた。まさか、ここも? そう、ここも。
一歩一歩、港湾地帯は整備され、その地帯は拡大され。この建物のすぐそばまでそれはもう迫っており。
その日私は、まだ飲めない酒を持ってその場所を訪れた。そして、木に海に、どばどばと酒を撒いた。もう私はこの場所に来ることはない。そしてやがてこの場所はこの世から亡くなる。
今までありがとう。そして、さよなら。

あれから十年近く経ち。今港湾地帯はすっかり整備され。美しい曲線を描いて海に面しながら、大勢の人が集っている。もうあんな寂れた風景は何処にもない。
でもあの場所だからこそ在った匂いを、在ったぬくみを、私は今でもありありとこの心で覚えて、いる。