2014年12月25日木曜日

徒然記 20141225


この時期になると私は徐々に具合が悪くなる。いわゆる記念日反応の症状が始まる。
二十年経ってもそう。もうこれは、致し方ない。

二十年前、私の親友もこの時期に被害に遭った。
彼女はクリスマスに、私は阪神淡路大震災の直後に。
その後私たちが選択したことは、右と左くらいにそれぞれ別で、
だのに心が辿る道筋は、殆ど一緒だった。
だからかもしれない、彼女とは親友という言葉より、戦友という言葉が似合う。

この時期しんどくなると、だから、彼女を一番に思い出す。
しんどいのは自分だけじゃない、彼女は彼女で今必死にここを越えようと抗っているはず、
ならば私もここを越えねば、と。
ただひたすら、その一念で、私は這いずる。

そんなこの時期、川縁に植えられた桜の樹にはすでに花芽が孕まれており。
散り落ちた葉の後からもうすでに固い芽が現れており。
ああそうか、葉が散り落ちるのはこの芽をこの世に運び出すためだったのだ、と気づかされる。
そうやって、植物は連綿と、命を繋ぐ。

ひとも。
そうやってひとからひとへ、命を繋いでいるんだと、思う。
ただ、そのやり方が、時々ヘタッピイになるから、ぶちっと緒が切れたり、緒が絡まったりしてしまうんだろうな、と。

たとえば母から私へ。私から娘へ、と繋がれるバトンは
一体何を孕んでいるのかと、改めて考えてみる。
母が担った荷物を、私が背負えるわけでなし、私が背負った荷物を娘に背負わせるなんて考えただけでもぞっとするわけで。
それでも。
母から私へ、私から娘へ、と、連綿とバトンタッチされてゆくものは確かにあって。

今更だけれど。そういうずっと続いてきたものたちを大事に慈しみたいなと、思ったりする。
ひとがひととしてあるということの意味を、噛みしめながら。

植物の営みを、見本にしながら。


2014年12月6日土曜日

handmade photo book "A thin and tiny voice"

I'm selling a handmade photo book in my HP now.
This book of the title as "A thin and tiny voice".
I kept taking sexual misusage and survival of sex crime damage for a long time.
Their voice is low. That's very small.
But they live strenuously anytime.
Damage undermines them, but they're making an effort in order to surpass that on a day in sometime.
I took them.
Those pictures were gathered by this one copy.

2014年11月17日月曜日

「落し物は何ですか」


  そういえば君の誕生日だったのか、と、気付いたのはもうその日から一週間も過ぎてからだった。今度の誕生日は25歳になるし、つきあい始めて五年目の記念日でもあるから、その日はどんなに仕事が忙しくても何でも、ちょっとでもいいから必ず一緒に過ごしてね、と、普段にはない甘え声で君が俯きながら言ったのは、多分、そう、半月前のことだったと思う。
 記念日って類をあまり記憶してない僕は、君に言われなければ、君の誕生日ってことも思い出さなかっただろうし、それが二人が付合い始めて五年目の記念日だなんてこれっぽっちも省みることはなかった。言われてからも正直、五年目だから何だっていうんだ、という気持ちの方が大きい。君こそどうしてそんなことにこだわっているのかと、不思議になる。
 そんな僕だから、君が言う記念日、誕生日でもクリスマスでも何でも、たいていすっ飛ばして、君を一人にさせて、仕事にかまけているという具合だ。君はその度、恨み言を一つ二つ言うのだけれど、言われたその時は僕も、あぁ今度は、と思うのだけれど、習慣を変えるというのは思った以上に難しいことらしく、この五年というもの、君の誕生日をその日にまともに祝ったこともなければ、クリスマスを一緒に過ごしたのもつきあい始めて最初の年だけ、一方君は、僕の誕生日には僕が忘れていても、必ず僕の部屋にやってくる、といった具合だった。
 あぁ、君の誕生日だった、忘れてた、と思い出した僕は、いまさら遅いと一度は放ったものの、あの時の君の甘え声が引っかかって、もう一週間も過ぎたけれどやっぱり何かプレゼントでもしようか、と思い直した。とはいっても何をプレゼントすればいいのか思いつかない。面倒臭くなって、仕事場の近くのデパートで、君の好きな青い石のピアスを買った。
 その足で君に会いに行こうと電話してみると、通じない。もし留守なら必ず留守電にしておく君なのに、留守電に切り替わることもなく、延々と呼出音が続く。どうしたのだろう。これまで一度としてこんなことはなかった。何かあったのだろうか。そういえば、この一週間というもの、君からの電話はなかった、もちろん会ってもいない、ってことは、君の誕生日を僕が忘れていたにも係らず、君は普段言う恨み言を僕に言ってくることさえなく過ぎていたってことだ。そのことに気付いて僕は慌てた。いつもならもうとっくに君から「誕生日くらい覚えておいてくれてもいいのに」とか、「一緒に過ごそうねって言ったのに」という言葉を受けているはずだ。
 電車に飛び乗り、君の部屋へ向かう。すっかり暮れ落ちた街の灯りが窓の外を流れ飛ぶ。
 君の部屋に辿り着いてブザーを押す。返事がない。ノブに手をかける。と。鍵が開いている。僕の不安は一気に倍増する。
 勢いで扉を開け、部屋に駆け込む。と。
 君が床を這っている。いや、何と言うか、床の上を手であちこち撫ぜながら、這いつくばっている。無言で。
「何やってんの」
 問いかけると、君は僕を振り向くこともなく言った。
「目を落としてしまいました」
 あまりの突飛な君の言葉に、僕はあんぐりした。こんなに心配して何かあったんじゃないかと心配して走って来たってのに、何言ってんだ、と一気に不快感がこみ上げた。
「何言ってんだよ、おまえ」
「目を落としてしまったんです」
 それでも君は繰り返す。その間も君の手は、右に左に前に後ろに床を這い、落としたらしい何かを探している。
「目って何の目だよ、何を落としたっていうの」
 僕は不快感が頂点に達する一歩手前で君にそう言った。すると、君が無機質な口ぶりで、僕に、いや、まるでテープに録音された朗読かなにかのような口調で宙に向かってこう言う。
「私の目です。目を落としました。探してください」
「冗談もたいがいにしろよ、おまえの目、そこについてるじゃないか」
「いえ、落としちゃったんです。ないんです。私の目がないんです。探さないと。一緒に探してください」
 僕は、何か、別のものを見ている気がした。君ではない別のものを。君は君で、僕を僕と思っていないかのようだった。さっきまで僕の左前方に居た君は、床を撫でながら這って来ていつのまにか僕の目の前に来ていた。目の前にいるのに、床を這っている君の目に少なくとも僕の足は映っているはずなのに、君にはそれが映っていないかのようだった。実際、君は僕の足にぶつかったのだから。僕の足にぶつかった手は、しばらく僕の足首を触って確かめていたが、やがて右にそれて行った。そしてまだ探している。何かを。
 とにかく気を鎮めようと思った。このままじゃ君をぶっ飛ばしたい気分になってしまう気がした。せっかくプレゼントを買ってここまで走ってきたのに、そりゃ一週間遅れたけれども、でも、それでも、思い出して今日こうしてプレゼントを買ってお祝いしようとやってきたのに、そういう何もかもを一瞬にして台無しにされれば誰だって不愉快になるだろう。でも、このまま不愉快だと済ますのも躊躇われ、僕はともかくも気を鎮めようと思った。
 君はまだ床を這っている。
 そんな君を眼の端にとらえながら僕は、カーテンも閉め切ったままの君の部屋をぐるんと眺めてみる。いつもの君の部屋だ。別に何も変わっちゃいない。いや、待てよ、違う、テーブルが飾られている。僕はようやく気付いた。
 二人分の食器にグラスに。中央には萎れた花。眺めていて、気付いた。君は一週間前の誕生日を、一緒に過ごそうと祝ってと言った誕生日を、こうして準備して待っていたんだってこと。
 一気に不快感が萎え、代わりに申し訳なさがじんわりと僕の中にこみ上げてきた。そうして君を振りかえると、やっぱり君はまだ床を這っている。
「ごめん。せっかく待っててくれたのに。忘れてたんだ。今日改めてお祝いしようよ」
 そう君に言う。
 君はテーブルの下に入り込んで、床を撫でている。
「なぁ、いい加減にしろよ、なんで目が落ちてるんだよ。おかしいぞ」
 言いながらしゃがみ込んで君の顔を覗き込むと、君は涙をいっぱい目に溜めていた。
「目、あるよ、そこに。付いてるじゃないか。落ちてないよ」
 僕は何とか君に床を這うのを止めさせようと、もう一度君に言った。すると君は、溜めていた涙をぽとんぽとんと落としながら、かすれ声で
「ないんです。ないんです。目がないからカレンダーも時計も何も見えない。あなたの顔も見えないんです。目を探してください。私の目。探してください」
 もうどうしていいか分からなかった。君が狂ったとしか思えなくなってきた。最初は冗談だと思って、悪ふざけかと思って見ていたけれど、今目の前で涙を流す君はどう見ても、冗談には見えない。試しに聴いてみた。
「いつ落としたの?」
 君が答える。
「24日です」
 それは君の誕生日だ。僕は続けて君に尋ねた。
「どうして落ちちゃったの」
「分かりません。あなたが来るのを待っていたら、突然目が落ちてしまったんです」
 君の誕生日に君は、この部屋で、僕を待っていたら、そしたら目が落ちたってことなのか。
「ずっと探してるの?」
「だって。だって、目がなくちゃ、どうしたらいいんですか」
 僕はもう、何も言いようがなかった。だって、君の目はちゃんと君の顔にくっついている。この前、半月前に会ったときと同じように、この五年、飽きるほどに見慣れた君の顔にちゃんとついている。それなのに君は、目がないと、目を落としたと、そう言う。床にへたり込んだ僕は、それからしばらく床を這う君を眺めていた。でも、こうしていてもしょうがない。
「ねぇ、もう今日は止めようよ。明日、もう一度探したら。そしたら見つかるかもしれないじゃない」
「…」
「一緒に探すから。な」
「はい」
 君はようやく、床を撫でる手を止めた。でも、君はすっかり目がなくなったようで、立ち上がろうとしてテーブルに頭をぶつけ、テーブルから出てこようとして今度は椅子にひっかかり、僕が手を差し出してもその手に気付かず、結局テーブルの縁伝いに椅子を引き寄せてそこに座った。君の顔についている目を僕が覗き込んでも、視線はそっぽを向いたままだった。結局その夜、僕が君を布団まで連れていって、一緒に横になって眠った。

 翌日になれば、きっといつもの君に戻っているだろうと僕はタカをくくっていた。目が覚めてみると君はもう目を覚ましていたらしく、横になっている僕の真横に膝を揃えて座っている。
「おはよう」
 そう声をかける。が、君は返事を返さない。
「どうしたの」
 僕は体を起こして君の顔を見た。すると、
「顔が。顔がないんです」
 僕は唖然とした。
「何処かに落っことしてしまったみたいです。探してください」
 目の次は顔か。一体何処に落っことしたっていうんだ。だって、君の顔はそこに、君の首の上にちゃんとあるじゃないか。
「もういい加減にしろよ」
 思わず僕はそう口にしていた。が、君の耳にそれが届いていたのかどうか。何故なら、いつもだったらそういう僕の言葉に瞬時に反応する君が、その時は全くといっていいほど反応がなく、絵に描いたように正座したまま止まっているのだ。もう理解の範疇を超えていると思った。このまま一緒にいるのは耐えられない。僕は、それ以上何も言わず、正座している君をそこに残して、逃げるように部屋を出た。

 目を落としました。探してください。
 顔を失くしました。探してください。
 君は一体どうなってしまったのだろう。目だって顔だって、ちゃんと在った。在るにもかかわらず君はそれを無いという。落としてしまったという。どういうことなんだろう。部屋を出てからも、同じ事をぐるぐるぐるぐる僕は考え続けた。考え続けたけれどそんな問いにそもそも答えが出るわけはない。在るものを無いと君が言っているだけなのだから、君が間違っているだけの話しだ。僕は、仕事場にゆくといつものように仕事をし、いや、いつも以上に仕事に没頭することで、君の奇妙な言葉を頭からかき消すことにした。昼休みも一服の時間もとらず、退社時刻まで一気に仕事にのめり込むなんて、そういえばどのくらいぶりなんだろう。就職して七年、入れ替わりの激しい仕事場で、新入社員だった僕はいつのまにか古株になっている。一生懸命なんて言葉はすっかり遠のき、何でも適度に適当に、こなす術を覚えた。でっぱらず、へっこまず、自分を適度に保つ処世の術も、今じゃ目を閉じてたってすんなりできる。
 勢いづいて、予定外の仕事もこなし、気付けば時計は夜を指している。帰宅しようとして、そこで、僕はまた君の言葉に躓いた。
 目を落としました。探してください。
 顔を失くしました。探してください。
 君は今日はどうしていたんだろう。もう正気に戻ってるだろうか。カバンの中には、昨日買ったピアスの小箱が、所在無さ気に入っている。どうしようか。迷いながら、気付けば僕は君の部屋の扉の前にいた。昨日と同じように呼び鈴を押す。返事がない。ノブに手をかける。やっぱり。昨日と同じように鍵がかかっていない。
 中に入ると。
 君は。君は、朝、座っていた場所にそのまま、同じ格好で座っている。まさかあれからずっとこうして座っていたんじゃないよな、と思いつつも、でも、全く同じ格好で、同じ場所に座れるわけもなく、つまり君は、あれからずっとここにこうしていたんだということを知る。呆れるを通り越して、僕は半ば恐ろしくなっていた。
「大丈夫?」
 そう声をかけてみる。声が上ずるのをどうにも抑えられない。僕は君を見つめた。返事がない。
「どうした。な、大丈夫か?」
 もう一度声をかける。今度は君にもう少し近づいて。すると、君がぽつり、言った。
「あなたが、いません」
 消え入りそうな声だった。
 そこにはまだ正気に戻っていないのかと思う隙間さえなかった。

 それから夜中になるまで僕は、君に、僕はここにいると言い続けた。が、君はそのたび首を横に振り、こう言うのだった。あなたがいなくなりました。探しても探してもいません。あなたがいなくなりました。
 頭の中がすっかり混乱してきた僕は、話しを逸らしてみることにして、目は見つかったのか、顔は見つかったのかと訊いてみた。すると、君は答える。目も顔も、失くなったままです。もう、何処をどう探していいのか分かりません。と。
 僕の喉はすっかり涸れ、君に、僕はここにいる、君の目も顔もちゃんとそこに在ると言い続ける気力も使い果たした。横になろうと明日になればきっとみんな見つかるよと言い、何とか君を横にならせたものの、君は目を見開いたまま、天井を見つめていた。いや、本当は君が天井を見つめていたのかどうか分からない。君の言い分に従えば君は目を失くしているのだから君の目が天井の方向にじっと見開かれていようとそれは、何も映していないのかもしれない。僕は、まるでガラス玉のように夜気を映す君の目を、これ以上見たくなくて、君の隣で目を閉じた。明日こそは、明日になれば、君はきっともとに戻っている。これは夢だ。夢なんだ、夢は必ず醒める。
 翌朝、自分が眠ったのか眠っていなかったのか分からないようなどろんとしただるさの中で瞼をこじ開けると、君は僕の横にいた。昨夜と同じく僕の横で、じっと仰向けになり、そしてやっぱり同じく、天井を見つめている。
「おはよう」
 君に言ってみる。今日こそは、今度こそは、おはようと返事が返って来ることを願いながら。すると君が言う。
「私を落としてしまいました」
 起きあがる気力が一気に吸い取られる気がした。僕は起こしかけた頭を再び、枕にうずもらせた。
 もういい加減にしてくれ。こんなことなら恨み言に一日二日付合うほうがどれほどマシかしれない。いや、三日でも四日でも、いくらでも付合うから、頼むから目を覚ましてくれよ。僕が君の誕生日を忘れてたのがそんなに不愉快なら、不愉快だってそう言えばいいじゃないか。いや、今年の誕生日だけじゃない、考えてみれば、つきあい始めてからずっと、君の誕生日にしても何にしても、君が記念日と言ってはしゃぐこと全部僕は、右から左へと流してきた。別に記念日じゃなくても、約束だよと君が言ったことを結構無視して、忘れて過ごしてきてる。それは確かに悪いかもしれないけど、でも。いや、そうじゃない、君が僕に言った言葉の殆ど、僕は聞き流してる。つきあい始めた頃はそりゃ、一生懸命耳を傾けていたりしたことがあったと思うけど、もうこれだけ一緒にいるんだし、お互いのこと良いところも悪いところもたいていのことは知ってる。だから、いちいち気に留めるのも面倒だから、喧嘩するのもかったるいし、だから、適当にやって、それで…。いや、そんなことはもうどうでもいい。君だってそんなことが言いたいんじゃないんだろ。そんなんじゃなくて、あぁ、だからだから…、頼む、目を醒ましてくれよ、そしてちゃんと話しをしよう。話しを。ねぇ、プレゼントを買ってきたんだ、君の誕生日だったろ、遅れてごめん、遅れたけど、君が好きな青い石のピアスを買ってきたんだ、お祝いしようよ、な、今からお祝いしよう、それで、ちゃんと話そう、今日は二人で話そう、向き合って過ごそう。だから頼むよ、もうその夢から出て来てくれよ、そうだよ、何も失くなってなんかないじゃないか、落とした落としたっていうけど何も落としてなんかいやしないじゃないか、君はここにいる、僕だってここにいる。そもそも君の目も顔も、ちゃんとそこに在るんだ。ほら、ここに在るだろ、ほら。

 そんな僕に、ゆっくりと君の声が、振りかかる。

「私を失くしてしまいました。
 私は誰ですか。教えてください。
  あなたは誰ですか。
   私は誰ですか。
    教えて、教えてください」


2014年10月29日水曜日

朗読劇「乳白」に寄せて


10月26日、ちょうど私の個展が始まる当日、とある朗読劇が催された。
「乳白」。
朝戸佑飛氏による脚本。

その第一稿を手渡されたのはひと月前だったか。
読んでもらえますか、とまっすぐに渡されたそれは、直球ならではの彼の味が存分に出ているものだった。
彼の実際の体験や経験が随所に織り込まれ、それは小さな飛行石のように輝いていた。

写真を、と言われたのはいつだったか。その時だったかもしれない。それとももっと後だったかもしれない。正確には覚えていない。
が、写真を、と言われて即座にオーケーしたことは覚えている。

物語の登場人物は三人。いや、正確にはどうだろう、四人だったのかもしれない。
あの乳白色の代物を混ぜたら四人だったのかも。
いや、それはここではとりあえず脇に置いておこう。
ともかくも写真を撮ることを引き受け、それも日帰りで砂丘で、ということに、なった。


撮影日、早朝の新幹線に乗った。
雨がまだ降っていた。それは強くなったり弱くなったりしながら降り続いており。
これで撮影ができるのか、と危ぶまれた。

が。
何故なんだろう、撮影を始めよう、とする間際になって、雨はぴたりと止んだ。
私たちは勇んで浜に飛び出した。
砂はしっとりと濡れ、裸足にじわじわとまとわりついた。
でもそれは決して心地悪いものではなく、むしろ、私たちのはやる気持ちそのままだったかもしれない。
砂丘には二つの大きな水溜りもできており。
これは撮影にうってつけだ、と私は心の中手を叩いた。



朝戸くんは、撮影が終わった後、にのみやさんは僕より本を読みこんでくれてたんじゃないか、と言ってくれたが、それは違う。
私のイメージは、第一稿を読んだその場でほぼカタチができていた。
だから私の為すべきことは、そのイメージを具現化するべく、彼らに動いてもらうだけ、だった。

読み込んだ読み込んでない、そういう問題じゃなく。
彼の脚本が、イメージを沸き起こさせるものだったからなんだろう。
読みながらもう、私の中にはふつふつとカタチが生まれ浮かび、これを写真にできたらどれほど楽しいだろうと思っていたのだから。


そうして始まった撮影。朝戸くん以外のふたりとは私は初対面。
正直、一対一の撮影じゃなく一対多数の撮影と言うのはひどく疲れる。
エネルギーが分散され、余計に負荷がかかるからだ。
しかもこの日初対面のふたり。
私は大丈夫だろうかとほんのちょっとだけ思わなかったわけじゃない。でも。
大丈夫、という何か確信めいたものも、あったのは確かだ。

海の波は高く荒れていた。
これでもかというほど浜に打ち付けてきては砕けた。
その間を走り、転がり、横たわり。
彼らは自在に動き回ってくれた。


私が「乳白」について言葉で語るのは愚かしい気がするので、敢えてやめておく。
私が為すべきは、写真によって語ること、それだけの気がするからだ。

それでもひとことだけ声にするなら。言葉にするなら。
誰もが二十代のどこかで、通り過ぎるものが、物語の随所にちりばめられていて、
きっと、同年代が見たら共感を、
離れた世代が見たならばこそばゆさと眩さを、
感じずにはいられないものだったはず、だ。

撮影は三時間弱。あっという間に過ぎてしまった。
終えるのが切なくなるくらい、あっという間で。

彼らと私は二十も年が離れている。でも。
あの瞬間は、同じ仲間でいられたんじゃないか、と。おずおずとながら思っている。
彼らと肩を並べられたんじゃないか、と。

そして。

また彼らと一緒に仕事ができる機会を、私は欲している。


2014年10月25日土曜日

手作り写真集販売のお知らせ




書簡集での展示に合わせ、今年、手作り写真集「幽き声」を販売いたします。
50部限定。ポストカード一枚付。
サイズ 145ミリ×150ミリ×10ミリ。
写真 モノクロ51点+表紙プリント1枚
本文、英訳付。
3500円(送料別)
書簡集に置いてありますので、お越しの際はぜひお店の方にお声かけてください。
遠方の方の通信販売も取り扱っていますので、
私の方にメッセージください。
どうぞよろしくお願いいたします。
にのみやさをり

2014年10月23日木曜日

個展のお知らせ


個展のお知らせです。

毎年この時期にやらせていただいている展示を今年もやらせていただけることになりました。
東京・国立駅から10分ほど歩いた場所にある喫茶店、書簡集での展示です。
10月26日~11月26日「緑流季」
11月27日~12月30日「去棄景Ⅱ」
それぞれ前期後期一か月という長い期間での展示になります。
ぶらりおいしい珈琲とカレーを食しに、書簡集へ行ってみて下さい。
ぜひ。

私は現在子育て中の為、常時居ることができません。
なので、作品だけじゃなくにのみやにも会いたい!という貴重な方は
ぜひお声かけてください。
その折にはできるかぎり出向けるよう頑張りますので!

では、二か月の間、
どうぞよろしくお願いいたします。
多くの方に見て頂けることを、願っています。


2014年10月18日土曜日

沈黙の言葉


世界がモノクロにしか見えなくなったのはもう二十年前のことになる。或る日突然、私の世界はモノクロになった。赤信号のはずのところが濃いグレーにしか認識できず、愕然としたのを今もはっきり思い出せる。それまで色の洪水だった世界がすべて、グレートーンに置き換えられてしまうショックは、言葉では言い表しようが、ない。

あの日から二十年。気づけば、いろんな場面で色が蘇ってきていた。
色の蘇りも、ある日突然だった。あれ?と思った時、私は空の青を認識していた。森の緑を認識していた。或る日突然世界がモノクロになったのと同じく、或る日突然私の世界は色を取り戻した。

まだ油断すると色は失われ、すっかりモノクロになっていたりするが、もうなんというか、慣れたもので、むしろカラーの世界よりモノクロの世界に親しくなってしまった私としては何の不思議もなく。だから、通常のひとが聞いたら不思議に思うか理解できないかどちらかだと思うが、カラーとモノクロの世界を自由に行き来しているというのが私の今、だ。

つい最近、心が折れそうになる出来事にであった。であったというより突如降ってきた、というのが一番正しいかもしれない。

ああもういやだ、だめだ、むりだ。
心の中そう囁く誰か。
いやそんなことはない、まだやれる、まだ耐えられる、いくんだ。
心の中そう囁く誰か。
ふたりは同じ心の中に同居していて、どちらも同じくらいの比重を占めていて。
引き裂かれるなぁ、という感覚だけが、あった。

世界はモノクロで。
強烈なほどのモノクロで。

ああもう沈黙するしかないなぁと思った。

そして気づいた。
世界は沈黙の言葉にみちみちていることに。
むしろ言葉を操るのは私たち人間だけで。

沈黙は金、と言ったのは誰だったか。
言葉を失って、はじめて、言葉の重さを知る朝。

世界は沈黙で満ちている。そして世界は、美しい。


2014年10月13日月曜日

かつて居た場所


娘の三者面談の日。少し早めに学校へ行ってみた。
陽が落ちる直前に着いた。校舎はすっかり影の中。しんと静まり返っている。
三年生の廊下だけ、ひとが行き来している。
そうか、今日はみんな下校しているんだったと思い出す。どうりで静かなわけだ。
目を閉じ耳を澄ます。
想像してみる。
生徒たちであふれかえる廊下の様子を。
自分もいつか見た光景を。



そう、自分にも中学三年生という時間があった。
そういう時代が確かにあった。
あの頃はただがむしゃらに、まっすぐすぎる私は、何度も折れて痛い思いをした。
これでもかってほど折れては、その度泣いた。
でも。
あれがあったから、次の高校を越えてこれたんだと思う。
あの三年間がなかったら、中学の三年間の辛さがなかったら。
私は次の三年を、越えられなかった。

面談の順番が来て、担任から報告を受ける。
行きたい高校が決まって俄然やる気を出した娘。結果もそれなりについてきた。よし。
「このまま気を緩めないでね」と担任から言われ、照れくさそうにする娘。
私にできるのは。
彼女を応援することだけ。
「勉強しろって言われるとする気が失せるんだよ!」とぷいっと横向くような娘だけれど、
きっと彼女なりの立ち位置があるに違いない。


そして、ホールに一枚の模造紙。そこに描かれた言葉が、実に懐かしく。
「One for all, All for one」
そうか、時代は変わっても、言葉は残ってゆくのだな。

かつて私が居た場所に
今彼女が居て。

それぞれに思いを刻んでいる。

2014年10月5日日曜日

雨の日の午後。


台風が近づいているという日曜日。オットは仕事へ、娘は塾へ。
そして私と息子はお留守番。

追いかけっこしたり新聞紙をぐちゃぐちゃして遊んだり。
とにかく彼を疲れさせようと必死になる私。

そのかいあってお昼寝。
今その、彼の昼寝中にこれを書いている。

ひとは。
どうしてひとりからふたりに増えただけで、葛藤や衝突を生み出すのだろう。
どうしてひとりからただふたりになっただけで。
不思議だ。

でも。
ひとりでは「おやすみ」も「ただいま」も「いってきます」も
「ありがとう」さえ、手渡す先はなく。

葛藤や衝突があってしまうから、
たぶん、いいんだな。
葛藤や衝突がある分だけ、「ありがとう」や「ごめんなさい」「ごちそうさま」「いただきます」も
増えていくんだろうな。

そんなことを思う、雨の日の午後。


2014年9月28日日曜日

自信と傷つき

その朝、彼は勢いよく現れた。
おはようございます。その第一声からして、気合が入っていることが感じられた。
この日、彼と彼女と私と三人での撮影になるはずだった。が。
病身の彼女の病状が急変し、彼女は突如来れなくなった。

私も彼も、気持ちが抜けてしまい、ちょっと困った。
とりあえず珈琲でも飲もうということになり、珈琲屋へ。
気持ちを切り替えるのは早いはずの私も、さすがの事態に正直戸惑っていた。

選ぶ道は二つ。
二人で撮影するか、それとも二人で喋り倒すか。

そうしてしばらく悩んだ末、彼はぱっと切り替え、撮ってください、と言った。
その方が来れなくなった彼女もきっと喜ぶだろうから、と。

ならば、ということで、二人して小汚い街に向かった。
普段なら私たちはすでに撮り終えている時間帯、つまり町が動き出している時間帯。
そういう時間帯に撮るのは初めてだった。


この撮影の一か月ほど前、彼は自分の作・演出で朗読劇をこなしていた。
その朗読劇を私は、運よく見に行った。
多くを語る必要はない、というほど、その舞台は、彼の「今」を映しこんだものだった。
今の彼にしか書けない脚本、今の彼にしか描き出せない雰囲気が、これでもかというほど織り込まれた舞台。実に爽快だった。

そんな朗読劇を経て、彼はどう変わったろう、と私はレンズ越しに思っていた。
彼は。
自信をつけていた。
同時に。
ひどく傷ついても見えた。

自信がついた分、どうしようもなく自分の嫌な部分も見えてきてしまったのだろう。
自分の弱い部分、醜い部分、辛い部分を、さらに直視せざるを得なくなったのだろう。
そういう、傷つきが、見えた。

でもそれは。
その年代特有の、その年頃でしか得ることのできない、ある種の勲章なんだよ、と
私はレンズ越し、思っていた。
彼に直接言葉では伝えなかったが、
そのことを思っていた。

二十代。
二度とない時代を、駆け抜けろよ。
また、カメラを挟んで向き合う日を楽しみにしている。


2014年9月19日金曜日

友の言葉


これまで生きてきてつくづく思うけれど、どんなことも時間が解決してくれるものよ。そう言ったのは大切な友人の一人だった。その彼女の言葉なのだから覚えておかねばと思いつつ、私はある種の反発を覚えていた。十年ほど前の話である。

時間が解決してくれるわけがない、そんな無責任なことを言ってくれるな。当時の私は、心の何処かでそう思っていた。でも近頃、そうかもしれないと私は思うようになった。
あれほど悩んでいた親子関係も犯罪被害者となったことも、多くの友人の死も。今ならすんなり受け入れられるような気がする。
何故だろう。
忘れられたのか? 
いや、忘れられるものじゃぁない。では何故?

時間である。時間が経ったのだ。時を過ごしてゆく中で私は、それらの荷物をどう背負って歩くのかを、いつのまにか学びとっていた。
もし今また同じことが起こったとして、それがどんな深い傷を私の中に生み出すか言い表すことなどできないが、でも、
私はもう知っている。
それを引き受けながらも生き続けてゆくことの意味を。

時間が解決してくれるものよ。その言葉にどれほど深い意味が含まれているのか、
私は今更ながら噛み締める。


2014年9月9日火曜日

こんなにも


今為している治療はとても地味だ。
ひとつは、ひたすら語る。自分のトラウマについて徹底的に語る。
現在形で語ったり、主語をいちいちつけて語ったり。
そうやって記憶を鮮明にさせてゆく。させてゆくと同時に、それが「過去」であることを刻印させてゆく。現在ではない、過去なのだ、と。
しかし、現在形で自分のトラウマを語ったことがあるひとになら分かるだろうが、その地味な作業がとても辛い。記憶がぶわっと今に襲い掛かってくる。襲い掛かってくるから避けようとして現在形から逃れようとする。でも、一度今に舞い戻ってきた記憶は怒涛の如く私を呑み込む。結果、息が上がりぜぇぜぇと息切れし、語り続けられなくなる。
その繰り返し。

他人事のように語ることは、いくらだってできるのだ。私にも。
まさしく他人事のように、こんなことがあったあんなことがあった、と語ることは。
しかし、
現在形、しかも主語が自分、となると、私は避けてしまう。とてもじゃないが語り切れない。
語るごとに現在が過去に侵されてゆく。

もうひとつは、課題をこなすこと。
たとえば、他人と本屋などで背中合わせに10分20分耐えること。
たとえば、長い時間歩いて他人と何度もすれ違うこと。
たとえば。

挙げればどれもこれも地味すぎる、当たり前すぎることなんだろう。
しかし。たとえば他人と背中合わせに立って耐えることは、私には辛い。
どうしようもないくらい怖い。
また同じことが起こるんじゃないか、起こるに違いない、起こってしまう!という危機感に何度も襲われ、そのたび時間を超えることなく逃げ出してしまう。

普通のひとにとっての当たり前が、こんなにもできないなんて。
それを思い知らされる毎日だ。

それでも。
いつか大丈夫になりたいから。
いつか傷をちゃんと過去のものにしたいから。
いつか。

と思って、治療を続ける。

そんな今日この頃。


2014年9月5日金曜日

引き受けられる荷物が


私は二十歳になる直前、泣いた。大泣きした。わんわん泣いた。生まれて初めて自分から声を上げてひとり、泣いた。
理由は簡単で、二十歳になる、と思った瞬間、どわっと後悔が押し寄せたからだ。
十代らしいこと何一つやっていないのに、私はもう二十歳になるのか。
そう思ったら、泣くしかなかった。

だから、三十になる時には、せめて泣かないで済むように生きようと決めた。
そうして二十代を生き始めたつもりだった。なのに。
私は性犯罪被害に遭ってしまった。遭ってからの日々は地獄だった。
針山の上、のたうち回るような痛みしか、生きていて感じられなかった。
だから、いつだって死んでやると思ってた。

そうして三十になった。
なんだか呆然と、三十になってしまった。
でも、泣かなかった。

三十も後半になって、何となく、こんなもんかな、と思えるようになってきた。
こんなもん、というのは、年齢のことだ。
それまで、年齢と自分の生とがどうやっても重なり合わず、私は苦しかった。
でも。
少しずつ少しずつ、その差異が、少なくなってきた、そんな感じがあった。

四十になって。
ほっとした。
ああ、四十だ、と思った。はじめて、年をとるのが嬉しかった。
そうか、私は四十か、四十になるのか、四十まで無事生きたか!
そう思ったら、なんだかとっても嬉しかった。

人生、辻褄が合うようにできてるもんだ、と、帳尻が合うようにできてるもんだ、と、
私の二倍、この世に生きて在る友人が言っていたことを思い出す。
それを最初に聴いた時は、ふざけんな冗談じゃないよ、と思っていた。何が辻褄合うように、だ。何が帳尻合うように、だよ。被害者になって帳尻も辻褄もへったくれもないさ!
なーんて、
私は思っていたのだ、その頃。
でも。

四十を数えて。越えてみて。
なるほど、と思えるようになった。
自分が引き受けられる荷物が、しっかり自分の肩に乗っている。
不思議と、自分が引き受けられるぎりぎりの、限界の量、しか、乗っていない。
なるほど、これが帳尻か、辻褄か。
もちろん、この先まだまだ何かしらあるんだろうけれど。何があっても不思議はないけれど。

でも。

何とかなる。きっと、何とかなるんだ。

今は、そう思う。


2014年9月1日月曜日

じわじわとした変化


まだ部屋からなかなか出ることができなかった頃、ぽつぽつと部屋の中のものを撮っていた。
その中でも、カーテン越しに垣間見える空は、私にとって愛おしい、羨ましい存在だった。
いつだってそこにあって、そこにいて、それが赦される空が、
どうしようもなく愛おしく、羨ましかった。

あの頃どうしてあんなにも、空を見ていたんだろう。

当時住んでいた部屋のすぐ隣には、川が流れていた。水辺がとてもすきな私なのに、
すぐ隣に流れていることが分かり切っているのに、それでも部屋から出て行くことが
恐くて怖くて仕方なかった。
また嫌なことが起こる、またとんでもないできごとに見舞われる、
また・・・
そんなどうしようもない思いが私をぎゅっと掴んで離さなかった。

もし、
写真をやっていなかったら。
私はまだまだ、外に出て行くことが叶わないまま、閉じこもっていたのかもしれない。

写真を見つけたから、
私はじきに、外が気になりだす。
外の世界がどうしようもなく気になり出し、
そろそろ、と、這い出していったのだった。

あれからもうずいぶん時が経つ。
私の幾つかの習慣は、あの頃からまだ変わらず、私に沁みついていたりするけれど。
でも。
自転車さえ私の隣にあるなら、
私はずいぶん遠くまで出かけてゆけるようになった。
どうしても会いたいひとに会うためになら
電車にだって乗れるようになった。

そういうもんなんだろう。

時が経つ、というのは、そうやって、
少しずつ少しずつ、じわじわと、
変化してゆくことなんだ、と思う。


2014年8月31日日曜日

表現すること、私にとって。

たとえば毎日ご飯を食べたり寝たりするのと同じレベルで、何かしら自己表現をしていないと「生きている実感」が得られない、もしくは「生きていることが苦しい」状況に陥ってしまう人間は確かにいるのです。トイレに行くように水を飲むように、表現し続けていないと生きていけない人間が。私のように。
どうしてそこまでして写真やるの、とかどうしてそこまでして言葉を綴るの、とよく言われます。その度私は答えに窮してしまう。何故ならそうせずにはいられないところで私は生きているからです。私のような人間はそうせずにはもう、ここにいられないのです。いることさえが罪悪になってしまうから。
きっと私はずっと長いこと、「私はここにいるよ、私はここにいるよ」と声を上げ続けてたんだと思います。そうしないともう、そこに在ることさえできなかったから。あれから二十年近くを経て、今漸く、聞き耳を立てる術を覚えました。それでも自己表現せずに一瞬たりとも存在していることはできません。
私の大きな転機は被害者になったことで訪れましたが、幼い頃から私にはそういう傾向がありました。というより、そうしか生きてこれなかった。愛されることが当たり前でない環境で、それでも愛されたい愛してと声を出し続けることはそのまま、表現し続けることで。そうしか生きてこれなかっただけです。
だから。私にとって表現することは、呼吸をするように至極当たり前な行為なのです。それ以外の何者でもない。当たり前すぎるから、それを改めて問われると戸惑ってしまう。そうかそれが当たり前じゃないのが世界なのか、と知る。そういうとき、ああひとりだなぁ、としみじみ思うことがあります。
ひとりだからといって悲しかったり寂しかったりする時期はもう、過ぎました。今は、よかった、と思うことが多いです。このひとにとって私の当たり前が当たり前じゃなくてよかった、と。ほっとします。安心します。当たり前に愛してくれる人があなたのそばにはひとりでもいたんだねと知ることができて。
条件をクリアしなければ愛してもらえないと、愛されるためには条件が要るのだと、生まれた時からマイナスだった私は知っていました。たとえば小さい頃なら勉強ができること、いい絵を描くこと、みんなより抜きんでていること、なんでも器用にこなすこと。そうやって私は愛してもらってきた。ずっと。
被害者になってこの世界に存在していることがとてつもない苦痛以外の何者でもなくなったとき。私はこの世界に何とか留まるために表現の仕方をがらり変えました。それまでは誰かの為、愛される為にしていたことを、自分の為だけに。がらり転換しました。そうしなければ私はもう、私を許せなかった。
だから私の写真は、まず何より、私の為に在ったんだと思います。私が世界に留まる為に。私が私という存在を赦す為に。そうして二十年。少しずつ少しずつ変化していこうとしています。でも。軸は変わらない。私はやっぱり根本のところで、自分がこの世界に存在する為、ただ生きる為に、表現するのです。

2014年8月29日金曜日

雨雲の向こうの青空を信じて


彼女のご両親は決して悪人でもなんでもない。ごくごく普通のひとたちだ。
でも。
「あんなことさっさと忘れなさい」
「どうして忘れられないの?」
「地道に生活を営んでいればじきにそんなこと忘れられる」
と繰り返す。
そう、ごくごく普通のひとだから、普通だったから逆に、
当たり前の反応しかできず、娘の現実を決して受け入れよう赦そうとはしないひとたちだった。

退院してすぐ、彼女を連れてご両親は北の国に帰って行った。

「忘れなさい」「あなたにも落ち度があったに違いない」「いつまでそうしているの」
そういった言葉たちを日常的に繰り返し浴びせられるようになった彼女は
どんどん疲弊していった。
そして、今まで以上に、リストカットやオーバードーズを繰り返すようになり、
結果、しょっちゅう入退院を繰り返すようになり・・・。

つい昨日、彼女からメールが届く。
 もう疲れたよ、身近にいるひとに理解してもらえないって、本当に辛い。
 一体どうしたらいいのかもう分からない
そう記された文字を、私はぎゅっと握るしか今はもうできない。

遠い場所に行った彼女のところへ駆けつけられるわけもなく。
ただもう、ぎゅっと握って唇をかむくらいしか、私にできることは残されていず。

見上げる空は今日、曇天。暑い雨雲に覆われている。
いつ降り出してもおかしくはないその雨雲の、
向こうは絶対に青空なんだよ、と、
青空が広がってるんだよ、わたしやあなたの空にも必ず。
私はそんなことをぶつぶつ呟きながら
今日も必死に生きる。

彼女が生き延びてくれるよう、
生きて生きて生きて、生きてくれるよう、
ただ、祈りながら。




2014年8月26日火曜日

囚われてゆく


真冬の或る夜、電話のベルがけたたましく鳴った。
何となく嫌な予感がして出るのを躊躇った。
でも鳴り続けている。

出ると、彼女の親御だった。
はじめまして、と挨拶もそこそこに、お母様がまくしたてる言葉を
私はぼんやり、ああやっぱりなと思いながら聞いた。

彼女はリストカットをしたのだ。リストカットをして、それまで溜め込んだ薬をがぶ飲みした。
しばらく誰にも発見されず、でも前から彼女の様子を気にしていた大家の通報で救急車が呼ばれ、
その搬送先から、彼女の親御さんに連絡が行った。

当然と言えば当然の運びだ。
でも。
当然であればあるほど、私の内のエネルギーが
しゅるしゅるると萎んでゆくのを、私は感じた。

ああこれで、安心だ、
ではなく。
ああこれで、彼女はもう
囚われるのだなぁ、
と。

彼女の為した行為によってこうなることは分かり切っていた。
でもだから、
とてもとても、虚しかった。


2014年8月21日木曜日

地滑りの音


彼女がまだこの町にいた頃、彼女はがりがりに痩せていた。
痩せていたのに、まださらに痩せたいと繰り返す。
何故?と問うと、
彼が痩せてるひとが好きなの、だから私、もっと痩せたいの
と、切なげに言うのだった。

被害に遭う前、彼と彼女は結婚の約束をしていた。そんな最中、彼がいる傍で被害に遭った。
彼は自分を責め、彼女は彼女で自分を責めた。
彼も彼女も、どん詰まりのところで、何とかしようと必死に、結婚にしがみついた。
結婚したものの、
ふたりとも、具合がよくなるわけもなく。
徐々に徐々に、ふたりは地滑りを起こすように、すべりおちるばかりで。

そんな彼女の主語は、いつだって彼だった。
彼女の考えることのすべては、彼に主軸があった。
そうして、自分で自分を痛めつけていることに
彼女はまったく、気づいていなかった。

だから、
彼が彼女を裏切ったときの彼女の狂いようは、半端がなかった。
必死に自分を抑えようと努力はしたけれど、無駄だった。
彼女はごろごろと、まさしくその音通りに、階段を転げ落ちていった。

それまでだいぶ安定していたPTSDの症状が、
あっという間に悪くなっていった。
彼女がリストカットした、オーバードーズした、という知らせが
しょっちゅう私の電話を鳴らした。
自傷行為によって見知らぬ病院に担ぎ込まれても、
彼女はそこのスタッフに自分の具合の悪さを説明できず、結局適当に放り出される始末。

どこまで落ちたら底が見えるんだろう。
どこまで落ちたら、彼女は止まれるんだろう。

私は心の中、そう思っていた。
このままだと田舎の親が出てくる始末になるよ、そうしたらあなたここにいられなくなるよ、
とそう言っても
わかってる、わかってるんだけど
と言うばかりの彼女。


とうとう、その日がやってきた。


2014年8月18日月曜日

綻び

彼女の当時の彼が、私のサイトを見つけ、そこにあった性犯罪被害の体験談を読んで彼女に教えた。それが彼女と出会うきっかけだった。
彼女は「貪るように読んだよ。ああわたしがここにいる!って思ったんだ」と、私と会った時震えながら言った。
まさか自分と同じ目にあったひとが他にいるとは、まさか自分と同様の人間が他に存在しているとは、その当時彼女には思えなかったという。それが、いた。
だから、焦ったし、会いたいとも思った。
会いたいと思ったけれど、恐くもあった、と。
彼女は言っていた。

当時まだ彼女にはリストカットの痕はなくて。
きれいな細い細い腕をしていた。
そして傷だらけの私の腕を、撫でるように見つめたのだった。

その彼女は、徐々に徐々に、坂を転げ落ちて行った。
遠い北国の親たちが駆けつけなければならないほどに、崩壊していった。
そして、とうとう、その親に連れられ、北国へ帰ってゆく。

そこからまた、彼女の怒涛の日々が始まる。
それまで信頼していた医者から離れ、親に言われるまま必死に前向きになろうと努力もしたが、崩壊は音を立てて彼女を襲うばかりで。

気づけば、彼女はリストカットを繰り返す毎日の中にいた。

何度入退院を繰り返したろう。
それでも、彼女のリストカットへの衝動は、とどまる様子を見せなかった。

もう私はどうだっていいんだ、
どうにでもなれってんだ、
だれも私のことなんて必要としていないし、
もう私なんていないほうがいいに決まってる。

彼女はよく、そう言って嘲笑した。自分を嘲笑することでせめて、自分を保っているかのように。

私はそのたび、だまって電話を握っていた。

ただ黙って、そこにいることくらいしか、私にはできなかった。
遠く離れて、
彼女に何かあっても駆けつけられる距離ではない私にできるのは、
そのくらいしか、なかった。

そんな彼女と、紡いだ時間を、最近見返していた。
彼女の綻びは、もうこのころからあったに違いないのに。
どうして私は気づけなかったろう。
そばにいる間に気づけていたら。
なんて、もうどうしようもないことを、つらつら繰り返し、思っている。


2014年8月12日火曜日

すれちがってきたひとたちへ


私が初めて外に写真を撮りに出た日、朝から雪が降っていた。
雪降る中、私はペンタックスのSP-Fのシャッターをかしゃかしゃ鳴らしながらともかく目に映るものすべてをフィルムに刻んだ。
これっぽっちも逃したくなかった。ほんの一瞬さえもくまなくフィルムに刻みたかった。

あの時。私はウォークマンのボリュームを最大にし、両耳にヘッドフォンをかけていた。
一緒に行ってくれた旧友がその様に呆れて、そんなんでよく街が撮れるねとぼやいた。
今なら分かる、その意味が。
でも。あの当時はそれで精いっぱいだった。
そうしなければ私は外を歩くことが一歩たりともできなかったから。
私と世界との境界線は崩壊し、世界のありとあらゆるものが私の内になだれ込むばかりだったあの頃。私は音で防御壁を必死に築いて、何とか世界と対峙していた。

その日最後に撮ったのが、この船の写真だ。
あの頃まだ、石川町筋を流れる川には、こうした船が夥しい数浮いていた。
要するに、乗り捨てられて。
それはまるで、その当時の自分の姿のようで。私は撮らずにいられなかったんだった。

徐々に徐々に、早朝を狙ってひとりでも外に出るようになった私は、野毛小路をその日歩いていた。
ふと気配を感じ恐怖に振り返ると、そこにいたのはただの猫だった。
猫が、私を呼んでいた。
呼ばれるまま入っていくと、ばあちゃんがひとりそこに居た。
「あんた、よそ者だね?」

ばあちゃんはそう言ってにやっと笑った。
コンビニの袋があちこちに散乱していた。その中に大勢の猫とばあちゃんが居た。
ばあちゃんがぽーんと菓子パンを放ってきた。私はそれを受け取ったものの食べていいのかどうしていいのか分からず困っていた。
ばあちゃんはいつの間にか、昔話を始めていた。

結婚してすぐじいちゃんと建てた店。おでん屋。
でもじいちゃんは戦争に早々に駆り出され呆気なく死んだ。
残されたばあちゃんは、必死に店を守りとおした。この店がそのおでん屋だった。
客で賑わっていた頃なんて見る影もなくなった錆びたガス台、散らかった店内。
それでも。
ばあちゃんはそこで生きていた。

またおいでよ。
そう言われて、はい、と返事をした、と思う。
写真、持ってきますね、と言ったんだったと思う。
でも。
私は間に合わなかった。
ばあちゃんは、その夏、死んだ。

二枚目の写真は、結局ばあちゃんにも誰にも渡せず私の手元に残った写真だ。
店内から撮った。
私の手にはその時、行き場のないまま菓子パンが握られていたんだったと思う。

そんな写真が、いつのまにか山となっていることに気づいた。
そのくらい、気づいたら写真を産むようになって時間が経っていた。
私の手元に残ったそれらの写真は、私が彼らとすれ違ってきたことを示している。

あれほど世界と隔たって、世界は敵だと全身強張らせていた私にも
すれ違ってきたひとはいたのだな、と
今更、気づく。

あの頃すれ違ってきたひとたちと、もっと話がしたかった。
もう二度と会えないひとたちへ。

ありがとう。


2014年8月6日水曜日

場所



自分がぐらぐらしているとき、私が必ず行く場所がある。それは海だ。
自分を真っ新に戻すのに、海はうってつけの場所だと思っている。
私から海を失くしたら、足が一本折れてしまうのと同じといっても過言ではない。

小さい頃から海が好きだった。
海と初めて出会った日、迷子になって警察のお世話になるほどに、一瞬にして恋に堕ちた。
海はそう、私の愛人だった。

心が折れて、外に出ることさえできなくなった時期、私はひたすら海を思って部屋で過ごしていた。
ああ今ここに海が在ってくれたら私は、どれほど救われるか知れないのに!
そう思いながら泣いた。

世界に立つ場所がなくなってしまうような時でも、
海の傍らになら、赦される気がした。
どんな現実が私に押し寄せても、
海の傍らにだったら、存在していられそうな気がした。

だから。
死ぬと決めたとき、その場所は迷うことなく海だった。
海でなきゃ死ねない。そう思った。
だから私はあの日、海に走った。

でも、海は私を生かし、私はつまり生き残った。
だから今、ここに在る。
あの時生かされた命を、何処まで輝かせられるか、が、
私の海に対する応えだと、そう思っている。

誰にでも。
そういう場所があって、いい。
そういう場所を、探し求めていい。
そしてもし、ここだ、と思えたなら。
誰が何を言おうと、そこはあなたの場所なのだ。

迷ったら、惑ったら、そこへ行けばいい。
現実の世界の誰が何があなたを全否定したとしても。
その場所は、きっとあなたを受け容れてくれるから。

生きろ、生きろ、生きろ・・・

そう、囁き続けてくれるはずだから。 

2014年8月1日金曜日

時薬


私は音楽を四六時中聴いていた。音楽がないと街を歩くことがある時からできなくなったからだ。
音で耳を塞いでいないと、ひとごみを歩くことはとても私にはできなかった。
そういう時期が、あった。

それがここ数年、少しずつ変化し始めた。
ボリュームを最大にしていなくても、大丈夫になり始めたのだ。
それまでは、最大ボリュームで両耳をヘッドフォンで塞いでぎゅっと手を握り締めていないと耐えられなかったひとごみ。なのに、どうして大丈夫になってきたのだろう。
そう考えて、はたと気づいたのは。

私の中に、微かにだけれど、境界線が出来始めたのかもしれない、と。
そのことに、気づいた。

ある日突然、壊れた境界線。崩壊した堤防だった。
世界と私とを繋げていた糸も、その時ぷちんと切れた。
でも。

十年、十五年して、ようやっと。
見えてきた。再生してきた、微かな境界線。

私は気づけば、ボリュームを小さくしていても、或いは片耳だけでも、ひとごみをすり抜けられるようになっていた。
ひとの話声も街の雑音も、前のようにぶすぶすと突き刺さってこなくなっていた。
ああそうか、私はすこし、ふつうのひとみたいに歩けるようになったんだ、と、
その時、気づいた。

ここからさらに、十年二十年したら、
私はもうヘッドフォンなんてしていなくても、音楽なんて四六時中流していなくても、
ひとごみを歩けるようになるんじゃなかろうか、と。
そんな期待が沸いてきた。

時薬、というものが、ある、と、
昔聴いたけれど、当時はまったくもって信じられなかった。

今なら。

少し、信じられるかな、
なんて、思う。


2014年7月28日月曜日

夏の空に思い出す


彼女とこの写真を撮ったのはいつだったか。
正直覚えていない。
が、夏の激しい空を見上げると、自然、彼女を思い出す。
夏のよく似合う、ひと、だった。

彼女は写真をやるひとだった。
私が妬ましくなるような写真を、彼女はその頃すでに作っていて。

私は彼女の作品を見るたび、見せられるたび、嫉妬でぐるぐる巻きになりそうだった、と、
今なら正直に、言える。

何だろう、写真を向けなければ何もなかったかもしれない、通り過ぎて気にも留めず通り過ぎて、それで終わっていたかもしれないものたちを、これでもかというほどありありと刻み、浮かび上がらせる術を、彼女は持っていた。
それはまるで対象への執念、あるいは怨念のような、そういっても過言じゃないほどのエネルギーを、私は常に彼女の写真から感じていた。

彼女と別々の道を往くようになって。
今の彼女のゆくえを私は知らない。
どうしているかも知る由も、ない。

それでも。
折々に、思い出すのだ。彼女のあの眼を。
いつだって誰かに縋っていたいような、切実な眼、を。

君はきっと、誰より、君がそうしてほしいように対象を写真に刻み込んでいたんだ。
私はそう、思っている。