2014年3月19日水曜日

気づける余白


私の毎日は、まさに、どうってことのないものたちで形作られている。
毎朝弁当を作り、洗濯をし、オットや娘を送り出したら息子と二人過ごす時間。
何の変哲もない、ただの一日が、ごろごろ転がっている。

でもそんな、どうってことのない、何の変哲もない日の中にも
ひとつかふたつ、はっとさせられることは詰まっているもので。
私はその、きらり光る瞬間に、はっと立ち止まる。

あぁ今日はこの光のためにあったのか。
この光のためだけに、今日はあったのか、と。

たとえば。
桜の黒褐色の枝には今、びっしりと蕾がついており。
その蕾はまだかまだか、今か今か、と、開く瞬間を待っている。
私はそんな彼らを、樹の足元から見上げ、ガンバレ、ガンバレ、と心の中声を掛ける。
息子はベビーカーの中、大あくび。
今日はこの瞬間を味わうためにきっと、在ったんだ、と思う瞬間。

誰にでもそういう瞬間は秘められていて。
ただ、気づくか気づけないか、だけなんだと思う。

心に余白を持っていたい、気づけるだけの余白を。
だからいつも、そう思う。