2013年5月25日土曜日

彼女の肖像2-8


いつも、これが最期かもしれない、と思っている。これが最期の撮影になるかもしれない。彼女とカメラを挟んで向き合うのはこれが最期かも、と。
今回もそうだ。彼女の足は病巣はますます膨らんで、痛みを増して、彼女に圧し掛かる。私はただそれを見つめるしかできない。
それでも。だからこそ。私達は必ず撮影の最後にこんな言葉を交わす。
「今度どうする? いつにしようか?」
それが実現可能かどうかなんて問題じゃない。私達の気持ちが、そこへ向かっているということ、それを明らかにすることだけが、ここでは大切で、それ以外の何者でも、ない。
「また向き合うのだ」という気持ちを失わないこと。その為にも病に負けないこと。それが、私達を次に、明日に、向かわせる。

この日彼女は私が三月末に産んだ子を初めて抱いた。私の妊娠が分かってから彼女は言い続けていた。「絶対抱かせてね、抱くんだもん、あぁ楽しみ!」。
写真には残さなかった。残せなかった。でも。
彼女はじっと、小さな命の塊を見つめていた。何処までも何処までもいとおしげに。

彼女の命はあと、どのくらい。
その間彼女は一体どれ程の痛みに耐えねばならぬのだろう。
答えは、ない。でも。
彼女はとことんまで生きようと足掻くんだろう。私はそう信じている。だから私は、そんな彼女をただ、一瞬も見逃さぬよう、見つめ続ける。

(「彼女の肖像 vol.2 」 終)

2013年5月23日木曜日

彼女の肖像2-7

本当は。
もっと撮りたい、彼女を追っていたい、彼女を見つめていたい。でも。
私達に残された時間は、あと僅か。
強い北風は、容赦なく彼女の足から体から温みを奪う。それとひきかえに足には痛みが残される。それはどんどんどんどん強くなり塊になり。
なのに。
彼女は自分からもう終わりにしようと言わない。見かねた私が、今日はこれで終わり!と宣言する。
「どう?歩ける?痛みは?家戻ったらお風呂沸かす?」
「ん、いや、シャワーでいい」
「水貯めた方が楽じゃない?」
「ううん。痛み出したら、もう、あっためても何しても変わらないから。足洗えればそれでいい」

私は彼女が持っていた荷物を代わりに担ぎ、彼女は杖だけになって、二人元来た道を歩き出す。
(「彼女の肖像2-8」へ続く)

2013年5月20日月曜日

彼女の肖像2-6


あの約束を、私は一時たりとも忘れたことは、ない。だから、彼女と相対していて、つい手助けの手を差し出してしまいそうになるとき、心の中私は自分を平手打ちする。今この瞬間、手助けすることは簡単だ、でも。彼女はそれを果たして望んでいるのか? 今手を差し伸べることが果たして彼女にプラスになるのか? その問いが私の内奥でぐるぐる駆け巡る。
だから私は常に常に、自分に言い聞かせている。
同情は絶対にしない。その場かぎりにしかならないような手助けもしない。私は、あくまで彼女を、病を背負った彼女として扱うのではなく、病は彼女の一部に過ぎないとして接するのだ、と。
その時私達の右手からすうっと光の筋が伸びてきた。
「お、夜明けだよ、ほら」
「あ、本当だ…」
「よし、あの展望台まで歩こう、展望台から朝日見よう」
「うん」
私の足だけだったら、ここから数分で行ける展望台。でも。彼女が歩くとそれは、十五分近くかかるのだった。
そうしてようやっと辿り着いた展望台から、私達は並んで朝日を見つめた。お盆のように丸く燃える橙色は、一歩一歩、地平線から昇ってくる。まだ空に残る黒雲に時折呑みこまれたりしながら、それでも。
「足、どう?」
「痛い」
「どうする?」
「もうちょっと頑張れる」
「そっか」
「うん」
彼女のもうちょっとという言葉を握り締めながら、私は再び辺りを見回し、そして彼女に伝える。
「じゃぁあの芝生のところまで行こう、今日はもうそれで終わりにしよう」
「うん」
(「彼女の肖像2-7」へ続く)


2013年5月16日木曜日

彼女の肖像2-5


二年前。
彼女がサルコイドーシスだと分かり、抗がん剤治療をとりあえず一回目始める、その直前に彼女は私に言った。
「私を病人扱いしないでほしいの」
「どういう意味?」
「重病人って看做さないでほしい。ふつうの人として扱って欲しいの」
「なんで?」
「病気って認めるのも思われるのもいやなの。いや、病気なのは仕方ないけど、だからって同情されるの、イヤなの」
「わかった」
(「彼女の肖像2-6」へ続く)


2013年5月13日月曜日

彼女の肖像2-4


彼女の姿を捉えながら、その背後に広がる暗い空をじっと見つめる。夜明けはすぐそこ、でも夜明け前の今はまだ、空は闇に覆われている。どす黒い雲が冷たい風に追われている。
「生きてるね、まだ」
「当たり前じゃん、生きてるよ」
分かっている、当たり前なんかじゃない、相当の努力や忍耐をなしにしては、ここまで彼女が辿り着くことはできなかっただろうこと。分かっている。
でも、だから、私はあっさり応える。(「彼女の肖像2-5」へ続く)


2013年5月8日水曜日

彼女の肖像2-3


四月の朝、その日の朝は冷え込んでおり。彼女は杖を持って、私はカメラを持って、外に滑り出した。しかし、まだ二、三度シャッターを押しただけの時点でもう、彼女の足は外気の冷たさで痛みを発し始めていた。
「大丈夫?」
「うん、もうちょっとなら」
彼女のその言葉を頼りに、私は辺りに視線を走らせる。次何処なら彼女が座れそうで、何処なら彼女が歩いて届けるか。その間に彼女は、片手に杖、もう片手をガードレールに沿え、必死に足を前に進める。
彼女の足首を後ろからじっと私は見つめた。二年前の秋、私達がまだ写真を撮り始めた頃、同じような場面があった。あの頃も確かに彼女は杖を持っていた、が、それはまだ、杖を頼りにしていたわけではなく、あくまで添え物として杖があった。でも今は。杖は大切な大切な支えとなってしまっている。それが、現実。
そして彼女の足首を見て、私は心の中舌打ちした。明らかに太さが違った。あの、二年前の秋の彼女の足首は、折れそうなほど細く尖っていた。でも今は? ぱんぱんに浮腫んで、足首が半ば埋もれてしまっているという状態。両足共に。
「寒さが痛い」
彼女が呻く。
「もうちょっとだよ、ほら、あそこに座ろう」
私は声を掛ける。

(「彼女の肖像2-4」へ続く)


2013年5月5日日曜日

彼女の肖像2-2


今。彼女は杖なしでは歩けない。病が進行し、それと共に足に水が溜まるという症状に襲われるようになった。最初は月に一度、それがあっという間に毎週、極太の注射針をぐいっと足に突き刺して水を抜かなければ歩くことがままならなくなるという具合で。そこに線維筋痛症の痛み発作が重なればもう、劇薬とされる類の痛み止めを呑んでも痛みがきれいに消えることなどもはやない。彼女にできることはただひたすら、痛みの発作が去ってくれることを待つというそれのみ。
実際私と彼女が並んで歩こうと思ったら、私は自分の普段の一歩を五分の一くらいの幅にして、さらに速度を緩めて歩くしかない。杖を使って歩いていても彼女は、今、相当緩やかな速度でしかもう歩くことができなくなっている。しかも、歩ける距離や時間は本当に僅か。

それでもこの日、彼女は私のカメラの前に立った。(「彼女の肖像2-3」へ続く)


2013年5月2日木曜日

彼女の肖像2-1


彼女から初めてコンタクトがあったのが、2011年3月21日。
省みれば二年の月日が流れている。早いものだ。早かったけれどそれは、これでもかというほどの濃密な時間だったと言える。
大腸がんの発覚から手術、そしてサルコイドーシスの告知、抗がん剤治療、体のあちこちに現れ出る腫瘍への治療、新たに症状が発覚した慢性疲労症候群や線維筋痛症、そして実母が急逝しこの世に頼れるのはもはや自分独りになるという現実…よくもまぁたった二年という時間の中にこれだけの出来事が詰め込まれたものだと、呆れるほかない。そしてこれと同時進行で、彼女は性犯罪被害者となって背負い込んだ心的外傷後ストレス障害の治療として、PE(持続エクスポージャー療法)も受けていた。(「彼女の肖像2-2」へ続く)