2010年3月21日日曜日

置き去りにされた椅子

奥多摩の、廃墟に向かったのはもういつだったろう。忘れてしまった。私たちはバスに乗り、湖に沿って走り、そこへ向かった。
自殺者が一体どのくらいいるのだろう。バスに乗りながら私たちは、何度も吐き気を覚えた。肩や首に圧し掛かる異常な重さを覚えた。それは目に見えるものではないから、果たしてその正体は分からないが。私たちは、早くここから離れたいと、何度も思った。

でも。
バスを降りて、その廃墟に近付くにつれ、私たちの肩はすっと軽くなっていった。何故だろう、私たちは顔を見合せながら不思議がった。でも。
その場所に着いて、私たちは納得した。空気が清涼なのだ。驚くほどに澄んでいる。静かに穏やかに、それは澄み渡っている。
置き去りにされ、時間の流れ方を忘れたかのように、その場所はそこに在り。佇んでいた。しんしんと。

駅に止まったまま、扉も開いたままのケーブルカー。反対のホームにケーブルカーはなく。代わりに、椅子が在った。
何処からこの椅子はやってきたのだろう。何処かの家庭にありそうな、さりげない椅子だった。シートが汚れていて、脚も錆びてはいるが、まだまだ使えそうな代物だった。一体何処からこの椅子はやってきたのだろう。

細い竹林の中、私たちは耳を澄ました。夏の始まりを風が日差しが私たちに告げていた。目を閉じて、じっとそこに佇んでみた。葉の擦れ合う音が何処までも深く、響いていた。
椅子はそうしている間もやはりそこに在り。もう誰も座ることのない椅子。それでもそれはそこに、在り。