2010年3月2日火曜日

足跡という軌跡

今住む部屋の、玄関を出ると、目の前に小学校がある。娘が通う小学校だ。一学年二クラスしかない、小さな小さな小学校。
小学校の校庭を眺めると、いつも思う。ひとつとして同じ景色はない、と。当たり前のことかもしれないが、そのことを強く思う。
八時十分。締まっていた校門が開き、子供らがわらわらと雪崩れ込む。五分後には閉められる校門。みんな勢い良く校舎に入ってゆく。
授業の様子もここから目を凝らせば見ることができる。窓際で手を上げる子、こっくりこっくり舟を漕いでいる子、みんなそれぞれだ。
休み時間になれば、遊具に群がる子、校庭を走り回る子、みんな思い思いに校庭を走り回っている。
そして午後三時を過ぎると、子供らはそれぞれちりぢりになり。学校はがらんどうになる。
毎日繰り返されるその光景。しかし、ひとつとして同じものは、ない。

娘を待っていた夕暮れ。ふと、校門がもう締められ、子供らのいなくなった校庭を眺める。あまりにもそれはがらんとしており、それはあまりにも寂しげで。
胸がきゅう、と鳴った。

そこには昼間子供らがつけた足跡がくっきりと残っており。それは幾重にも幾重にも重なり合って。砂の上、くっきりと残っており。
けれどもう誰も、いないのだ。そしてまた、この足跡などに目を留めるものも恐らく、誰も、いない。明日になればその足跡は、新しい足跡によって消されてしまう。

多分私が明日またこの同じ時刻、同じ角度でもってシャッターを切っても、同じ風景は残すことはできないだろう。あの日あの場所、あの瞬間。誰もいなくなった校庭に残された、幾つもの足跡。生きている、そのことの、軌跡。