小学校の運動会でのお弁当といえば、おいなりさんは定番の品のひ
それが、周囲を見回せば誰彼の弁当も華やいでいて。その中でも手
だから、私はおいなりさんをどうぞと差し出されても決して箸をつ
資格がない、私にはその資格がないから母も作らない―――そうで
今、家族を持つようになって。
最初の夫の頃、私は料理をするのが怖かった。必ず残され棄てられ
娘と二人暮らしになってようやく、私は久しぶりに安心して料理を
今新しい家族の為に私は毎日料理をする。幼子がいるとなかなか思
できるだけ作りたいと思える。それはとても幸せなことだと思って
食べてくれる人がそこに在て、食べてもらえると信じることができ
いただきます、ごちそうさま、が、何気なく当たり前に交わされる
そうして私は或る日突然あの、おいなりさんを思い出した。
あぁ、今なら作ることができるかもしれない、自分にも。そう思え
作って、そうして、皿に並べて。食卓の中央に置かれた大皿の上、
母がおいなりさんを作らなかったことには何か理由があったのだろ
なぜなら。
私は、おいなりさんや弁当を作ってくれなかった母を、もう恨んで
あの頃、母が料理をほとんどせず、あの人の背中ばかりを見せ付け
あの頃、母や父から無言のうちに圧し掛かられていたその精神的肉
そんなことを、思うから。
別に、父母を赦そうとか何だとか。
もはやそんな大袈裟なことでも何でもなく。
あぁあの人たちもきっと、あの人たちならではの人生を今日の今日
私は私の人生を、しかと掴んで、積み重ねて、死んでいけばいいだ
他の誰の為でも何でもない、ただ、私の為に私の幸せを味わってい
おいなりさん。
また作ろう。