2010年5月9日日曜日

置き去りの少女

娘と森の中を歩いていたときのことだった。ふっと見やると、そこに井戸があった。いや、井戸じゃない、ブロックで囲われた代物が、あった。
こんな場所に水が沸く場所があるわけは、なかった。そうして何とか足を踏み入れ、確かめてみる。あぁ、やはり。ゴミを燃やす場所なのだと、分かった。

もう使われていないらしい別荘が、少し離れた場所に立っていた。カーテンも締め切られ、庭には雑草が生い茂り。もうここ何年、誰もここを訪れる人はいなかったのだろう。それがありありと分かる様相だった。

娘が尋ねる。ねぇ、誰も住まなくなった家ってどうなるの? そうだねぇ、朽ちていくんだろうなぁ。朽ちていくってどういう意味? うーん、腐って崩れていくっていう意味。家って崩れるの? うん、いずれはね、誰も手入れしなければ、廃墟になるよ。廃墟って? 置き去りにされた場所ってことだよ。

そういえば私には、置き去りにしてきたものが、一体幾つあるだろう。自分が生き延びるために、気づけばいろいろなものを置き去りにしてきた。自分の中のサミシイや、切ない、哀しいを、たくさん、置き去りにしてきた。

しばらく前まで、私の内奥では、小さな子供がずっとすすり泣いていた。まだ三、四歳の、小さな子供。多分その頃から私はずっとさみしくて、哀しくて、泣いていたんだなと思う。でもそれを出したら生きてはいけないから、押し殺して、押し潰して、見ないふりをして、ずっと生きてきた。

でももうそろそろ、それに手をつけてもいいんじゃないか、と思う。自分の中の子供とともに、生き直してもいいんじゃないか。私は私の中の子供を、育て直していいんじゃないか、と。

娘が突然言い出す。ねぇママ、あの中から誰か見てるよ。え?! 誰か見てる。じっとこっち見てる。私は目を凝らすのだが、彼女に見えているものが、見えない。
ねぇママ、女の子、じっと見てるよ。
私は何だか、それが自分の中の子供の姿のように思えた。そうだ、待っている。手を差し伸べられることを待っている。私はもう、自分の内奥に目をそむけることなく、受け止めて、行く頃合だ。
私は娘に微笑みかける。そうか、あなたには見えるんだね。ママにはもう見えないけれども。だってママ、いるんだもん。うん、そっか、そしたらまた来よう、また会いに来よう、きっとひとりで寂しかったから、ここに出てきたんだよ。そっか。じゃぁね、バイバイ! 娘が元気よく手を振る。だから私も合わせて手を振ってみる。

大丈夫、また来るよ。そう言って。