2010年4月29日木曜日

樹はざわめく

樹はたいてい、沈黙している。しんしんと、そこに在って、飛び回る私たちを、じっと見守っている。
そんな樹が、ざわめくときが、在る。

林や森の真ん中、ぽっかりできた穴ぼこに、目を閉じて佇んでいると、そんな場面にふと出くわす。
風が往くとき、樹が全身でざわめく。

ざわ、ざわわ。ごう、ごごう。
それは、その時の風の様子によって、全く異なる。

あの時。
風がぐわんと流れた。その瞬間、樹がざわめいた。私も彼女も、それに呑みこまれるかのようにしてそこに在った。
私は一瞬、シャッターを切ることも忘れ、目を閉じた。目を閉じて、耳を澄ました。
まるでそれは、大聖堂で始まった合唱のように辺りに響き渡り。樹の声は太い太いアルトの声音で。そこに葉のざわめきが、ソプラノで加わった。
清らかな声音は、何処までも高く高く、高く響き。うねるように空高く昇り。

ここに在るよ、
と、歌っていた。
いついかなるときも、私はここに在る、
と。

それは荘厳な、響きだった。

2010年4月27日火曜日

朝露に濡れて

朝靄の中、私たちは動き回り、撮影を続けていた。草はみな、朝露を纏っており。裸足で歩く私たちは、瞬く間に濡れていった。
朝露はまるで、草たちの子供のように。はしゃぎ、互いにおしゃべりしながら、転げまわっていた。私たちはその間を、縫うように歩いた。

ちょっと休もうか。
そういって二人座り込む芝も濡れそぼっており。私たちのお尻は瞬く間に濡れていった。それでも何だろう、そのときはそれが、当たり前で、心地よくて、私たちはただそのままに、座っていた。

そうしているうちに、朝靄が、開けていった。徐々に徐々に、透明になり。
そうしてさぁっと現れた陽光は、あまりに眩しくて。
私たちは一斉に目を閉じた。

それまで肌寒かった空気が、一変する。太陽の熱でぐんぐんとあたためられ。
寝不足の私たちに、その空気は、ちょっとあたたかすぎた。やってくる眠気を手で拭いながら、なんか、気持ちいいねぇ、と呟いた。

靄で見えていなかったものが、ぐんぐんと明らかになってゆく世界。太陽の光はすべてを露にしてゆくかのようで。
芝の上、蟻が動き出す。

そうして残ったのは。
彼女と私の裸足の足に纏わりついた枯れた芝草。
私たちがついさっきまで、歩き続けていたことの、証。

そうして太陽は、ぐんぐんと昇り。
私たちはまた、歩き出す。

2010年4月25日日曜日

余白の樹の下で

本来写真で、白く飛ぶところなど、在り得ない。世界はあらゆるモノで埋まっているから、余白など、何処にも存在しない。どんなに空間の在る場所でカメラを構えたとしても、それはグレートーンとなって、印画紙の上、炙り出される。

その頃、私は、画の中に余白を作ることがとてつもなく大切なものに思えた。見る人が、その余白を想像で埋めてゆく、そういう隙間が欲しかった。
この画も、そういう写真の一枚だ。

もともとは、美しい緑色の芝で一面覆われた丘だ。そこで白い服を着た友人に動いてもらい、撮った。本来なら、樹やその友人を画の真ん中に持ってきて撮るのかもしれない、が、私には、できなかった。

私は写真を操るが、その写真の、饒舌さに、時折息苦しさを感じる。饒舌すぎて、耳を塞ぎたくなる。
だから、こうした余白が欲しくなる。

余白。
今あなたに、あなたの中に、余白はありますか。
誰かが声を上げたとき、その声に傾けられるだけの余白が、ありますか。
風の音や波の音、光の音に、傾けられるだけの余白、ありますか。

2010年4月22日木曜日

森の縁で

森の縁に佇んでいると、いろんな音がやってくる。葉の擦れる音、鳥の羽ばたく音、風が過ぎてゆく音、それは本当に様々な音色がする。
そういえば子供の頃、こうして音に耳を澄まして、時を過ごしたものだった。それは薄の葉の陰だったり、竹薮の縁だったり。たいていが、かくれんぼうをしている最中だった気がする。そうでなければ、ひとりで最初からその場所に行った、か。
見上げるとそこには空が在り。空はいつだって広く広く、そこに広がっていた。雲がかかっていることももちろんあったが、それでも空は空だった。
何にも犯されない空が、そこに在った。

今目を閉じると、風の轟々鳴る音と、今にも雨が降り出しそうな湿っぽい気配、それから記憶の引き出しの中から香る、線香のような匂いがする。

誰もが忙しく往き来する街。何か用事を済ますため、何か不安ごとを隠すため、私たちは忙しく時を過ごす。そうやって、自分の時間を埋め尽くしてゆく。
でも時には手ぶらで。何をするでもなく、何処に行くでもなく、ただ歩き、佇む、そうした行為を忘れないでいたいものだと思う。

そうやって過ごす時にだからこそ、見えてくるものがあるのだから。

2010年4月20日火曜日

三つ葉四つ葉

四つ葉は幸せを呼ぶ、という。そういえば昔、小学生の頃、通学路にクローバー畑があった。いずれ幹線道路になる空き地で、だからだだっぴろい空き地で。そこが一面、クローバー畑だった。
学校帰り、私たちはよくそのクローバー畑に立ち寄った。私はシロツメクサの花を集めては、花冠を作ることが好きだった。友達の分全部作り、その後弟の分も作って、そうして時間を過ごした。
友達が一緒のときもあった。ひとりのときもあった。
或る日、友達が、必死になってランドセルを背負ったまま、クローバー畑にはいつくばっている姿を見つけた。どうしたのだろう。そう思って近づくと、彼女は全く気がつかない。それほど必死に何かを探していた。
声を掛けると、びっくりした顔の友人が私を見つめる。しばしの沈黙が走り、その後、彼女が言った。四つ葉を探してるの。
ふぅん、と思って私もそれに加わる。友人はただひたすら、私など居ても居なくても変わらないらしく、まさに必死に四つ葉を探している。
四つ葉、見つけたらどうするの? 私がふと尋ねた言葉に、友人の手が止まった。ねぇ、さをりちゃんが四つ葉見つけたら、私にくれる?
彼女の目は必死だった。あまりに必死で、私はちょっと慄いたのを覚えている。ねぇ、だから、四つ葉、どうするの? 私は尋ねた。
友達が死んじゃうの。え? 病気なの。…。私、その病気、治って欲しいの。でもこのままだと死んじゃうの。だから四つ葉を探してるの。
もう涙が出そうな目を、それでも必死に動かして、友人は四つ葉を探している。私はその友人に圧倒された。だから、私も、黙々と四つ葉探しに加わった。

夕方になる頃、ようやく私たちは四つ葉を見つけた。どちらが見つけたんだか、はっきりは覚えていない。でも二人して、やったー!と声を上げたことは、はっきり覚えている。友達はそれをきれいな洗い立てのハンカチに包んで、大事そうに持って帰った。

四つ葉はちゃんと、病気の友達のもとへ届いたはずだった。でも。
友人の願いは、叶わなかった。病気の友達は、ほどなく死んでしまった。
あれ以来、私は、四つ葉の神話を信じなくなった。

でも今、娘が、四つ葉を探している。願い事をするんだ、と、必死に四つ葉を探している。私にも手伝って欲しいと彼女が言う。だから私は、一緒に探しながら、娘の様子をうかがっている。
あったぁ! 娘が叫ぶようにして立ち上がる。大地を飛び跳ねて喜んでいる。私はただそれを見つめている。よかったねぇ。うん、よかった!
娘の願い事が何なのか、私は知らない。でも、叶うといい。そう、思う。

2010年4月19日月曜日

そこに在る樹

朝靄が薄くかかる。世界全体を包んでいる。そんな朝だった。靄が薄れていくにつれ、世界が少しずつくっきりと浮かび上がってくる。芝の間に咲くシロツメクサや、何処からか飛んできた花殻、躑躅のこんもりした茂み、紫陽花のつやつやした葉、それらが徐々に徐々に辺りに露になってゆく。
そんな中に、私たちはただ、佇んでいた。

朝露を湛える草の上を私たちは歩く。私たちの足の裏は瞬く間に濡れてゆく。千切れた草の葉が私たちの足にまとわりついた。それでも私たちはただぼんやり、何を考えるでもなく歩いていた。

その樹は、丘の中ほどに在った。何とも中途半端な位置に立っている。少し丘を下ったところ。坂道の途中。
なのに、樹はしっかりとそこに根付いており。隆々と根の瘤が土を越えて露になっている。その根と根の間には、私たちが揃って腰を下ろしても大丈夫なくらいの窪みがあった。
ねぇ樹ってすごいよね。うん。ずっとこの場所に在るっていうのがすごいことのひとつ。うんうん。ここで私たちより長く生き続けるんだよね。樹にはどんなふうに世界が映っているんだろう。私、できるなら樹になってみたい。うん、私も。

新緑を湛えた樹は、ただそこに在り。私たちが見上げていることをこの樹は今感じているだろうか。それとも、私たちは小さな点のような、過ぎてゆくものの一つなのだろうか。

そうして樹はただそこに在り。ただそこに、在り。

2010年4月15日木曜日

白い丘

朝一番。その日は確か靄がかかっていた。公園全体に靄がかかり、私たちはその中を歩いていた。その公園には桜の樹と梅の樹、その他諸々の樹が山ほど植えられており。樹は思い思いの姿でそこに在るのだった。
桜も咲き終わり、芝も青々としてくる頃、私たちはその場所を訪れた。まだ朝露に覆われた草の上を、私たちは裸足で歩いていった。彼女と撮影に出掛けるときはいつだって裸足だ。それが心地よい。そしてまた、彼女にとても、似合う。

その日は折り畳みの、古い古い椅子も私は持っていた。明治時代に建てられた家屋から出てきた代物だというそれは、本当に古くて、木の部分はすっかり飴色に変わっていた。でも何だろう、まだまだ使える代物で、それは何処かあたたかく、やわらかい小さな椅子だった。

最初椅子に座っている彼女を撮ろうかと思った。でも何処か違う。
何か違うね、と話しているうちに、彼女が椅子にもたれるようにして座った。あぁ、それかもしれない、と私たちはそれぞれの立ち位置についた。
もっと近くから撮ったものもあったのだが。最終的に私が選んだのはこの位置だった。遠く離れた、その位置から、丘陵のなだらかな線を捉えた、一枚だった。

白い丘は本当は、青々とした芝の広がる丘だった。それを焼きで飛ばした。余計なものは何もいらない、そんな気がした。
白い服を身に纏った彼女が、ただ空をぼんやりと仰ぐその姿は、小さな点のようになってそこに在る。

ねぇ私たちって、これっぽっちの存在だけど。うん。それでも存在してるんだよね。うん。それってすごいことだと思わない? 思う。これっぽっちかもしれないけど、そのこれっぽっちが欠けたらまた世界はきっと違うんだよ。今の世界を私たちは間違いなく、担ってるんだよね。うんうん。

白い丘。靄のかかる朝。朝露の匂い。私たちはそこに、在た。

2010年4月13日火曜日

記憶

一時期、あらゆることを忘れられない時期があった。どんな細かな、些細なことも記憶していて、周囲を困らせた。眠ることも忘れ、ありとあらゆる時刻私は覚醒していた。だから一日が終わらない。昨日になることがないのだ。何処までも今日。一昨日あったことも、まるで今日のことのように甦らせ、私は苦しかった。
あれは一体、何だったんだろうと、今なら思う。

記憶は本当は、ゆっくりと降り積もってゆくものなのだろう。毎日毎日降り積もりながら、樹の年輪のように、育ってゆくものなのだろう。
それがあの時期、狂った。まさに狂ったとしか言いようがない。速度は倍速になり、刻まれる深さもこれでもかというほど克明になり。だから、忘れる、という作業ができなくなった。それは、しんどい以外の何者でもなかった。

忘れる。
それは、人に与えられた、生き延びる術の一つなのだと、思う。それでも、忘れても忘れても、残るものが、ある。
そして私たちはそれらを引きずって生きている。記憶を頼りに、あらゆるところで比較し、嘆き、生きている。
毎日、記憶に対して死んでゆけたら、いいんだろうなと思う。そうしたら、毎日が新しく、新鮮で、私たちは引きずるものもなく、生き生きと進んでゆけるのだろう、と。

この写真は、大きな大きな樹と、地べたとを、多重露光させたものだ。これを地べたと見るのか、それとも樹と見るのか、それは受け取る側の心持によるんだろうと思う。
記憶なんて、そんなものだ。
その受取手の心次第。心持ひとつで、色合いは変わってゆく。そういう、頼りない、代物。でもその頼りない代物に、寄りかかって立っているのが、私たち、だ。

そのことを、忘れたくないと思う。記憶に寄りかかって立っている自分の、足元のとてつもない頼りなさを、忘れたくないと思う。
そしてできることなら、記憶一つ一つに対し、その都度死んでゆけたらいいと思う。そして一瞬一瞬を、新しく生きられたらいい、と。

2010年4月11日日曜日

印象

その人は少女のような目をしていた。きょときょとと動く小さな目。小さくくっついた口。薄い唇。背が高く、でもそれはすらりとした高さではなく、遠慮がちな佇まいをしていた。
そんな彼女は、人の群れに入っても、何処か浮かんでいた。ほんのりと浮かんでいた。少し俯きながら、でも彼女は、そこに混ざりきらない何かを、持っていた。

モデルになっていただけませんか。
断られることを覚悟で頼んでみた。すると彼女は、はいと頷いてくれた。そうしてばたばたと日程が決まった。
本当なら、森の中で撮るべきだったのかもしれない。彼女の佇まいはそう言っていた。でも敢えて私は海辺を選んだ。そして出掛ける日、私は大判のスカーフと、大きな花を二輪、持って出た。

伏目がちに話す彼女は、十近く私より年上なのだと後で知った。私、ちょっと浮いてるんだよね、と彼女自らそう言った。何となく落ち着かないんだよね、と。
でもそれは、決して、嫌な浮き方ではなかった。ぽっとそこに、彼女が在る、といった具合で。決して前に自分が自分がと出てこようとはしない、彼女の控えめさが、際立っていた。
時にスカーフを風になびかせながら、彼女は走り、踊った。砂には次々彼女の足跡がついた。私はそれをただ追っていった。

そんな彼女の、アップを撮りたいと思ったとき、あぁただ正面から彼女を映したのでは済まないなと思った。それは彼女ではない、と思った。そうして気づいたら、私は彼女の顔を半分、切り取っていた。
そしてさらに、花たちを多重露光で撮影した。

これは現実には在るものではない。私が作った、私の、彼女の印象だ。
私はもう、今の彼女を知らない。でも、あの時私の目の前にいた彼女は、こんな姿をしていた。人ごみの中に塗れていたならば、彼女はまるで菫の花のようだ。でも。彼女を独り大地に佇ませたなら。
これが彼女だと、私は思う。

2010年4月9日金曜日

まどろみ~白い部屋より05

「白い部屋」のシリーズは、この写真がラストになる。
この写真だけを見たならば、もしかしたら、おだやかな光景を思い浮かべることが多いのかもしれない。私も単独でこれだけを見るなら、そうだ。
でも。

白と黒しかない世界がどれほど恐ろしいものか。
そのことを、思う。そして、
「共存」という言葉の意味を、改めて噛み締める。

排除して排除して、無菌室のような清潔な部屋に閉じこもったなら。
確かに或る意味安全かもしれない。でも同時に、とてつもなく孤独なんじゃぁなかろうか。
「独り」であることと「孤独」であることは、あまりにも、違う。

そしてまた、思うのだ。人間という言葉の意味を。
そう、ヒトはヒトの間にいてこそ人間なのだ、ということを。

2010年4月7日水曜日

足の裏の標~白い部屋より04

私は裸足が好きだ。自分が裸足であることはもちろん、裸足である人の足を眺めるのが好きだ。
大地を踏みしめて歩いている、というその感覚が、私は好きなのかもしれない。

とてもじゃないが、歩いているというよりも、ふわふわ浮いて、風に煽られて流されてしか生きていないという時期があった。風が吹けばそれだけであっちにふわり、こっちにぶわり、という具合である。あっちこっち吹き飛ばされては怪我をした。
そのたび思った。ちゃんと地に足をつけて歩きたい。
でも、言葉で言うほどそれは、たやすくなかった。自分の心持ひとつで、足元はいかようにも変化した。ずぶずぶと泥に塗れることもあれば、さっき言ったように浮いてばかりのこともあり。歩くというその、ただそれだけのことが、こんなにも難しいのかと、その時知った。
ただ当たり前に生きることが、ただ当たり前に呼吸することが、ただ当たり前に歩くことが、こんなにも難しいのか、と。

そんな足、特に足の裏は、手と同様、多くのことを語ってくれる。使い込まれ角質の厚くなった足もあれば、年月を経ても柔らかい足の裏もある。その人の生き様、歩き方が、そのままそこに現れる。

あれから十年。その間にも紆余曲折があった。私の足は傷ついたり折れたりしながらも、今もこうして体にくっついていてくれている。まだ私が歩き続けることを、赦してくれている。
だから思う。しかと大地を踏みしめて、歩いていかねば、と。この足の裏が泥だらけになっても、それは或る意味勲章かもしれない、と。私の足。そうこれが私の足、なのだから。

今あなたの足は、どんな足をしているんだろう。どんな足の裏をしているんだろう。あなたの足は今日も大地を、踏みしめて歩いていますか。

2010年4月5日月曜日

ぬいぐるみ~白い部屋より03


そういえば私は、小さい頃、ベッドの半分以上をぬいぐるみで埋めていた。私よりぬいぐるみの分量の方がはるかに多かった。それでも足りなくて、機会があればぬいぐるみを増やしていった。
あのぬいぐるみたちは今何処にいるんだろう。覚えていない。

ぬいぐるみ遊びをしたわけではなかった。でもそこに在てくれる、ただ黙ってそこに在てくれるということが、私を安心させた。弟がいたせいか、幼い頃から私は一人で眠った。その一人の夜が、長かった。天井に映る影、チクタクという時計の音、外を往く車の音、轟々と鳴る風の音、すべてが必要以上に大きく、私に圧し掛かった。
そんなとき、ぬいぐるみたちが、私を見つめていた。私に寄り添っていてくれた。だから私は、安心して眠ることができた。長い夜を過ごすことができた。
私はぬいぐるみに、安心して良いよ、大丈夫だよ、と、いつも言ってもらっていたような、そんな気がする。

ぬいぐるみ。今我が家には、娘のぬいぐるみが山ほどある。
彼女にとって、これらのぬいぐるみは、一体どんな存在なのだろう。たくさんのぬいぐるみを枕元に並べて眠る娘を見やりながら思う。
どうかこの子を守ってくれますよう。この子の心をあったかくしてくれますよう。
祈るように、思う。