2010年9月23日木曜日

砂紋

その場所を訪れて、何が落ち着くといって、それは美しい砂紋の姿だ。一体誰がこんな紋様を描くことができるのか。風と砂とが描き出していると分かっていても、ついそのことを尋ねたくなるほど、それはいつも美しい。

砂紋が一番美しく見えるだろう丘の端に座り込み、ただじっと、砂紋を見つめて過ごす時間。見つめていれば見つめているほど、それは徐々に徐々に変化し、表情を変えてゆく。決してひとところに留まることは、ない。

私は砂紋を見つめていると、いつも、人の人生を思い浮かべる。
人の生き様をもし模様にしたら、多分こんな模様になるんだろう、と、そう思う。今という、現在というその一瞬を境に、過去と未来とが在って、でもそれは、ほんのちょっとのきっかけでいかようにも変化し得るもので。
そう、決してひとところに留まっていない。同じ道を歩いていたとしても決してその道の凹凸は同じではない。そんな様。

樹の年輪にも似ている、と思う。
たとえば同じ土の上に落ちた種であっても、ほんのちょっとの陽の当たり具合、風の流れ具合で全く育ち方は異なってくる。そしてそれが刻む年輪も、これもまた大きく、異なってくる。決して同じものは、存在し得ない。

私たちはよく、自分と他人とを比べてしまう。私なんてよく、他者のありようを妬ましく思って自己嫌悪に陥る。そんなものだ。
でも。
本当は比べようのない人生であることも、知っている。

そう、比べられないのが人の生き様だ。ありようだ。
たとえ同じ言語を使っていようと、似通った環境に育とうと、人はそれぞれ違う。同じ事故を経験したとしても、その事故から得るもの失うものは、その人それぞれで、違ってくる。受け止め方は、本当に、人それぞれ、だ。

だから美しい。
唯一無二のものだからこそ、美しい。
この砂紋も、人の生き様も、何もかも。唯一無二だからこそ、美しく、いとおしい。
あなたはそう、他の誰でもない、たったひとりの、あなた、で、
私もそう、他の誰でもない、たったひとりの、わたし、なのだ。