2010年10月23日土曜日

ただ、空

それはH県からAちゃんが、突然、私の写真を撮ってください、とやってきた時のことだった。あまりに突然の彼女の頼みに、私は唖然とし、呆然とし、一体何故よりによって私に?と思った。でも、断る理由は、何処にもなかった。

Aちゃんと撮り始めたのは午前中早い時間。そして気づくと、太陽は真上に上っており。その頃まだ空き地の多かった埋立地。陽光を遮るものは殆どなく、私たちは燦々と降り注ぐ陽光に、薄く汗をかくほどだった。まだ寒い、冬の終わり。

見上げると、空にはこれでもかというほど激しく怒った雲が浮かんでおり。その勢いはまるで、今朝やってきたAちゃんの、最初に私に向かってきたときの勢いを現わしているかのようで。私はしばし、その空と雲とを見上げた。

すごいね。
うん、すごいですね。
激しくて、でも、きれいだね。
はい、眩しくて、目を開けてるのが大変なくらい。

さっき勢いよく走ったばかりのAちゃんは、肩で息をしながら、そんなふうに応えた。そして二人並んで、空を見上げていた。

どんな状況の中でも、足掻いていたいよね。
あぁ、それはいえます。このままではいたくない。だからここに来ました。
そっか。そうだよね。

彼女は重い荷物を背負っていた。心に重い重い荷物を。それでも生きたいから、何とかしたいから、思い余って彼女はここに飛んできた。

今空は、雲は、そんな私たちを見下ろしながら、まるでこう言っているかのようだった。
足掻けよ、思い切り足掻けよ、そうして何処までも生き延びていけよ。
そう、何処までも。死が自ずとやってくる、その時、まで。

2010年10月22日金曜日

足の裏

その時、私は彼女に、何も言わなかった。彼女が動くまま、動きたいと思えるままに、放っておいた。
裸足で駆け回っていた彼女が、突如、ぽてっと土の上に倒れた。倒れたというか、彼女自ら、倒れ込んだ。

それはまるで、土の感触を楽しんでいるかのようで。私はしばらく、そうしている彼女の様子を見つめていた。
そして背後に回って。
気づいた。
彼女の足の裏。疲れ果てた足の裏。

手も人の年輪を語るが、足の裏というのも、実によく、人の歩いてきた道筋を語ってくれる代物だと私は思っている。まさにその足が歩いてきたのだもの、語ることは尽きないだろう。
私はファインダー越し、彼女の足の裏をじっと見つめた。私の胸の中、切なさがふつふつと沸いてきた。悲しさがぷつぷつと音を立てて沸いてきた。でも。
何も言わず、その代わりに、シャッターを切った。

彼女は一体これから何処へ行こうとしているのだろう。

彼女は撮影中、何度も涙を流した。私はその涙のワケを、一度も訊かなかった。だから、本当の意味を私は知らない。
ただ、あの時彼女は間違いなく、自分がこうして生きているということを、実感していたはずだ。死にたい死にたいと夜毎言いながら、それでも彼女は同時に、生きたいとも叫んでいた。でも、どうやって生きていけばいいのか分からなくて、だから、足掻いていた。
彼女が私の家を出て行ってから、どうしているのか、私は知らない。
何処かで自分の足で、しかと立っていてくれることを、祈ってやまない。
そしてできることなら、カメラを持って、肩を怒らせて、街を闊歩していることを。
ただ、祈る。

2010年10月21日木曜日

彼女の手

しばらくの間、私の家に身を寄せていた子がいた。もう数年前のことになる。死ぬことしか考えられなくなった彼女は、うちに来てからも、しばらく途方に暮れた顔をしていた。それでも娘と私と彼女と三人でご飯を囲めば、ひとりで食べるよりずっと楽しい。痩せ細っていた彼女の頬は、少しずつ少しずつ、膨らみを取り戻していった。

彼女はもともと写真撮りだった。何処へ行くにもカメラを持って、写真を撮っていた。彼女の撮る写真は、私には憧れだった。何がどう、というわけではない、でも、暗い画面から立ち上る目には見えない煙のようなものがあって、私はその得体の知れないものに惹かれていた。もともと彼女とは、そういう縁で知り合ったようなものだった。

あちこちを彷徨い歩いて、あちこちに縋りついてはみたけれど、どれも駄目だった。彼女を支えるには力足りなくて、離れていった。そうしているうちに、彼女は迷子になった。自分の足で立てなくなるほど弱り、そうしてうちに来た。

私が死んだら私のカメラ、貰ってね。彼女は酒を呑むとよくそう私に言った。恐らく誰にでもそう言っていたのだろうと思う。そのたび私は断った。あなたのカメラはあなたのものであって、私のものじゃない。あなたが使うべきもので、私が使うべきものじゃない。断る、と。
それでも彼女は絡んで、貰ってよねぇ、と言いながら、酒をかっくらうのだった。

そんな彼女と、一度だけ、撮影に行った。
早朝の土の上を、私たちは裸足で走った。追いかけ、追いかけられ、そうやって写真を撮った。これはその時の、彼女の、手、だ。
痩せ細った痕跡が、細い皺となって、彼女の手に残っていた。心が疲れ果てていることが、手にまでありありと現れていた。それでも。

あの撮影の最中。彼女は生きていた。生き生きと、それは生き生きと、生きていたんだ。

2010年10月20日水曜日

窓際の椅子

それは車掌室だったのだろうか、それとも待合室のひとつだったのだろうか。机がまだ残っているから、多分何かの部屋だったんだとは思う。
その部屋の窓際に、椅子がぽつり、ひとつ置きざりになっていた。

窓は開け放され、涼やかな風がするすると流れ込んでくる。その風に身を任せるかのように、椅子は心地よさそうに佇んでいる。
もう何年も何年も、そうやって置き去りになっているはずなのに、まるで今さっきまで誰かが座って、窓の外を眺めていたかのような、そんな気配。

私はふと、外にコデマリが咲いていたのを思い出し、それを五本ばかり手折ってきた。そして、椅子に置いてみた。
あぁ、やっぱり。誰かがここにいたんだ。
その誰かは、生身の人間じゃぁない。そんなことはもちろん私も分かっている。

この部屋が使われていた頃、きっとここは生気に満ち満ちていたのだろう。木製の机は艶が出るほど使い込まれており。確かにここは廃墟で、多少荒れてはいるけれど、それでも、ここはまだまだ、とくん、とくん、と息づいていた。

ねぇ、ここがまだ使われていた頃、どんなんだったんだろうね。
それよりさ、この切り株は、何でこんなところに置いてあるんだろう。
分からない、なんでだろう。
椅子が寂しかったのかな、呼んだのかな。
そうだったら、なんか、楽しいね。

コンクリート丸出しの壁、受付だったのだろう窓のガラスは細かく割れ、机の上にその破片が散らばっている。それでも。
それでも、この部屋には風が流れ、そうして椅子と、この切り株とが、共に息づいていた。

私たちは、彼らの邪魔をしないよう、そっとその場所を、離れた。

それから一年もしないうちに、再びその場所を訪れたのだが。悲しいことに、廃墟はもう息づいてはいなかった。心無い人たちにぼろぼろにされ、あちこちが無残に崩れ、それは自然に崩れたのではなく、明らかに人の手によって崩されており。
私たちは、一枚の写真を撮ることもなく、その場所を後にした。
かなしいね、と、ただ一言、言い交わして。

2010年10月19日火曜日

隅っこの気配

そこは、気配の溢れる場所だった。
Mちゃんと延々と電車に乗り、バスに乗り、ようやく辿り着いたその場所。もはや廃墟と化しているその場所。それなのに、すうっと風が流れ、心地よく呼吸のできる場所。

なんだか精霊が住んでいそうな場所だね。
うん。
廃墟なのに何もかもが透き通ってる。
まだまだこの場所が、静かに息づいてるって証拠だね。
うん。

どちらともなくその場所の中を徘徊し、目が合えばシャッターを切り、そうして時間を過ごした。その間も、風はすぅっすぅっと流れ、決して止むことはなかった。
ケーブルカーを動かすための大きな車輪、小さな車輪が入り組んで佇んでいる。そして、もう誰のことも運ぶことのなくなった車両が一両、止まっている。
蝶がひらひらと、その中を漂っている。

崩れ始めた壁も、まるで息づいているかのように透き通っていた。その隅っこ。誰かが今も佇んでいるかのような気配がありありと。

ねぇ、誰かいるよね、あそこ。
うん、いるみたい。
でも、嫌な感じじゃないね。
うん、涼やかな感じ。

私たちは、二人でそおっとその隅っこに近づいた。ふわり、風の揺れる気配がして。でもそれは一瞬で消えた。

やっぱり、誰かいたのかな。
うん、何かいたみたい。
でも、別に私たちのこと、拒絶してないね。
かくれんぼしてるみたいだね。
うん。

その時、さぁっと陽光が窓ガラスからその隅っこに注ぎ込み。
あたりはふわぁっと明るくなった。

隅っこ。それはただの隅っこかもしれない。でも、私たちにはその時、風の子らの遊ぶ、小さな小さな空間のように思えた。

2010年10月18日月曜日

足痕

その日、その浜辺には私と娘の他に誰もいなくて。
私たちは思う存分、浜辺で遊んだ。

ふと振り返ると、自分がついさっき歩いてきたばかりの足跡が、一列に並んで残っていた。こんなにきれいに足跡だけ残るのも珍しい。私はしばし、呆けてその足跡を眺めていた。足跡、いや、違う、足痕だ。これは。

呆けている私に気づいて、娘が私の後ろにやってくる。
ママ、すごい、足跡きれいに残ってる。
そうだね、ママの足痕だけが残ってるね。
これ、きっと、明日の朝まで残ってるよ。
そうかな、ママは、消えちゃうと思うけど。
いや、消えない。ママの足跡だもん、消えない!

私の脳裏には、一瞬にして、これまでの全てが走馬灯のように渦巻いた。
父や母からの精神的虐待、居場所のなさ、事件に遭ってからの途方もない闇の道。そして、この子を産んでからの、がむしゃらな道。
すべて、私だった。

この足痕のあちこちで、いろんな人たちと交叉してきたのだな、と、今改めて思う。
そうして離れていった人、もう二度と会うことのない人、そういった人々もいる。
同時に、つかず離れず、付き合い続けている仲間たちも、いる。

あぁそうか、私を引き受けるということは、私はこの足痕すべてを受け容れるってことなんだな、と、漠然と思った。
できるんだろうか、そんなこと。
まだ、私にはとうていそれはできそうにない。
でも。

死ぬ前に、それができたら。
それができたら、私は、きれいさっぱり死ねるな、とも思う。

2010年10月17日日曜日

ガーベラと、

Mちゃんの部屋で、写真を撮っていたときのことだ。
別にヌードを撮っていたわけではないのだが、最初から彼女はキャミソール姿で、女の私から見ても艶かしい肢体を見せてくれていた。ふと、彼女の足を後ろから撮ろうとし、思いついた。ここにガーベラを置いたらどうだろう。

なんでこう、女性の肢体と花というのは似合うのか。
いつも私は不思議になる。ここまで似合う、しっくりくるものも、そうそうないと思う。そしてまた、女性によって、似合う花の質が微妙に異なる。やわらかい花が似合う人もいれば、凛とした花が似合う人もいたり。でも、女性全般、花が似合う。

その夜は、何となく気分で、私たちはガーベラをたくさん買い込んで部屋に入った。
暗い室内灯のみでの撮影で、私たちはいつのまにか夢中になっており、私が足場にちょうどいいと登った便器の蓋にひびが入るという事態が生じたものの、それもさておいて、撮影は続いた。
夜明け前、私たちはすっかりくたくたになって、床につっぷしたのを覚えている。

Mちゃんのやわらかい足の曲線は、ぴんとしたガーベラと実によく溶け合って。
まるで、最初からこの花はここにあったかのようだった。
まるでMちゃんの足を隠れ処にして、咲いている花のようだった。

私たちは、散らかした花たちを撮影後集めて、土に埋めた。
ありがとうね、ありがとうね、と声を掛けながら。
また何処かで会おうね、なんて言いながら。

今頃、あの土の下、ガーベラたちはどうしているだろう。

2010年10月16日土曜日

その日、夜明けと共に私たちは動き出した。走り、追いかけ、追いかけられ、朝の冷気など何処へやら、私たちの体はフル回転していた。
そしてどちらともなく、しゃがみこんだ、その時、朝陽がすっと昇った。
あぁ、なんてまっさらな陽光なんだろう。そう思って、隣の彼女を見た時。
彼女は、泣いていた。

ぽろぽろ、と、涙を零し、泣いていた。
私は彼女の背中に手を置きかけて、直前で止めた。手を置く代わりに、じっと、待った。
声もなく、ただぽろぽろと涙を零す彼女を、
私は美しいと思った。
だから、シャッターを切った。

それはちょうど彼女の、迷いの時期だったんだろう。
私が死んだら、私のカメラのひとつを貰ってね、なんてことを、酒を飲んでは繰り返し言っていた。酒も、飲むというより飲まれるという具合で、最後はぐでんぐでんになって、床に倒れるのだった。私はそんな彼女に、誰がカメラなんて受け取るもんか、あんたのカメラでしょ、あんたが撮らなきゃしょうがないでしょ、と、言い返した。
その頃にはもう、彼女はぐーかー寝息を立てているのが常だった。

冬の早朝。
ちょっとじっとしていると、手足は凍えてきた。でも彼女は、ぽろぽろと涙を零し、泣いていた。私はそんな彼女を、じっと見つめていた。

あれから何年が経つのだろう。
彼女は、迷いの時期から抜け出ただろうか。もうちゃんと自分の足で歩いているだろうか。私はその後の彼女のことを知らない。
ただできるなら、彼女が自らの足で立ち上がり、歩き出し、しかとこの地をその足で踏みしめていますよう、祈るように思う。

2010年10月15日金曜日

自由

一時、我が家に身を寄せていた子がいた。
彼女にはその頃、「居場所」がなくて、あちこちを彷徨っていた。

どこに行けば自分は自由になれるのか。この籠の外に出て自由にはばたけるのか。
彼女は必死にそれを探していた。でも、見つからなくて。

籠の外に出れば、自分は自由になれるはず、と、最初思っていた。
でも、いざ籠の外に出てみても、そこからどうやって羽を動かしたらいいのかもうすっかり忘れていて。はばたくことなど到底できなくて。
途方に暮れていた。

屋上に上がってみようか。
私が彼女に声を掛けた。私のマンションの屋上は、出入りが自由にできた。彼女は嬉々として私の後について屋上に上がってきた。
屋上には、洗濯物が干せる場所が、金網で囲って、大きな籠を作っているような感じで置いてあった。彼女はしばらく不思議そうにその巨大な籠を見つめていた。

しばらくすると、彼女は、その籠と屋上の塀との間にしゃがみこんでいた。
じっと向こう側を見ていた。塀の向こう側を。そこには遠く霞んで埋立地の高層ビル群が建ち並んでいた。
私、何処に行ったらいいのかな。私の場所ってどこにあるんだろう。

私には、応えられなかった。
それは、自分で見つけるしかない、いや、自分で作るしか、ないんだよ。
そう言うことは簡単だったが、言うことは、できなかった。

だから心の中で言った。足掻くといい、思いっきり足掻いて足掻いて足掻いて、そうして、自分の居場所とは自分で作り出すしかないのだと気づいて、そうしてそこから自分の居場所を作って生み出していけばいい。
今はそう、ジャンプ台の上、しゃがみこんで、じっと力を溜めている、そういう時間なのかもしれないから。

自由は、そう、与えられるものじゃなく、自ら掴み取るものだと、そう思うから。

2010年10月13日水曜日

私はこの華の名を忘れてしまった。花屋で確かに訊いたのだが、家に帰る頃にはすっかり失念してしまった。
でも。
私はこの華に、一目惚れしたのだ。可憐な花たちがこぞって並ぶ花屋の中、何故かひとりだけ厳つい装いで、奥に隠れているこの華に。

家に帰り、水切りをして、大きめの花瓶に生けて、私はゆっくりその華を眺めた。何という存在感なんだろう。ものいわぬその姿に、私は半ば圧倒されていた。
花が元来持っているだろう可愛さ、可憐さなど何処にもない。微塵もない。それでいて、「私が華だ」と言わんばかりの咲きぶり。
久しぶりに、スターを見つけた、そんな気がした。

二日ほど花瓶に生けていただろうか。
ふと見ると、内側の細かい花びらが、少しずつ少しずつ外を向き始めている。なるほど、こうやってさらにこの華は咲いていくのか。私は納得する。
娘がやってきて、花にそっと触れながら、言う。
この華って何処の国の花? 何処から来たの?
分からない。ママ、知らないんだ。
きっと遠い、暑い国から来たんだね。
そうかな、うん、そうだね、きっと。

カメラを構えて、気づいた。この華は容赦なくこちらに向かってくる、そういう勢いがある。存在感がある。
つまり、正面切って捉えるしか、術がない。
娘に茎の根元を支えてもらい、私は彼女と向かい合った。
じわじわと迫ってくる彼女の存在感を感じながら、私はシャッターを切った。
焼いて、思った。私が負けたな、と。でも、気持ちのいい負けだ。

あの華はどんな季節、どんな花屋になら置いてあるのだろう。あれからなかなか会えないでいる。今度会ったときは。さて、どうしよう。

2010年10月12日火曜日

走る

ちょうど工事中で、垂れ幕が張り巡らされている地があった。これからどんな建物ができるんだろうね。そう言いながら、私たちはそれを眺めていた。

ふと思いついて、彼女に声を掛けてみる。
走ってみようか。
声を掛けた途端、彼女は走り出した。一気に走り出し。あっという間に先の方へ消えていった。一瞬の出来事だった。

被害者に対して、よく、「いつまでおまえはそのことを引きずっているんだ」とか「いつまで被害者ぶっているんだ」と言葉を振り回す人がいる。
だが、私は言いたい。
たとえば被害者当人がその傷を受け入れ、乗り越えたとしても、被害者が被害者であったことに変わりはなく。その事実は消えないのだ。
そしてまた、そのことを振り切りたい、もう自由に生きたいと誰よりも誰よりも、そう、他の誰よりも願っているのは、被害者当人なのだ。
そのことを、忘れて欲しくない。

五年、十年、十五年、二十年。それだけ時間が経てば、被害から立ち直るのが当たり前だろう、と人は考えるかもしれない。
でも、そんな容易なことじゃないのだ。
たとえ表面的に、当人が元気に見えたとしても、その奥底には、傷が横たわっている。
その傷と共存しながら生きているのが、被害者の姿だ。

懸命に、懸命に、共存しようと、日々努力しているのが被害者当人の姿だ。

たとえば治療過程で、セックス依存になる人もいる。自傷行為に走る人もいる。そうやって自分を傷つけながら、それでも何とかここから這い出して、あの光の世界にもう一度出ていきたい、と、そう願っている。
もう一度、もう一度、と、唇噛み締め、必死になって這いずり回っている。

それを、赤の他人が、もう何年経ったから平気だろう、とか、回復しているくせに、とか、簡単に言わないで欲しい。
大丈夫になりたいのは、何度も言うが、被害者当人なのだ。

私は一気に走りぬけた彼女の背中を見、思った。
この傷を、どうか一気に走り抜けて欲しい。何度転んでもいい、何度躓いてもいい、それでも、ここを走り抜けて欲しい。そして再び会うときには、最高の笑顔を、満面の笑顔を見せて欲しい。
心の中、そう祈った。

2010年10月8日金曜日

空よ

季節は冬。すかーんと抜けるような青空で。その青空に、表情豊かな雲が、もこもこと漂っていた。風も強い日で。だから雲はぐいぐい流れ、表情を変えていくのだった。
まだこの埋立地が、空き地ばかりだった頃。

空を飛べたら。
誰もが一度は思ったことがあるんじゃなかろうか。幼い頃、空を飛びたいと切に願ったことは、あなたにはなかっただろうか。
私にはあった。
鳥のように空を飛びたい、あの高みから世界を眺めてみたい、そうしたら私はもっと自由になれるんじゃないか。本気でそう思った。
でも私には、羽の代わりに、二本の足が、与えられていた。

彼女が言った。うわぁ、すごい空だ。
本当だね、すごい空だね。
あそこに溶けてしまえたら、気持ちいいだろうなぁ。
あぁ、そうかも。

私たちはじっと、空を見つめた。
真っ青な空が、雲と戯れていた。
それは子供の喧嘩みたいに他愛なく、無邪気で、でも、だからこそ激しい拮抗だった。
そんな空を、私たちはただじっと、見つめていた。

あの空に抱かれたら、何にもなかった頃に戻れるのかもしれない、なんて思ったりするんですよ。彼女が呟く。
そっか。私はただそれだけ返事をして、黙り込む。
それが無理なことは、私たち二人とも知っていた。
それでも、そんなことを思い描いてしまう、そうせずにはいられない、私たちの、背負った性。

そんな私たちにお構いなしに、空はそこに在った。雲はそこに在った。
そして彼らを見つめる私たちを、彼らもまた、見つめているのだった。

2010年10月7日木曜日

突然現れた女の子

その子は突然現れた。この街から遠く離れた、遠く遠く離れた街からわざわざやって来て、私の写真を撮って欲しい、と、その子は言った。

そういう出会いは、正直初めてだったので、ちょっと面食らった。
でも、撮れませんなんて言う雰囲気ではなく。
私は、自信はなかったけれど、シャッターを切り始めた。

でもあっという間に、何と言うのだろう、彼女は私のテンポについてきて、馴染んできて、今初めて会ったような気が、全くしないのだった。

あの時、彼女はどれほどのものを抱えてここまで来たのか、私には知る由もなく。
私はただひたすら、彼女を追いかけ、シャッターを切った。

その夜、泊まる所がないという彼女を家に泊めた。すると、しばらくして彼女が口を切った。聞いて欲しいことがあって。
彼女の幼少期の性的虐待の話だった。医者にかかろうと思っているのだが、一体どこから何を話したらいいか全然分からない。どうしたらいいのだろう、と彼女が言う。
私は、彼女の話をすべて、タイプしていくことにした。

そうしてできた彼女の話をまとめたプリントは、一体何枚になったか、覚えていない。結構な量だった。
彼女はそれを胸に抱いて、これでようやく治療ができる、と涙をひとつ、ぽろりと零した。

翌日帰っていった彼女。その後、数回やりとりをし、自然に遠のいていった。
そして私の手元には、彼女の写真が。
どうか彼女が、今幸せでありますよう。祈るように思う。

2010年10月6日水曜日

私は正直、傘が苦手だ。雨が降っていても、差さなくて済むなら傘を差したくない。持って歩きたくない。
フランスにしばらくいたとき、ざあざあ降りだというのに、立派な毛皮のコートを着た女性が、男性と腕を組んで歩いていた。傘なんて知らないわ、といったふうで、それはとても格好よかった。私は横断歩道を渡るのも忘れ、しばしその姿に見入ってしまった。
いいなぁと思った。傘を差さないで歩いても、何とも言われないって、いいよなぁ、と。私はたまたまフランスに傘なんて持っていかなかったから、その時Gパンによれよれのセーターという格好で雨に濡れていたわけだが、彼女の颯爽と歩く姿を見たら、なんだか自分もそれでいいと言われているような気がして、嬉しくなったものだった。

私は幼少期、蕁麻疹がよく出た。特に雨の日、雨に濡れると、足や手の指に蕁麻疹がぶわっと出て、痛痒くなって仕方がなかった。あまりにひどく腫れて、それを見た教師が、体育は休みなさいね、というほどで。見学にさせられる自分が情けなくて、いつも唇を噛んで授業を端から見つめていた。

大人になって。蕁麻疹はそんなに出なくなったが。それでも、雨の中、傘を差して歩くことは好きじゃない。雨自体は結構好きだったりするのだが、傘、が、だめだ。
そんなとき。
娘と二人、雑貨店に入ってあちこち歩き回っていて。一本の傘を見つけた。赤い傘に、白い細かな斑点が散っている、そんな、何処にでもありそうな傘だった。でも。
何故か私は一目ぼれしてしまった。
ねぇ、これ買ってもいいかな? と娘に問うと、娘はびっくりしたように、ママが傘買うの? いいじゃんいいじゃん、買いなよ!と言う。その言葉に後押しされて、私は結局その傘を買って帰った。

それからというもの。
雨の日が、ちょっと違ってきた。お気に入りの傘を差してもいい日、になった。
面倒なのは変わりないが、でも、好きな傘を広げるのは、結構気持ちいいものなのだということを知った。

友人と、砂丘を訪れた際、ふと彼女の傘が目に入り、ちょっとそれ貸してくれる? と、私は柵にその傘を立てかけてみた。
晴れの日に咲く傘。なんかそれだけで、素敵な気がした。
もちろん今でも、雨の中、娘と自転車で走り回ったりする私だが。傘も結構、格好いいもんじゃん、なんて、最近は思っている。

2010年10月5日火曜日

石段

まだ娘が幼かった頃、この石段を、彼女は這い這いで、器用に上り下りした。開けっぱなしの口からは涎が垂れて、でもそんなのにも構わず彼女は、ただ、上り下りすることに、夢中になっていたものだった。
上って、にかり。下って、にかり。私に向日葵のような笑顔を向けながら、繰り返し繰り返し、飽きずに為していた。

少し大きくなって、もう自分の足で頼りなくも歩けるようになった彼女は、この階段でよく転んだ。段差はとても小さいものなのだけれども、足を下ろすタイミングがうまくつかめないようで、そのたび、大きな頭からころりん、と、転ぶのだった。あまりに転びすぎて、彼女は突如、泣き始める。うっわーんと声を上げて泣き始める。でも、階段から離れようとしない。結局、彼女が飽きるまで、階段で過ごした。

小学校に上がって。もう彼女は、こんな小さな階段など、屁でもないといったふうに飛んで歩く。昔のことなどこれっぽっちも覚えていないのだろう。ここで笑ったこと、ここで泣いたこと、それらは彼女の記憶の奥深くに、眠っているに違いない。

そんなふうに、記憶の奥深く、畳み込まれている記憶が、人には一体どのくらいあるんだろう。
悲しい記憶ばかりが残っているようにみえて、でも、それらを全部吐き出してゆくと、最後の最後に、素敵な思い出がしまいこまれていた、ということが、多々ある。

久しぶりにひとりこの石段に立ち、私は、娘の成長を思い出している。まさにこの階段のように、一歩、また一歩、進んでは転び、転んではまた這い上がって、ここまでやってきた。いや、それはこれからも続く。生きている限り。

いつか彼女がその手に赤子を抱くような年頃になったら、教えてやろう。ここでおまえは何度も遊んだんだよ。這い這いしたり、たどたどしい足で歩いては転んだり。そうやって、オトナになっていったんだよ、と。

いつか。きっと。

2010年10月4日月曜日

影絵

うちから短い急坂を下ってすぐ、こんもりと木の茂る公園が在る。そこには桜の樹がたくさんあって、だから季節になると、大勢の花見客で賑わう。
夏はもう鼓膜が破れるかと思うほどの蝉の声が響き渡り、秋には秋で、虫の音が漂う。この街中にあって、季節を教えてくれる場所。

その公園の桜の樹の中でも、最も老木と言われている樹がある。大きく大きく枝を振り広げ、堂々と立つその姿は、いつ見ても圧巻だ。気軽に幹に触ることさえ躊躇うような、そんな威厳を湛えた樹。私はそんな樹に、一種の憧れを抱く。

冬、葉も散り落ちて、裸ン坊になったその老木の前に立った。明るい柔らかな陽射し降り注ぐ午後。
樹はただじっと黙って佇んでいる。よく見ると、枝のあちこちに、もうすでに新芽の塊を湛えており。あと数ヶ月もすれば、この塊は芽吹き始めるに違いない。

私はそっと、その彼の幹に手を添えてみた。目を閉じ、じっと、手のひらから伝わってくる何かに、耳を澄ましてみた。

とくん。とくん。とくん。
そんな音、聴こえるわけがない、と笑う人もいるかもしれない。でも。
確かに聴こえるのだ。耳を澄ますと、彼の心音が。生きている証が。そこに、在った。

あぁ、生きているということは、もうただそれだけで、尊いのだ。そう思った。
ふと見ると、彼は足元から濃い影を伸ばしており。

私は、彼をそのまま撮る代わりに、影にカメラを向けた。
威厳を湛えたその彼の姿は、影になると、やわらかいやさしげな雰囲気になるのだと、その時気づいた。
私の何倍も、何十倍も長く生きているのだろう、桜の樹よ、私よりさらに、永く生きてくれ。そして見届けてくれ。私たちのありようを。

影はどこまでもやさしく。そしてやがて闇に溶けていった。

2010年10月3日日曜日

泣く

人は泣くとき、どんなふうにして泣くものなんだろう。
ひとり部屋にこもって泣く。
誰かのそばで泣く。
風呂の中、声を上げて泣く。
いろいろな場面が思い浮かぶけれど。
その日、彼女は声を上げずに、泣いていた。

石塀に寄りかかり、冬のあたたかな陽射しを浴びながら、彼女は立っていた。
何があったとか、そんな話、私たちはしない。
ただ、カメラを挟んで向こうとこちら、好きなように佇む。
ただそれだけ。

それだけだからこそ、逆に、伝わってくるものが、ある。
余計な言葉、誤解を生む言葉がそこに挟まっていないからこそ、伝わってくるものが、ある。

まるで彼女は、石の壁に、溶け込みそうなほど、しんと佇んでいた。
そして何処かをじっと、見つめていた。
私はそんな彼女をじっと、少し離れた場所から見つめていた。

彼女は涙も流さず、ただじっと、そこに立ち、泣いていた。

声をあげ、泣き叫ぶことのできた、幼い頃。
そうして今、私たちはもう、それなりにいい年齢に達している。
そんな私たちには、もう、声を上げて泣くことは、なかなかできない。
それでも泣くしかないとき。
人はこんなふうに、泣くのかもしれない。
じっと、佇んで、声を呑み込み、唇噛み締め、ただ、心で泣く。

私たちはいつのまにか、そうやってオトナというものに、なっていた。

2010年10月2日土曜日

水面

その池は、のっぺりとした緑色の水を湛えていた。長いことそこにとどまっている、そんな水の色だった。
そして水草が、要所要所にぽっくり浮かんでいた。
その様子は、ひとつの静止画で。まるでそこだけ、時が止まったような、そんな感じがした。

空は人の心を映す鏡、とよく言う。私はそれに、水面も付け加えたい。
水面を見つめるとき、人は自分の心の状態をそのまま、その水面に移し変える。だから水面は、ありとあらゆる映像を、そこに映し出す。

その中には、悲しい映像もあるだろう。たまらなく楽しかった映像もあるだろう。そのどれもが等しく、水面には浮かび上がり。
あぁそうか、鏡というより、スクリーンなのかもしれない、水面は。

その映像は、ひとりひとり違うもので。だから、目には見えない映像が幾重にも水面で交叉しているに違いない。
今たとえば、私と、私の隣に立つ誰かが、同じ水面を見つめていたとして。それでも、そこに映し出される映像は、ひとりひとり、違う。決して重なり合うことは、ない。

ふと我に返り、緑色の水を湛える池の姿を改めて見つめる。
ぴくりとも動かない景色。それはもしかしたら、
天国の池のようで。
空の隙間からぽとっと落ちてきた、天国の池の姿のようで。

カシャッ。
シャッターの音が、ひときわ高く、あたりに響いた。

2010年10月1日金曜日

影が作る景色

海の向こうの町に出かけた折。日も堕ちて、しばらくした時。見上げた景色にはっとした。あぁ、影が景色を作っている。そう思った。
浜辺、海に半身を浸けながら、ぼんやり眺める。大きな樹がくっきりと浮かび上がり、風が緑を揺らすその音がメロディになって流れている。私はそれが心地よくて、しばらくそうやってじっとしていた。

私はモノクロの描く輪郭の世界が好きだ。
もともとは、私の世界は他の人と同じく、カラーの世界だった。それが、事件に遭ったことを契機に、突如世界の色が失われた。それから何年間か、私の世界はモノクロで。だから、私の世界のことを誰かに話して共有することは、できないことだった。
私がモノクロ写真にのめり込んだのも、多分それが理由だ。あぁここに私の世界の一部がある。モノクロ写真を前に、私はそう思った。だったら私が再現するしかない、私の世界を再現するしかない、それを提示して、世界はこうなのよ、私の世界はこうなの、と誰かに伝えてゆくしかない。そう思った。

モノクロ写真を初めてまともにプリントできたとき、私は声を上げそうになるほど嬉しかった。これだよこれ、私の世界がここに在るよ、と。
ようやっと仲間を見つけたかくらいに、私は嬉しかった。まだ濡れている印画紙を抱きしめて、涙がぽろぽろ零れるのに任せた。そのくらいに嬉しかった。

何年かして、徐々に徐々に世界が色を取り戻し始めて。でも、何故だろう、今度は、違和感を覚えた。ずっと憧れ追い続けてきたはずのカラーの元の世界なのに、そこに私は違和感を覚えるようになっていた。こんな色の洪水だったっけ、こんなに目を射るほどの色の洪水の世界だったんだっけ、ここは、と、戸惑った。たった数年間かもしれないが、色が失われたことによって、私はもう、モノクロの世界に馴染んでしまっていた。

今、確かに私の目は色の在る世界を映しだす。でも、私は何故か、そこから色を取り除いてゆく。そして最後に残るものは何なのか。それを探そうとしてしまう。

最近、必要に応じてカラー写真も撮るようになったが、私はそれをそのまま現像はしない。必ず減色させる。そうやって、私が納得のできるところまで減色して、作り出す。
それが私の、今の世界だ、と。

数年間で終わったはずのモノクロの世界は、初めそれは忌むべき世界だったのに、今ではこうして、親しい世界になった。私にとって落ち着く、落ち着いて呼吸のできる世界、それが、モノクロの世界。