2011年12月15日木曜日

おっぱい電球

その日娘と散歩をしていた。
敢えて子供と散歩するには似つかわしくない場所を選んで、私は歩いた。
そこはいわゆる夜の街で。
もう赤線はさすがになくなったものの、それでもこの界隈は相変わらずの姿をしており。
私は娘に、知っておいてほしかったのだ。
こういう場所があるということ。
こういう場所が必要とされている世界のこと。
知っておいてほしかった。

カメラをおおっぴらに持って子供と歩くのは危ないと思い、ホルガを選んだ。そうして歩いていると、突然娘が立ち止った。

ママ、おっぱい。

私は吃驚した。おっぱいって、あなた、さすがにもうおっぱいの年頃じゃぁあるまいに、と。言いかけて、慌てて彼女の視線の先を辿った。
成程。
おっぱいが、そこに在った。

以来、私たちは、そこを歩くたび、おっぱい電球を見上げる。
そして小さく、やっぱりおっぱいだね、と笑う。

2011年11月28日月曜日

洗濯物と空

以前住んでいた部屋には窓がたくさん在った。通りに沿って全面窓だった。だから私たちは日差しに全く困ることなく、毎日を過ごしていた。

それは贅沢なことだったと気づいたのは、その部屋から引っ越した後だった。
引っ越した次の部屋は一階で、私はそれまで一階に住んだことがなかったから、一階に住むということがどういうことなのかまるで知らなかった。

虫は同居人の如く次々沸いて出て、日差しは時間によっては全く入らなくなり。
吃驚した。
こんなにも違うのかと、今更ながら知った。

あの頃。
洗濯物はいつでも乾くもので。冬でも夏でもそれは同じ、いつだってお日様いっぱい浴びて夕方にはすっかり乾いているもので。
だから洗濯物が煩わしいなんて思うことはなかった。
今、午前中しか物干し竿の方の窓には日がささない。だから朝一番に洗濯機を回さないと洗濯物が乾かない。
そして何より。

空。
なんて小さいのだろう。ここから見上げる空は。
洗濯物の向こうに広がる空は、とても小さくて。狭くて。

切ない。

2011年11月21日月曜日

ゴール

バスケットゴールと言っていいのだろうか、他に正式な呼び名があるのだろうか、私は知らないのだけれど。
そのゴールは公園の端っこに置いてあった。小学生ばかりが集う公園の端っこ。そのせいか誰かがそのゴールで遊んでいる姿を見ることはほとんどなかった。

それでもそのゴールはそこに在って。
私は以前からとても、気にかかっていた。

友人と公園で撮影をした折、ふと思いついてゴールに登った。
登った先で見る光景は。
これまでの景色とは全く異なる、一段高いところから見る景色で。埋立地の高層ビル群はぐいと近づいて見え、周囲のこれまで高いばかりだったマンションも今度は見下ろす位置になり。全てがすべて、違って見えた。
思わず写真を撮るのも忘れ、きゃぁきゃぁ声を上げて喜んだ。友人が呆れながらくすり笑った。あんたはもう、高いところに登ると我を忘れるんだから。

そうして数年後。
ゴールは撤去された。
私が登ったことなど誰が知るわけもなく。あっさりと撤去され。

もう公園に、そのゴールは、ない。

2011年11月14日月曜日

枝々の跡

そこは小さな小さな公園で。
鉄棒とブランコとちょっぴりの砂場があるだけの小さな公園で。
でも時間になると子供たちの集まる、公園だった。

そこの片隅に藤棚があって。季節になると美しい花を咲かせる。
花が咲いている最中というのはもちろん葉も茂っており、
その下に座っていると心地よい日陰に思わずとろんと目を閉じてしまいたくなるような、そんな風が吹くのだった。

そして季節は冬。
すっかり葉を落とした藤の枝は、一見枯れ枝かのように見えるほどからからに渇いており。触ると樹皮がかさこそと音を立てそうなほどで。
でも。
じっと見つめるほど、それは違うことに気づく。
小さな小さな萌芽が、あちこちに。

そして見上げれば。
すかんと晴れ渡る空。夏には見られないすかんと抜けるような青空。

冬が好きだ。
その冷たい風が好きだ。
その抜けるような高い空が好きだ。
誰もがじっと春を待つ、その沈黙が、たまらなく好きだ。

2011年11月8日火曜日

スリッパ、ちょこねんと

夏の或る朝、娘をおんぶして散歩に出た。引っ越したばかりの家の周りを、私はゆっくり歩いた。
私には珍しいものばかりだった。門構えが一切なく、道路から直接玄関に繋がっている家の作り、猫の額より狭い庭、隣の家との境も曖昧ないい加減な区画、どれをとっても私には目新しいものばかりで。
一体どういう場所に越してきてしまったんだろう、最初そう思った。

そんな時、ふと目に入った。揃えられたスリッパ。
斜めった簾は時折風にぱたん、ぱたんと音を立てる。そんな簾の下、スリッパだけがちょこねんときれいに揃えられている。

私は立ち止まって、その光景をじっと見つめた。あぁここには人の暮らしが在る、間違いなく人の体温がここに在る。そう思った。

それまで遠かった景色が、ぐんと近くなった。身近になった。改めてぐるり、周りを見回せば、どれもこれも自分が暮らし慣れた実家の景色とはかけ離れているものの、どこか懐かしさを覚える、そんな景色ばかりだということに気づいた。
あぁそうか、祖母の家に似ているのだ。

祖母の家は、これでもかというほどぎゅうぎゅうに住宅が押し並ぶ中に在った。こんな小さい場所にどうして家が建っているのだろうと思えるような場所に、何軒もの家が犇めいている。隣の家の音なんて筒抜け。そういう場所だった。
でも、何だろう、お隣さんの喧嘩を見つけては隣人が止めに入る、怒鳴り声が聴こえれば反対側から笑い声が聴こえる。そんな場所でもあった。
そのことを、思い出した。

この場所も、そういう場所なのかもしれない。そう思ったら、一気にこの場所が好きになった。大丈夫、ここで暮らせる、そう思えた。

夏のあの朝、見つけた、ちょこねんと揃ったスリッパ。
私をこの場所に引き寄せてくれた、大事なスリッパ。

2011年11月2日水曜日

滑り台

その公園は丘の上にあって。
子供にとっては大きな大きな滑り台のある公園だった。それ以外にはブランコがあるだけの、素っ気ない公園で。
でもこの滑り台があることで、たくさんの子供が集った。

私は弟を連れてよくこの公園に遊びに行った。当時弟はとても気弱な子で、他の子にちょっと小突かれただけで泣きべそをかくような子だった。だから、弟がちょっと泣きべそをかくたび、仕返しをして彼を守るのが、私の役目だった。

或る日滑り台で遊んでいたときのこと、滑り台の天辺から弟が滑り出そうとした瞬間、その弟をどーんと突き飛ばした子がいた。弟はもちろん頭から滑り台を転げ落ちる。私が呆気に取られて口をポカンと開けている間にも弟は転げ落ちる。

瞬間、私の怒りが爆発し、相手が年長の男の子にも関わらず飛びかかった。もちろん結果は組み伏せられるだけの話だったのだが、私はあの時赦せなかったのだ。どうにも赦せなかった、大事な弟を突き飛ばすなんて、と。もうただそれだけだった。

弟はそんな私を、今度は彼が呆気に取られて砂場から見上げていた。お互いぼろぼろの姿になり、滑り台の脇、ぽつねんと取り残されて。

何となく、目が合って。二人とも何となく、笑った。一度笑いだしたら止まらなくなって、しばらくけらけらと二人で笑った。

手を繋いで帰ったあの日、どちらも親に何も言わず、黙々とご飯を食べたことを覚えている。

あの滑り台を今こうして見ると、それはとても小さくて。あの頃私たちが見上げていたような大きさは何処にもなくて。

でも、懐かしい。そう、今はこうして懐かしいと言える、それだけの時間が経った。私の上にも弟の上にも、誰の上にも。
そんな私たちを見守るように、滑り台は変わらず、ここに在る。

2011年10月26日水曜日

本出版の御案内



このたび、窓社より「声を聴かせて~性犯罪被害と共に、」
を出版いたしました。

性犯罪被害者の方にモデルになって頂きながら続けてきた「あの場所から」や
性犯罪被害者サポート電話「声を聴かせて」の活動を通じて知り合った
「彼女」や「彼」らの物語を、ひとつの本に編みました。

「彼女たちは、今あなたのすぐ隣にいるかもしれない。いや、
そもそもあなたが、明日彼女たちになり得てしまうかもしれない。
誰もが「彼女」や「彼」になり得るのだ、一瞬後には。
そのことをどうか、忘れないで欲しい。
そしてあなたの隣にいる彼女たちに、そっと手を伸ばして欲しい。」(あとがきより)

そんな願いを込めて作った一冊です。

ぜひ多くの方に手にとって欲しい。そう願っています。
大型書店で取り扱いもしておりますが、
私の方から直接お送りすることもできます(送料無料)。
http://koebook.cart.fc2.com/

あなたへ、彼女へ、彼へ、
そしてあなたの隣にいる人へ・・・
どうか届きますよう。

どうぞよろしくお願いいたします。

2011年10月21日金曜日

雪ん子ちゃん

ぱんっぱんに膨らんだほっぺたをして、その子は私の目の前にいた。私がかつて小さい頃に来ていた上着を着て、ちょこねんとその子は立っていた。

目の前にいるのは私の娘。
でも何だろう。その子は私の娘でありながら同時にどうしようもなく他人で、どうしようもなく遠く、手の届かないところにいるかのようだった。

娘を産んだ時、その瞬間思った。あぁ、他人なんだこの子は、と。おかしな言い分かもしれない、でも私はそう思ったのだ。
よく、我が子は分身、と言う人がいる。そんな言葉をよく耳にする。私はだから、そうじゃなくてはいけない気がしていた。分身のように我が子を思わなくてはならないのだ、と。でもそれは、虐待を受けて育った私には重荷となって圧し掛かっていた。
だから。
あぁ他人なんだ、私とは全く別個の人間なんだ、ということに気づいた瞬間、私はほっとしたのだ。この子は私とは全く別個に生を受けてこの世に生まれてきた、虐待の連鎖なんてものとは関係なく新たに生まれ出てきたのだ、何も心配することは、ない、と。

育てながら、いつもそこには発見があった。私の目線で見る事と、その子の目線で見るものとは全く別個の見え方をした。だから、私はそれを発見するたびに驚いたものだった。このリンゴは私には紅く見えても、この子には緑に見えるのだ、というかのように。

そんな驚きに塗れていたら、虐待なんていう心配はどこかへ消え去っていった。そんなことを心配している隙間さえないほど。

虐待の連鎖。よく言われる台詞だ。そんな言葉が在るが故に、私たちのように虐待されて育った人間は恐れ慄いてしまう。自分もまた虐待したらどうしよう、同じことを繰り返してしまったらどうしよう、と。委縮してしまう。
でも。
新しい生命を、そのままに受け取れば、何も怖いことなどなかったのだ、と、この子が教えてくれた。まっさらな気持ちで始めれば、何も怖いことなどなかったのだ、と。

今私の目の前にいる我が子は、私が幼い頃着ていた服を着て立っている。その姿は私の幼い頃に何処か似ているけれど、でも同時に全く違う。
この子はこの子。唯一無二の存在。
私の分身などでは、決して、ない。

2011年10月18日火曜日

落書き

あの日実家の近くの公園で、娘と二人、何をするでもなく過ごしていた。
ふと目を離したすきに娘が棒を拾って来て何やら地面に描き始めた。

何描いてるの?
私が尋ねると、娘はにかっと笑った。
何描いてるの?
私はもう一度訊いてみる。
娘はやっぱり、にかっと笑うだけだった。

しばらくして、地面には大きな大きなぐねぐねした模様が描き出されており。私はそれをあっちこっちの角度から見て回って、ようやく納得した。
あぁ、裏山の葡萄の樹ね?
娘はやっぱり何も言わず、にかっと笑うのだった。

あの日、私にとってその場所はとても嫌な記憶があるばかりの公園で、娘と二人、何をするでもなく過ごしていた。
そんな時娘が描き出した幾何学模様。娘はただにかっと笑うだけで。
でも何だろう、私はほっとしたのだ。私にとってどうかは置いておいて、娘にとってこの場所は嫌な場所でも何でもなく、ただの小さな公園であったことに気づいて。

そう、記憶は何度でも塗り替えられる筈。娘に寄り添って娘の描いたぐにゃぐにゃ模様を眺めながら私は自分に言ってみる。
嫌な記憶でもきっといつか、おだやかな記憶に変えてみせる。

2011年10月13日木曜日

シャボン玉

省みると、私は娘に、おもちゃらしいおもちゃを買ってやらなかった。
家にあるのはだから、手作りのおもちゃばかりで。
その中でもシャボン玉は、いっとう娘の好きな遊びものだった。

その日風が強く吹いており。それなのに保育園から帰った娘は、シャボン玉をやるんだと言ってきかない。
仕方なくベランダに出て、10分だけだよ、と指切りをする。

娘のシャボン玉は娘が息を吐いて生まれ出た瞬間、強風に煽られ飛んでゆく。その様が娘にはとても新鮮に映ったのか、繰り返し繰り返しシャボン玉を生み出す。

日も傾き始め、約束の10分はとうに越え。
ねぇ、もう終わりにしようよ。
やだ。
でも約束したじゃない、10分って。
でもね、シャボン玉が呼んでるんだよ。
呼んでる?
うん、お月様を呼んでるんだよ。
え?
シャボン玉が、丸いお月様出て来いって呼んでるんだよ。

娘の言葉にはっとして空を見上げれば、細い爪の先ほどの月が西の空に浮かんでいるところで。私は娘に言う。
今日のお月様は、細いお月様だよ。
ううん、違うの、丸いお月様がじきに生まれるんだよ。
生まれるの?
そう、だから今日はお月様の夢を見るんだよ。

娘の言い分はすさまじく飛躍しており。私は眼を白黒させながら、そうか、そうなのか、と頷いた。本当は首を傾げたかったが、それはしてはいけないことのように思えて、私は必死になってうんうんと首を縦に振った。

あの日、本当は娘は何が言いたかったんだろう。
お月様の夢を彼女は見たのだろうか。それはどんな夢だったのだろう。

シャボン玉とお月様。
儚く生まれ、儚く消えて。
重なり合うその姿。
私も、お月様の夢をいつか、見てみたい。

2011年10月11日火曜日

つるかめ屋

その街はどちらかといえば夜の街だった。夜大勢の飲んべぇ客が集い、これでもかというほどに賑わう。そういう街だった。
私はその街をよく訪れた。真夜中にこっそりひとりで訪れる時もあったが、その殆どは客が引けた明け方だった。
始発に乗ってことこと電車に揺られて出掛けてゆくと、たいてい野良猫が出迎えてくれた。明け始める街に向かって、私は好き勝手にシャッターを切って過ごした。

或る時、小さな小さな店の前に猫が戯れており。私はあまりにその姿が可愛くて立ち止まった。そんな私に声を掛けてきた人がいた。つるかめ屋のおばさんだ。
おばさん、正確にはおばあさんと言うべき年頃のその方は、にこにこ笑いながら私に突然菓子パンを差し出した。
朝からご苦労様ねぇ、おなか空いたでしょ、これお食べ。
そう言って差し出す菓子パンはあんぱん。私は吃驚しながらも、ありがとうと受け取る。
すると、こっちにいらっしゃい、と手招きするおばさん。

細い小さな造りの店の中は散らかし放題で。テーブルの上に土足の猫がどかどか上がっては丸くなっている。おばさんはその傍らで握り飯とあんぱんを食している。

いつのまにかおばさんの身の上話になっていた。戦争のこと、生きて帰ってきた旦那は早々に癌になり死んでいったこと、店をきりもりしていた時代のこと、おでんやから飲み屋へそうしてやがて閉店、今じゃ誰にも忘れられたひとりぼっちの身の上だということ。おばさんはからからと笑いながら、そういった一連の話を私に聴かせてくれた。
どこまでが本当でどこまでが作り話なのか、そんなこともうどうでもよかった。おばさんがそうやって私に向かって話しかけてくれること、それだけは間違いなく真実で。
だから私は、ただ耳を傾けた。

おばさんが最後にぽつり、言った。
この街も変わった。もう私の居場所はないよ。寂しいねぇ。

おばさんの話が終わる頃にはもう、すっかり日は高く昇り。私はありがとうございましたと店を出る。

あの日、この店で撮ったこの写真を必ず渡しに来ると約束した。でも。
数ヵ月後、この場所にやってくると、この場所は空っぽだった。

結局私はおばさんに写真を渡すことができぬまま。今日に至る。あの場所につるかめ屋はもうない。でも私の記憶の中、確かにつるかめ屋はここに在り、おばさんは生き続けている。

2011年10月7日金曜日

泣いていた

その人は泣いていた。朝靄の中、ひとりぽっちで。

その日、ずいぶん早く目覚めた私は、時間をもてあましていた。病院に出掛けるまでに間があり過ぎて、どうやって過ごしたものかと首を傾げていた。
そしてふっと、川縁に散歩に行こう、と思いついた。
川縁には薄く靄が広がっており。対岸の景色は仄かに霞んでいる。そんな情景を見やりながら歩いていた時、眼に飛び込んできたものがあった。

一人の男性の背中。
その人は、泣いていた。

誰にも知られぬよう、ひっそりと。声も出さず、ただ背中を小刻みに震わせて、その人は泣いていた。何度も拳で涙を拭いながら、彼は川っぷちに座り込んでいた。

私の胸は一度、どきりと脈打った。
でも。何もできなかった。

少し離れた場所から私は彼をじっと見つめていた。しゃがみこんだ彼は一体どのくらいそうしていただろう。かなり長いこと座っていたけれど。
やがて立ち上がり、その場を離れた。
私は彼が座っていたその場所に立ち、辺りを眺めた。その場所は他の場所よりも靄が濃くて、対岸は殆ど見えなかった。その代わり、左手には薄や背の高い草が茫々と茂り。微風にさやさやと揺れていた。

あの日、彼はここで一人、泣いていた。
理由など知らない。私はただ、そんな彼を離れた場所から見つめていた。

ただ、それだけだった。

2011年10月4日火曜日

その船の行方

それは街中を流れる川に繋がれており。
もうすっかりぼろぼろになった姿で、繋がれており。

哀れだと思った。まるで自分みたいだと思った。とりあえず首輪を嵌められ繋がれて、そこに置き去りにされている。置き去りにしておいてもいい存在とみなされた自分とその船。
哀しくなった。見つめるほど哀しくなった。切なくて切なくて、胸が痛くなった。喉が締め付けられ、呼吸も苦しくなって。
気づいたら、シャッターを切っていた。

フィルムの巻き上げ方も装填の仕方も何も、まだ知りも覚えてもいなくて。隣に立つ友が必死に何か喋っている。私に教えてくれようとしている。それが分かるのに、言葉が分からない。言葉を理解できない。そのくらい私の心と頭は混乱していて。
そういう時間をあの頃、私は過ごしていた。

そう、誰の言葉も、私に届かなかった。いろんな人が私の肩を叩き、話しかけてくれた。なのに私には、その人の口が動いている、唇が動いている、と、それしか認知できず。もう、私の心は壊れていた。決壊した川のように。どくどくと血を流していた。ヒトの言葉も分からなくなるほどに。

人間という字はヒトのアイダと書く。ヒトのアイダにいてこそ人間なんだ。でも私はあの頃。
もはや人間でもなかった。ヒトのアイダにいることなど、もう私には、できなくなっていた。

クルシイとかイタイとかツライとか、そういったものがもう、感じとれなくなっていた。嬉しいも喜びもみんな、何処かに消えてなくなって、私の手の届かないところに遠ざかって。
無感動、無感情、という状態がもし在り得るのであれば。私はその頃、そういう位置にいた。

そんな私が、哀しいと思った。切ないと思った。あの船。
数年後、船は無残にも壊され、撤去された。
あの川にもう、あの船の姿は、ない。

2011年9月29日木曜日

雪が降っていた

あの日。友人に頼んで付き添ってもらい、久しぶりに閉じこもっている部屋の扉を開けた。友人と共に始発電車に乗ったあの日。雪が舞い散っていた。

初めてカメラを抱えた私が、初めて撮ったのは。この一枚だった。雪を散らす空を見上げていたら、ふとシャッターを切りたくなった。
何の変哲もない、その一枚を焼いた時、あぁ私の世界がここに在ると知った。

世界がカラーからモノクロに反転してからというもの。私は孤独だった。世界の在り様を共有できる相手がいないということは、酷く私を怖がらせた。恐ろしかった。こんな、誰も知らない世界に来て、そうして私は死んでゆくのか、と思ったら、とてつもなく怖くなった。
誰か、私の世界を知ってくれ、どうか、私と世界の在り様を共有してくれ。
私はそう、叫んでいた。

本屋に平積みされていた写真集を見た時、突如浮かんだ。あ、ここに在る、と。私の世界はこうやって再現することができる、と。そのことに気付いた瞬間、私は、モノクロ写真を絶対に手にするんだ、と決めた。
写真だから、とか、モノクロだから、とか、そういう理由じゃない。私は、私の世界をただただ再現して誰かと共有したかった。それだけの理由で、いきなり何の知識ももたない写真を始めた。

シャッターを押すことは分かっても、ピントを合わせるなんてことも私は知らなかった。カメラに詳しい友人が、ここをこう回して画を合わせるんだよ、自分の思うところで。そう言った。だからその通りにやってみた。一度シャッターを押すことを覚えた私は、次から次にシャッターを押すようになった。シャッターを押せば、そこにまるで自分が在るというかのように。

あの日。友人に頼んで付き添ってもらい、久しぶりに閉じこもっている部屋の扉を開けた。友人と共に始発電車に乗ったあの日。雪が舞い散っていた。

それが、私と写真との関係の、始まりだった。

2011年9月22日木曜日

あの日

あの日。私はもう倒れそうになりながら、それでもじっと、自分の順番が来るのを待ってた。
病院の待合室は満員で。私はそこに座っていることさえ苦痛で。だから待合室を飛び出し、非常口から階段へ滑り出た。そこには誰もいなくて。だから私はほっとして、ようやっと周りを見ることができた。
それは雨上がりの日で。来る道筋にも水たまりが幾つか在った。

ふっと、階段の手すりから身を乗り出してみれば。
あぁここから墜ちたら、私はいなくなることができるかもしれない、と。そう思った。八階の階段。死に切れるかどうかは分からなくても。とりあえずここから逃げることは、できる、と。そう思った。
その私の目に、飛び込んで来たのが、この光景だった。

あぁ、綺麗だ。そう思った。
私は階段を、震えながら一段一段下っていった。下って下って、ようやくその場所に辿り着くと。
そこには水たまりがひっそりと、横たわっていた。
気づいたら私は、持っていたカメラのシャッターを切っていた。

モノクロの世界の住人になって久しい私には、まさにこの写真のようにその場所は映った。あの時の私が、ここに在る。あの時この光景が眼に入らなかったら、私は思いっきりあの手すりを越えて、この場所に墜ちていたかもしれない。

写真はそうやって、私にあの一瞬を、越えさせた。

2011年9月20日火曜日

今、同じ場所に立てば

この写真を撮った時。
私は怯えていた。ただ怯えていた。
もう消えてなくなりたいと思っていた。この場から逃げられるならいっそ消えてしまいたいって。
逃げ出したくて逃げ出したくて消えてなくなりたくて。だから思いっきり強くシャッターを押した。シャッターを押すことでしか、私は逃げられなかったから。

あの頃私の世界はモノクロで。他人と共有できるはずのカラーの世界は或る日反転したままピクリとも動かなくなった。以来私はモノクロの世界の住人になった。

突如のっぺらぼうに見えて来る人、人、人。のっぺらぼうのヒトガタが押し寄せて来る。耳を塞いでも目を閉じても、それは怒涛のように。
だから私はこの時、逃げ出した。一瞬でもいい、ヒトガタの群れから逃げ出したかった。そうして逃げて、私は暗い暗い階段の陰に隠れた。
隠れながら、見上げた窓。
そこには相変わらずのっぺらぼうのヒトガタや巨大なビルがうねうねとうねっており。
私の心臓はもう、止まりそうなくらい、波打ってた。喉が潰れそうなほど、声なき悲鳴を上げながら。

どうして私の世界はこんなになってしまったの。どうしてどうしてどうして!
ただひたすら、その問いが私の中、ぐるぐる回ってた。

今、同じ場所に立てば。
私の世界は仄かに色を帯びて在る。人波もヒトガタの群れなんかじゃなく、一人ひとりがちゃんと違う顔をしており。眼も鼻もちゃんと在って。
それでも。背筋が寒くなる一瞬があるんだ。
私の瞼の奥には、まだあの映像が貼りついていて。いつまた自分があの世界の住人に戻ってしまいやしないかと怯えながら。ここに、私は、在る。

2011年9月15日木曜日

幻霧景Ⅰ-17

焼く時はただひたすら
祈りながら焼いた。
何処までも深く深く、誰の事もどんな事をも受け容れるだけの深さが、同時に浅はかさが欲しい、そう祈りながら。

届くだろうか、貴方に、届いてくれるだろうか。
貴方の中のいとおしい景色の破片に、何処かで繋がってくれるだろうか。
もしすぐに繋がることがなくても、仄かに匂いくらいは、そう、まるで残り香のように、貴方の内奥へと、伝わっていって、くれる、だろうか。

そう祈りながら、これらの作品を「幻霧景」と名付け、世界に送り出します。
「幻霧景」と貴方と、しばしの間でも見つめ合ってもらえたら、幸いです。


2005年11月 にのみやさをり/「幻霧景」という名の光景について

2011年9月1日木曜日

幻霧景Ⅰ-16

誰の中にも、恐らくあるであろう、
帰りたい景色。
でもそれは決して、たとえば「旧き良き日本の風景」というような、特定の場所や時を指示してしまうものではなく、もっとこう、具体的な形がすっかり溶け果てた後に残る、一つの小さな塊、或いは芯、といったようなもの。
とても懐かしく、同時に途方もなく切なくて残酷で、そして、何処までもやさしくやわらかい、
帰ろうとする者をすべてあるがままそのままに受容するであろう仄景色。
そういったものを、私は、描きたいと思った。

まだ夜が明ける前の、朝露に濡れる芝の上を走り、転がり、横たわり。
そして、ぱっくりと明けた東の地平線から真っ直ぐに伸びて来る陽光は、瞬く間に辺りを照らし始め。
それまでおぼろげでしかなかった様々な世界の輪郭が、露わになってゆく、そんな中で、撮影した。

(続く)

2011年8月30日火曜日

幻霧景Ⅰ-15

すうっと風が通り過ぎた後、ふと私は少女に近寄った。
彼女のアップを撮りたいと思ったからだ。
何も云わずカメラを構えたまま私は近づいてゆく。
鼻歌を歌いながら空を見上げていた少女が、私に気づいてじっとこちらを見つめて来る。
気づけば彼女は鼻歌を止めており。ただただこちらを、じっと見つめるのだった。

一瞬こちらが怯んでしまいそうなほど真っ直ぐな瞳。
それは澄み渡る空と同じように透明で。
いとおしかった。

東の空は明るく光溢れ。
さんざめく緑が風にさらさらと揺れている。

2011年8月26日金曜日

幻霧景Ⅰ-14

おもむろに樹に寄りかかる彼女と、高みを見つめる少女と。
彼女らをフレームに捉えながら、私は思っていた。

私たちに懐かしい場所があるとして。
もちろん誰しもにそれは在るだろう。たとえば祖母の庭、たとえば母の懐、たとえば。
でもそうじゃない、もっともっと深い、懐かしいの根底にある何か。
それをどうやったら形にできるだろう。

爽やかな風が鳥たちの囀りを乗せて芝生を渡ってゆく。

2011年8月22日月曜日

幻霧景Ⅰ-13

少女が真っ先に靴をはいた。まだ幼い彼女はこの時、何を考えて何を思っていたのだろう。もしかしたら先ほど約束したアイスクリームのことなど考えていたのかもしれない。
夜明け前からの撮影、疲れたろうに、そんな顔はこれっぽっちも見せず、むしろ少女はうきうきと楽しげに見えた。

すっかり陽射しに掻き消された霧。まさに幻のようにそれは消え去った。
今ここにあるのは流れ往く風と陽射しと樹々と、それらの醸し出す心地よい匂い。
私たちは誰ともなく深く深呼吸していた。その匂いを胸いっぱいに吸い込んで。
見上げる空は、水色の水彩絵の具をざっと平筆で引いたみたいに美しかった。

2011年8月17日水曜日

幻霧景Ⅰ-12

気づけばすっかり夜は明けており。燦々と降り注ぐ陽射しが眼に眩しかった。
そろそろ撮影も終盤。三人が三人とも、口に出さないけれどそれを感じていたのだろう。
林の端に位置する小さな丘の中ほどに、一本の樹が立っており。二人はその樹に今寄りかかっていた。
その樹は他の樹とは種類の異なる樹で。一本だけ、大きく大きくそこに茂って在るのだった。

三人共、足の裏はもうすっかり泥だらけで。でも、その泥だらけの足がなぜか心地よいのだった。土は肌にやさしい。私にはそう思える。

2011年8月12日金曜日

幻霧景Ⅰ-11

この年、蝉が実にたくさん羽化していた。
この朝も、あっちこっちに脱ぎ捨てられた蝉の抜け殻が転がっていた。女の子がそれを、ひとつ、またひとつ、拾ってはポケットにいれてゆく。
撮影が終わる頃には、その抜け殻はポケットの中、くしゃくしゃになっているのかもしれない。それでも彼女は、ひとつ、またひとつ、ポケットに抜け殻を入れてゆく。大事そうに。

その時ふわぁっと東からの陽光が弾け。少女の髪がきらきらと輝いた。まさに天使の輪がその髪を彩っていた。

2011年8月8日月曜日

幻霧景Ⅰ-10

靄につつまれていた風景が露わになり、緑の芝がくっきりとその姿を現し出した。そこに横たわる二人。
しんしんと、静かな時間が流れていた。

そういえば花がないね。そんなことを彼女が呟き、私は辺りを見回した。あぁ季節の狭間のせいかもしれない、花らしい花が今咲いていない。改めて気づく。
夏の終わり、少女はふとしたときに物憂い眼差しをしてみせる。まだそんな年齢でもないだろうにと思った直後、思い直した。
この一瞬、一瞬のうちにも、彼女は成長しているのだ。そう、この撮影の間にも。

2011年8月5日金曜日

幻霧景Ⅰ-09

この頃私はまだ、自分の腕を切り刻んでしか今日を越えることができない位置にいた。
そんな私にとって、「暗室」が味方だった。
自傷の発作の波が襲ってくる、その予感を感じたらだから私は、速攻で風呂場に飛び込み、暗室を作り、プリント作業を始めた。
その作業だけが、私を、自分の腕を切り刻むことなしに夜を越えさせる、唯一の術、だった。
だからかもしれない。
時間を見つけては、彼女らをフィルムに刻み込んでいた。彼女らの季節季節に立ち会い、フィルムにその姿を刻み込み、プリントしていた。

そんな私の隠した姿を責めることもなく、彼女らはいつも、付き合ってくれた。

夜明けからだいぶ時が経った。だんだんと肩に背中に、東から真っ直ぐに伸びて来る陽ざしを感じるようになっていた。それは一刻一刻強くなってゆく。
そんな光溢れる中、私達は佇み、歩き、歩いてはまた佇んでを繰り返していた。

2011年8月1日月曜日

幻霧景Ⅰ-08

写真を撮らせてもらうとき、必ず確かめることがある。
「裸足になってもらえますか?」ということ。
それがアスファルトだろうと土だろうと、裸足の足で歩いてほしい、それを撮りたい、というのが私の中に在る。

直に感じてほしいと思うのだ。
アスファルトならアスファルトの固さを、土なら土のぬくみを、肌で直に感じてほしいと思うのだ、せめて撮影の間くらい。
人はいつの間にか、何枚も何枚も衣を着こんで、肌で世界に自然に触れる部分がどんどん減って来ているように思う。
別に裸になればいいとは思わない。ただ。
世界の呼吸を、鼓動を、自然の呼吸を温度を、感じることは忘れてほしくない、と思う。
だからもちろん撮影している私も裸足だ。
カメラを持ちながらぬかるみでつるりんと滑りかけること多々あるが、それでも、彼女らと同じように裸足になり、走り回り、這い回り、そうやって、撮り続ける。

2011年7月28日木曜日

幻霧景Ⅰ-07

ふたりを撮るのは数度目なのだけれど。
そのたび思う。このふたりは親子のように似ているな、と。実際、以前発表した作品では、数人の方から「このおふたりは親子ですか?」と尋ねられた。
何だろう、顔が、というよりも、醸し出す雰囲気が、妙に似ている。

しんとした森林公園。そろそろ夜も明けて、ちらほらと犬の散歩やウォーキングをする人達の姿が。
私達は、その人達の間を縫って、隙間を見つけては立ち止まり、撮影を続けた。

うまく言えない。うまく言葉が見つからない。が。
ふたりは、決して自分のペースを崩さないところが、似ている。周りにどんな、誰がいようと、自分のペース、自分のテンポは譲らない、崩さない。
だから私は安心して、カメラを構えていられる。

2011年7月25日月曜日

幻霧景Ⅰ-06

私はこの写真が好きだ。
これを撮った時、こんなふうに出来上がるとは思っていなかった。というよりも、私は撮影中というのは無我夢中ゆえ、何の計算もできていないから、仕上がりのことなんて考えていられない。考えていない。
現像して、浮かび上がって来た像を見た時、うわぁと思った。
樹々が彼女らを守ってる。
そんなふうに見えた。
大きな大きな樹という家の中にひっそりと二人が佇んでいる。そんなふうに。

本当は。誰もがこの星の上、そうやって守られているんだと思う。いや、守られている筈なんだと思う。
それがいろんなものが奪われ、削がれ、そうしていくうちに、まるで自分はおっぽり出されているような、放り出されて棄てられてしまっているかのような、そんなふうに感じずにはいられなくなってしまうんだと思う。
人は人によって、そうやって、いろいろなものを奪われ、削がれてゆくんだな、と。いや、殺がれてゆくのだな、と。

そんなことを、思う。

2011年7月21日木曜日

幻霧景Ⅰ-05

こちらはもう少しだけ若い桜の樹。真っ直ぐな幹がそれを物語っている。その樹を挟んで、それぞれの位置に座りこむ二人。
あとで知ったが、この時二人は何を話していたのか。それは、撮影が終わったら一緒にアイス食べようね、何のアイスがいい?と話していたという。後になってそれを知り、思わず噴き出してしまったことを覚えている。

一方私はといえば。地べたを這いずり回っていた。
どの角度から撮ったら二人が美しく見えるだろう。そんなことを思いながら、地べたを這いずり回っていた。撮影の際泥だらけになるのは私の場合いつものこと。

静かな朝、かかっていた靄はいつのまにか薄らぎ、鳥の囀りが遠く近く響いていた。

2011年7月18日月曜日

幻霧景Ⅰ-04

 突然、少女が再び駆け出した。今度は自ら駆け出した。
長い髪が彼女の足を一歩進めるたびにひょんひょんと跳ねた。
微かな朝陽を受けてきらきら輝く黒髪には、天使の輪が産まれており。
じっと見つめていると、余計なものはすべて削ぎ落とされ、
私の目の中にはただただ、少女の掛けてゆく姿のみが写しだされる。

まるでスローモーションのようになって、少女は一歩また一歩、走り去ってゆく。
朝陽がまた一段高いところに上ってゆく。

ふと思う。道は人が作るのだ、と。私の前に道はなく、だから私自身が道を作ってゆくのだ、と。走ってやがて谷間に点のようになって消えてゆく少女の姿は、切ないほど純白だった。

2011年7月14日木曜日

幻霧景Ⅰ-03

それは桜の樹、もういつ終わりが来てもおかしくないほどの老木。
私がこの場所を最初に訪れた時から、勿論ここにずっと在り続けている。
大きく枝を横に広げ、それはまるで子供らを抱き抱えるかのような格好で。
すると少女が何も言わずそこに登り座りこんだ。
それを見ていた彼女が、幹の一番根元にすっと腰を下ろす。

まだ夜が明けきらない中、私達はそうして少しずつ少しずつ動き始めていた。

もう桜の花ががすっかり散り落ちて、地面を覆う芝は緑に輝いている季節。
しっとりと露に濡れた芝が、私達の足をすっぽりと包み濡らしてゆく。

2011年7月11日月曜日

幻霧景Ⅰ-02

まだ公園の街灯は点いたままだった。
うっすらと霧が出ており。まだ私達の他に誰ひとり公園にはいなかった。

私達は別に、どんなふうに撮ろうとか、どうやって撮ろうとか、そんな話は事前に一切しない。彼女たちが自由に動き回るのが基本で、それに対して私が時々、もうちょっとこっち来て、とかもうちょっとだけ後ろに下がってみて、と声を掛けるのみ。
それがいつもの私達のスタイル。

そんな私と彼女との間で、その少女は何を感じていただろう。
何を質問してくるわけでもなく、すっと立って、私達の間を往ったり来たりしながら間合いを計っている。
まだ五歳の彼女の動きは絶妙で。私はカメラを構えながら、思わず、よしっと声を掛けてしまう。

2011年7月8日金曜日

幻霧景Ⅰ-01

それは夜明けとともに始まった。まだ薄暗い森林公園。
うっすらと霧のかかった朝の光景。どの樹もどの樹も、しんと鎮まり返っている。
その静けさがたまらなく心地よい。
私のフィルムの感度で、ちょうどこれが始まりの時刻。

広がる草の原を見つめていた私は、その子に声を掛ける。
ねぇ、あそこまで走ってみようか。

その子はコクリと頷き、私の掛け声とともにダッシュした。
小さい子にはまだその距離は辛かったろうに、それでもその子は必死に丘を駆け上がっていった。
一方私は、シャッターを切り続けている。

そして私がカメラを下ろすと、それまで私の隣にいた彼女がその子を迎えに、自然歩きだす。
撮影の、始まりだった。

2011年7月5日火曜日

鉄棒

当時住んでいた部屋は小学校のすぐ裏手にあった。そのおかげで玄関を出ると目の前に教室や校庭が広がっていた。時折休み時間にベランダから娘が手を振ってくることもあった。

その小学校の校庭の、一番端っこに、その鉄棒はあった。
いつ見ても、他の遊具より人気がないらしい鉄棒。鉄棒を使って休み時間に遊ぶ子は今はそれほどに少なかった。
私はそんな寂しげな鉄棒が、いつも気になっていた。

ふとカメラを構え、シャッターを切る。
それをプリントして、はっとした。
鉄棒の周りには、幾つもの足痕がちゃんと残っているじゃないか。
あぁそうか、私が見ている時たまたま鉄棒で遊んでいる子がいなかっただけで、実はここで遊んでいる子たちもちゃんといるのだ。
そう思ったら、なんだかほっとした。

子供の頃、私は鉄棒が大好きだった。別に得意だったわけではない。ただ、
鉄棒にあがった分だけ、背が高くなって、世界をその高いところから見回すことができる、そのことが、私は心地よかった。
片足をかけてくるくる回って着地する。それを繰り返しているといつの間にかふらふらになってしまうのだが、そうやって見る世界もまた、私には面白いものだらけだった。

娘に或る日尋ねてみた。「ねぇ鉄棒って好き?」
娘は即答。「キライ」。
え?なんで? だって今の担任、自分が鉄棒がうまいんだって自慢ばっかりするんだもん、なんか嫌だよ。そうなんだ…。あ、でもね、自分で好きに鉄棒やるのはいいんだ、面白いからね。そうだね、面白いし楽しいよね。うん。
子供はよく大人の様子を見ている。大人のすることなすことちゃんと見ている。私は心の中どきりとしながら小さく笑った。

2011年7月1日金曜日

祈々花々Ⅲ


日没とともに響いた産声の
向こう岸では今
三途の川を渡り始めた影が
ちらちら 揺れる

法で裁けぬ罪が
一体幾つ あるのだろう
法で裁けぬ罪ばかり
今日も巷に降り積もる

祈ろう ただ祈ろう
今できることは それのみ
祈ろう ただ祈ろう
静かに静かにそっと
誰の為にでもなく

この眼を潰したなら
見えるものがあっただろうか
この耳を潰したなら
聴こえる声があるだろうか
銃弾の代わりに 一輪の花を
百の言葉の代わりに 一輪の花を

誰かが潰した足痕が
今日は誰かの枕木になり
誰かの潰した喉元が
今日は誰かの声となり
それでもここに在ったよ と
誰が覚えていただろう
誰が覚えているだろう

だから祈ろう ただ祈ろう
今できることは ただそれのみ
静かに静かにそっと
誰のためにでもなく

だから祈ろう 今はただ祈ろう
静かに静かにそっと
誰のためにでもなく
傷つけ傷つき、それでも覚えているよ と
歌い続け、祈り続け、そして、

この夜を 明ける

2011年6月27日月曜日

祈々花々Ⅱ

ひとりで西の街にぽつりと暮らしている彼女は、よく声を失った。酷い悪夢やフラッシュバックに魘される日々を過ごすと、気づけば声が失われていた。
殆ど聴き取れない、掠れた声で必死に、電話を掛けてくる、彼女の声を今、ありありと私は思い出す。

私がこのシリーズに「祈々花々」と銘打ったのは何故だったんだろう。気づいたらそうしていた。
花を胸の前に抱いて立つ彼女は、私のファインダーの中、小刻みに震えていた。それでも彼女は黙ったまま、必死に両足を踏ん張っていた。
そんな彼女の姿に、私は自然、祈っていた。どうか彼女の心が体が、これからの戦いにも耐えてゆけますよう、どうか彼女がそんな戦いを、越えてゆけますよう。

そして気づけば私はこれらの写真に、「祈々花々」と名づけていた。

2011年6月24日金曜日

祈々花々Ⅰ


彼女と知り合ったのは、もうかれこれ四年前になる。
その頃彼女はまだ、一被害者だった。そう、一性犯罪被害者、だった。まだまだ生のままの傷を抱え、かさぶたの下には膿を抱え、全身で悲鳴を上げていた。彼女の一歩一歩が、まさに血の悲鳴だった。

知り合って程なく、彼女をよく撮るようになった。被害の折に写真を撮られていた彼女は、シャッターの音に恐怖を覚える人だった。だから私は、極力シャッター音の小さいカメラを選んで撮った。

あの日、二人で花屋へ行った。花屋で、あれでもない、これでもない、と、花を選び、その束を抱きかかえて家まで帰った。
そうして窓の外、日が傾いてゆく中で、これらを撮った。

2011年6月21日火曜日

トンネルの先に

あの日の撮影の最後に、この一枚を撮った。
ふらふらして足元の定まらない彼女を、私は片手で支えながら、そうして撮った。撮り終えた後、二人とも、へなへなと座り込んだような記憶がある。約二時間の撮影。夜明けと共に家を出、そうして太陽は今、私たちを照らしていた。

どうして最後にこんなカットを撮りたかったんだろう、私は。
普段殆ど指示を出さない私が、あの時は、こうして、と、強く頼んだ。
彼女の手の中に、その輪の中に、光が欲しかった。彼女がこれから歩く道が、どんなに今暗闇であろうと、その先は必ず光溢れる場所に繋がっていてほしい、そう思った。
ただ、それだけを願った。

明けない夜がないように、彼女の道程がいくら今真っ暗闇であっても、その先には必ず光が待っている。私はそう信じたい。

2011年6月16日木曜日

水鏡

私は水が好きだ。池も湖も海も川も。水の類は全部好きだ。泳げもしない頃から、水辺に魅せられていた。陽光に煌く水面も、夜闇に沈む水面も、どちらも。惹かれてしまう。
前世はもしかしたら、魚だったんじゃないかと思ったりも、する。

あの日、Nちゃんが隣にいた。性犯罪被害者となってしまったNちゃんは、まだ被害から間もなくて、毎日毎日が戦いだった。
あの日の朝も、起き上がろうとしては倒れ、痙攣を起こし、意識を失い。私はただ彼女の手を握って、彼女の意識が戻るのを待つだけだった。

悪夢に魘される夜。フラッシュバックに襲われる朝。記憶を失う昼。そうした毎日の繰り返しの中でも、彼女は必死に戦っていた。
あの日、震える足で私のカメラの前に立ち、舞い踊ったNちゃん。
数週間後、ここからはひとりで頑張ってみます、と、電話をくれた。
今きっと彼女は、この空の下、ひとり戦っているに違いない。

あの日、Nちゃんが隣にいた。
水鏡はしんと鎮まり返り、私たちと共に在った。

2011年6月14日火曜日

日没の刻

鳥列を追いかけながら気づく。ああ、今、今まさに太陽が堕ちる。私は突然、立ち止まり、じっとその様を見つめた。
見つめなければいけない、そんな気がした。

そうしてぽとん、と、あっけなく太陽は堕ちた。地平線に沈んでいった。辺りは突然薄暗くなり始め。私はその時初めて、寒い、と感じた。
太陽がどれほどのものを、この地上に与えていたのかを、痛感した。いつのまにか鳥列は消えており。私はまるでこの砂地に取り残されたかのような、そんな気がして。

帰ろうか。
うん、帰ろうか。

どちらともなく言い交わし、歩き出す。防風林の中の小道はしっとりしており。私はそのまま裸足で歩く。
突然、私は振り返りたくなる。今度ここに来るのはいつになるんだろう。またおまえと会えるんだろうか。そんな不安に突如襲われて。
でも。
振り返るのは、やめた。私はきっとまた、ここに来る。そして再会する。この場所と。この世界と。またきっと。

2011年6月10日金曜日

海を渡る鳥たち

その時、ぎゃぁぎゃぁと少し掠れた、潰れたような鳥の鳴き声が響いてきた。驚いて振り返る。そこには一列になって波間を渡る烏たちの姿。
私はその見事な列にしばし息を呑む。烏がこんなふうに飛んでゆくのを、私は初めて見た。一糸乱れぬその鳥列。西の地平線に今落ちんばかりに傾いた太陽目掛けて、真っ直ぐに飛んでゆく。

気づけば私は、その鳥たちを夢中で追いかけていた。波に足がはまるのもお構いなしに走っていた。もちろん私などが追いつくわけはない。彼らはぐんぐん小さくなってゆく。
こんなふうに走ったのはどのくらいぶりだろう。子供の頃はこうやって思い切り走っては転んで怪我をしたっけ。生傷のたえない子供だった自分。
いつから妙な分別を身につけた? そうして身は徐々に徐々に重くなり、走ることを忘れていった。
こんなにも、気持ちがいいものだったのに。

2011年6月6日月曜日

波打つ砂紋

私は流木から立ち上がり、もう一度、砂丘を一周してみることにする。今度はカメラを手に持たず提げたまま、景色を見つめるのではなく眺めながら。

さっきまで見つめていたものたちを、今度は少し離れた場所から見る。紋様は見事なほどの波を描いており。草もたいして目立つわけでもなく、だからそこは、間違いなく砂丘の一隅であり。
ふと思った。人と同じ、だ。
離れていれば適度な距離をとって見ていれば、心地よい間柄を築ける相手であっても、近づきすぎたが故に傷つけ合い離れ離れにならずにはいられなくなる。

適度な距離。
世界にはそういう、物差しがあるのかもしれない。