2010年4月7日水曜日

足の裏の標~白い部屋より04

私は裸足が好きだ。自分が裸足であることはもちろん、裸足である人の足を眺めるのが好きだ。
大地を踏みしめて歩いている、というその感覚が、私は好きなのかもしれない。

とてもじゃないが、歩いているというよりも、ふわふわ浮いて、風に煽られて流されてしか生きていないという時期があった。風が吹けばそれだけであっちにふわり、こっちにぶわり、という具合である。あっちこっち吹き飛ばされては怪我をした。
そのたび思った。ちゃんと地に足をつけて歩きたい。
でも、言葉で言うほどそれは、たやすくなかった。自分の心持ひとつで、足元はいかようにも変化した。ずぶずぶと泥に塗れることもあれば、さっき言ったように浮いてばかりのこともあり。歩くというその、ただそれだけのことが、こんなにも難しいのかと、その時知った。
ただ当たり前に生きることが、ただ当たり前に呼吸することが、ただ当たり前に歩くことが、こんなにも難しいのか、と。

そんな足、特に足の裏は、手と同様、多くのことを語ってくれる。使い込まれ角質の厚くなった足もあれば、年月を経ても柔らかい足の裏もある。その人の生き様、歩き方が、そのままそこに現れる。

あれから十年。その間にも紆余曲折があった。私の足は傷ついたり折れたりしながらも、今もこうして体にくっついていてくれている。まだ私が歩き続けることを、赦してくれている。
だから思う。しかと大地を踏みしめて、歩いていかねば、と。この足の裏が泥だらけになっても、それは或る意味勲章かもしれない、と。私の足。そうこれが私の足、なのだから。

今あなたの足は、どんな足をしているんだろう。どんな足の裏をしているんだろう。あなたの足は今日も大地を、踏みしめて歩いていますか。