2010年5月25日火曜日

夏の断面

信州のとある山の中に、父の山小屋がある。私たちは子供の頃、夏休みや冬休みになると、必ずそこへ連れて行かれた。
友達と遊びたいのに、学校の行事に出たいのに。そう思っても、口には出せなかった。問答無用で連れて行かれるのである。反論なんて、もってのほかである。
その山小屋で、午前中は勉強、午後は家の手伝いをする毎日を過ごした。そして時折、夏は山登り、冬はスキーの特訓を受けた。
だからその山小屋は、私にとって、苦痛の塊だった。

今、夏になると、父母が私の娘を連れてその山小屋へ出掛ける。そこでどうも、私がされたのと似通ったことを、娘も為されているらしい。ただし、午後は手伝いの時間ではなく、遊びの時間に変わった。
そのせいかもしれないが、不思議なことに、娘は何も、苦痛めいたことを言わない。むしろ、勉強さえ終われば好きにしていい、というその午後の時間を楽しみにしているところがある。

或る年、私も数日を、その山小屋で一緒に過ごした。夏といっても、そこは山の上。朝夕は長袖でも肌寒いくらいに冷え込む。でも、或る意味、汗をかかないで快適に過ごせる、ともいえるのかもしれないが。
一緒に過ごした数日の一日を、娘に、撮影につきあってもらった。

ねぇママ、なんでママは写真を撮るの? ママはなんで写真を焼くの? どうしてそれがやりたいの? もう質問ぜめである。
うまく伝わるかどうか分からないけれど、ママは写真を撮ってしか、生き延びることができない時期があったのよ。どういう意味? たとえばね、自分の体全部が、自分のものじゃないみたいに思えてね、それを確かめるために写真を撮ったりとかね。んー? たとえば街を歩く人全部が同じ顔、のっぺらぼうに見えてね、堪えられなくなって、だからカメラを構えて歩いたりね、そういう時間があったのよ。んーーー。ママにとっては、写真は、なくてはならない、相棒みたいなものなの。んーーー、よくわかんない!
そんなことを話しながら、カメラのこっちと向こう、二人、向き合っていた。

それは畑の真ん中に置かれており。山のように詰まれたブロック。娘は早速興味津々でそこによじ登る。
ママ、蟻の行列だよ! やだー、ママ、蟻、苦手なの! えー、ここにいっぱいいるよ! 噛まれないように注意しなさいよ。うん。大丈夫ー!
蟻の行列に夢中になって見入っている娘、私はシャッターを切った。
夏の日差しがとても眩しい、そんな時間だった。