2010年10月4日月曜日

影絵

うちから短い急坂を下ってすぐ、こんもりと木の茂る公園が在る。そこには桜の樹がたくさんあって、だから季節になると、大勢の花見客で賑わう。
夏はもう鼓膜が破れるかと思うほどの蝉の声が響き渡り、秋には秋で、虫の音が漂う。この街中にあって、季節を教えてくれる場所。

その公園の桜の樹の中でも、最も老木と言われている樹がある。大きく大きく枝を振り広げ、堂々と立つその姿は、いつ見ても圧巻だ。気軽に幹に触ることさえ躊躇うような、そんな威厳を湛えた樹。私はそんな樹に、一種の憧れを抱く。

冬、葉も散り落ちて、裸ン坊になったその老木の前に立った。明るい柔らかな陽射し降り注ぐ午後。
樹はただじっと黙って佇んでいる。よく見ると、枝のあちこちに、もうすでに新芽の塊を湛えており。あと数ヶ月もすれば、この塊は芽吹き始めるに違いない。

私はそっと、その彼の幹に手を添えてみた。目を閉じ、じっと、手のひらから伝わってくる何かに、耳を澄ましてみた。

とくん。とくん。とくん。
そんな音、聴こえるわけがない、と笑う人もいるかもしれない。でも。
確かに聴こえるのだ。耳を澄ますと、彼の心音が。生きている証が。そこに、在った。

あぁ、生きているということは、もうただそれだけで、尊いのだ。そう思った。
ふと見ると、彼は足元から濃い影を伸ばしており。

私は、彼をそのまま撮る代わりに、影にカメラを向けた。
威厳を湛えたその彼の姿は、影になると、やわらかいやさしげな雰囲気になるのだと、その時気づいた。
私の何倍も、何十倍も長く生きているのだろう、桜の樹よ、私よりさらに、永く生きてくれ。そして見届けてくれ。私たちのありようを。

影はどこまでもやさしく。そしてやがて闇に溶けていった。