2010年5月24日月曜日

光の中で

私はいつでも自分に自信がなくて、そのくせ人前で虚勢を張ってみせていた。そんな私には、光など決して、似合わないものだと、私は思っていた。
何処までも何処までも、陰の中蠢く存在なのだと、そう思っていた。

写真をやり始めて、光と影の存在を、余計に意識するようになった。光と影とが織りなすその世界に、魅せられていった。そしてなおさらに、光は遠い存在だと、思うようになった。

光の世界は、私にとって、本当にかけ離れたものだった。決して融合できない、そういう代物だった。私が存在してはならない、そんな世界の代物だった。だから、私はどこまでも、陰に融合しようとしていた。

でも。
そうじゃなかった。そうじゃぁなかった。
光と影は、一対の代物であって。決してどちらかだけで存在するものでは、なかった。
そのことを、思い出したのは、娘をもってからだと思う。

光をまとった命が、そこに在った。どこまでも神々しい、光に満ちた存在だった。だから、陰の私が触れたら、それを穢してしまうのではないかと、私はそれを畏れた。そんなこと、とんでもないことだった。だから私は、娘がいとしくて、いとしくて、同時に、怖かった。
娘と素で向かい合うより、だから、カメラを挟んで向かい合う方が、私には素直になれた。
でも。

あぁそうか、光と陰とは一対だったのだと思い出したとき、肩の荷がひとつ、下りた。私は別に彼女を穢すことなく、ただここに在ればいいだけだった、と。
そのことを、思い出した。

思い出したら、光の中にひょっこり、出てみるのもいいかもしれない、と思えるようになった。私の中の光を、否定せず、受け取ってもいいのだ、と、思えるようになった。日の光を浴びることが、罪じゃぁなくなった。

今娘は、白樺林の、光溢れる林の中、どてんと横たわる。目を閉じて彼女は歌っており。大きな古時計の歌が、高らかに風に乗って流れてゆく。
空は高く高く高く澄み渡り。今雲雀が一羽、空を渡ってゆく。