2014年2月14日金曜日

容れ器
























彼女はそうして私にとってなくてはならない存在になった。
そうして何年くらい彼女と組んで写真を撮ってきただろう。

ずいぶんいろんなものを彼女と共有してきた。
この写真を撮った時は、とある廃墟まで出かけたのだけれども、
このときのこの場所の清浄すぎるといっていいほど澄んだ空気は
私と彼女の心を拭った。
それまで重苦しく、もう帰ろうか、なんて言っていたのが嘘のように
撮影は進んだのだった。

彼女が私の「容れ器」(いれもの)になってくれるから
私は遠慮なく自分を作品に注ぎ込むことを覚えた。
ネガは楽譜、プリントは演奏。
彼女とタッグを組む中で、私が覚えたものは、それに尽きる。
私はだからいつも、引き算をしていた。
ネガ、というひとつの完成された版から、
どれだけ自分の要素を抽出できるか。
そしてそれをどれだけ印画紙に焼き付けられるか。
それに終始した。

彼女と組んだからこそ、今の私の写真が、在る、と言える。