2014年4月24日木曜日

個展「彼女の肖像~杏子痕」について


展示も気づいたら後半戦になりました。
これまでにすでにいらしてくださっている方々、ありがとうございます。
そしてこれからお会いする皆様、楽しみにお待ちしています。
改めて、「彼女の肖像~杏子痕」について、触れておきたいと思います。
よかったら、読んでやってください。
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第五回RPS企画展にのみやさをり写真展「彼女の肖像〜杏子痕」
"Her portrait - On the traces of Kyoko (footsteps)"
Few years ago, Kyoko had been victim of sexual assault and suffered from a heavy PTSD.
Her daily panics, flash backs and dissociations was such that it had handicapped her from human relationships. 
She couldn't live a normal life anymore and had to quit her jobs. The first time I met her was during that period.
Right after our encounter, she was diagnosed with progressive colon cancer and had to undergo surgery. 
Sadly, post-surgery check-ups revealed she had sarcoidosis. The 5-year survival rate was only 5%.
How many tragedies had she to go through?
Unbelievable reality. What should she believe in?
Is it really worth living? What is the meaning of life?
How many times she thought about putting an end to her life. How many times she wanted to be released from pains?
But..
Kyoko chose to live. Live, live and live. Just live.
It's been three years since I met and photographed her. Sometimes she had one leg into death, 
sometimes she was embracing life. 
What do you see, what do you feel in front of those images?
Saori NINOMIYA

数年前杏子は性犯罪被害者となり深刻なPTSDを蒙った。日々襲い来るパニックやフラッシュバック、解離といった症状は、他人との関わりを不自由にさせるほど、深刻だった。
そんな病のせいで仕事をやめざるを得なくなり、生活がままならなくなってゆく最中で私たちは出会った。
出会ってすぐ、彼女が進行性大腸癌であることが分かり手術を余儀なくされる。
しかもその術後の検査によって、難病・サルコイドーシスであることが分かった。五年後の生存率はたったの5パーセント。
一体幾つ災難が降ってきたら止むのだろう。
まるで嘘みたいな現実。一体何を信じたらいいのか。
こんな中、生きている意味って本当にあるんだろうか。
幾度、もうさっさと死んでしまおうと思ったことだろう。こんなことならさっさと死んで楽になりたいと何度願ったことだろう。
それでも。
杏子は生きることを選択した。生きて生きて生きて、生き切ることを選んだ。
そんな杏子と私の、出会ってから三年という月日を写真で追った。時に死に片足を突っ込み、時に生を両腕に抱く彼女の姿を、写真という術で綴った。
そうした作品群を前に、あなたは何を見、感じてくれるだろう。
にのみやさをり

2014年4月23日水曜日


樹というと、私は一本の樹を真っ先に思い浮かべる。
それは或る美術館のすぐ脇に立っている。
ずいぶん背の高い樹で、首を反らして空を見上げないとその天辺は見えないほど。

季節になると、黒褐色の固い固い実をぶらんぶらんとぶら下げるその樹。
その実は変形しないのでリースなどによく使われる。そうしたお教室の先生や小学校の図工の先生が、実が落ちる頃になると樹の下をうろうろしていたりもする。

モミジフウ。
モミジバフウともいうらしいが、私はいつもモミジフウとその樹を呼んでいる。私に名前を教えてくれたひとが、そう呼んでいた。

私はこの樹がとても好きだ。たまらなく好きだ。いとおしい。
だから折々に会いに行く。
その樹の隣に立ち、手のひらでまずそっと幹に触れ、感触と鼓動を確かめる。そうして誰もいないうちにそおっと幹に抱き付く。
それだけのことなのだけれど、私にはたまらない時間になる。

樹は唄う。風と共に轟々と揺れて、私に話しかけてくる。
元気かい、うまくやってるかい。
樹は唄う。地中の水を吸い上げながら、とくとくと唄う。
私は大丈夫、まだまだ生きている。

樹は確かに私よりもずっと長生きする。どれほどの時間をそこで過ごすのだろうと時折気が遠くなる。でも、樹にとってはそれがきっとふつうのことなんだろう。
彼らの見る地平を、いつか私も見ることができたら、なんて思う。

樹。
その枝が伸びてゆく様を見ていると、それはそのままひととひととの縁の地図のように見えてくる。
そしてそれは私にこう教える。
あるがまま、なるがまま。
受け容れて、乗り越えてゆけ、
と。

私は樹が、好きだ。


2014年4月20日日曜日


百合の花が好きだ。特に真っ白の、
カサブランカとかそんなんじゃなく、ただまっすぐに咲く白百合が、私は好きだ。
百合の花を見つめていると、もうそれだけで背筋が伸びる。
顎を引いて、同時にぐっと前を見て、まっすぐに歩きたくなる。
へこたれて、うなだれて歩いているような最中に白百合に出会うと、だから、
私はぐっと涙を呑んで悔しさを呑んで、きっと前を見て歩く。

そもそも。
白という色が好きだ。憧れる。
昔、白は、すべての色の「はじまり」の色なんだと思っていた。そういうふうにどこかで教わったような記憶がある。だから私はそう思い込んで信じ込んでいた。
白がはじまりで、黒が終わりの色だ、と。

でも何かの折に、世界の別の国では
すべての色を混ぜ合わせた先に白がある、
と言い伝えられていると知った。
愕然とした。
たかが色の話、と思うかもしれないが、私にとっては青天の霹靂で。
これまでの世界観をがらり、変えるだけの威力を持っていた。

そうか、
白は何もかもを昇華し、超越し、その先に辿り着ける色なのだ。
単に生まれたての真っ白さとか、清らかさ、ではないんだ。
いやむしろ。
清らかに見える白は、すべてを包含してなお、光り輝く色なのだ、と。

そうして改めて世界を眺めてみたら。
なんだか、これまでと全く違った色味に見えて来ることに気づいた。

私はこのことを知ることで、どれほどに解放されたか知れない。

黒の似合う私は、何処までも穢れて汚れて惨めな嫌われ者と思っていた。
でも、
そうか、憧れる白でさえ、
ありとあらゆるものを飲み込んで乗り越えて、そうして生まれる色だったのだ、と。

だったら。

私もまだ、生きている資格があるかもしれない。
私もまだ、終わりじゃないかもしれない。
まだ、
まだ生きてて、いいのかもしれない。

そう思って、ぼろり、涙が零れた日のことを、
今もありありと、思い出す。

2014年4月15日火曜日

笑って死ぬために、



 
私の毎日に薬は欠かせない。飲み忘れた途端、てきめん具合が悪くなる。
最近は闇雲に酷く苛々し何もかもを破壊したい衝動に駆られる。
だから、毎日毎日、朝昼夜晩、と、薬を飲む。

欠かせない代物だと分かっていても。薬を飲むことは気持ちのいいことじゃない。
飲まないで済むならそれに越したことはない、と何度ひとり勝手に服用をやめたことだろう。
そうして私はその度、周囲に完璧なほどの迷惑をかけ、頓挫するのだ。

今展示を催している「彼女の肖像~杏子痕」の杏子ももちろん、私以上の薬を飲んでいる。飲まなきゃ彼女の場合命に関わる。でもよく二人でからからと笑って語り合うのは、
 ここまで薬多いとラムネみたいだよねー!
 ラムネをラッパ飲みー!みたいな・・・
 やってらんねーよー!
そう言いながら、言葉通りからから、と、私たちは笑う。

笑ってなきゃ、正直やってられない。

こうなったのも、加害者のせい、なんてことはもう、思うことはなくなった。
思ったって何も変わらないし、時間は巻き戻しようがない。
だったら、今できること、自分が今一番幸せであれること、に、自分の時間を思いを費やすのが一番、いい。

よく、「あんなことさえなければ」「こんなことさえなければ」
と思っていた頃が在った。私にだってそういう時代はあった。
でも。
あんなこともこんなことも、なかったことにはならないし消せやしないし。じゃぁ何ができるかといえば、ただただ、受け容れてゆくこと、のみで。

あんなこともこんなことも、今の自分の一部、として受け容れて、認めて、
生き続けること。
それに、尽きる。

そして。

死ぬ直前に、「あぁ生きててよかった」
と笑えたら。

私は毎日、この瞬間も、
そんなふうに死ぬ為に、必死に生きている。 


2014年4月14日月曜日

「勿忘草は要らない」

今日は、大事な友人のブログを紹介したくてこれを書きます。

よくひとは言います。「あなたってそんなひとだったの」とか「そんなひとだとは思わなかった」。あなたもそんな言葉を使ったこと、ありませんか?
私にはあります。

でもそれって、勝手に自分が作り上げたイメージに相手が嵌っていなかったに過ぎないんですよね。つまり、私が勝手にそのひとのイメージを作り上げて、そこに相手をはめ込もうとしていたということ。もっと言えば、相手のあるがままを見ようとしていなかった、ということ。

たとえば。
私はかつて被害者のひとりになりました。犯罪被害者のひとりに。
そこで出会ったのは、多くの勝手な「イメージ」でした。
被害者は不幸なもの、と勝手に括りあげられて、私は不幸で居続けなければいけない、と、そういうくくりに嵌められた。
それはどれほど私にとって窮屈で辛いことだったか。
想像してもらえるでしょうか。

ひとは変化してゆくもの。もちろん変化しないことを選択することだってできますが、それさえ変化の一部と言えなくはない。
でも。
イメージは固定される。
その固定化されたイメージから外れると、ひとは言います、「そんなひとだとは思わなかった」とか「ありえない!」とか。

でもそれは違う。
たまたまあなたが勝手に私のイメージを作り上げてしまっただけで、じゃぁあなたは私のあるがままを一度でも見ようとしてくれたことがあったか?と。
私はそう、問いたいです。

私には大事な友人が何人かいます。
何があっても譲れない友人が数人ですがいます。
そのひとりが、今日紹介しようと思っている、知久織似子さんです。

ひらたく彼女のことを説明すると。夫に縊死された後、繊細な心を持つ娘さんをひとりで養いながら生きる女性、です。
でも、
その彼女には、とてつもない葛藤がありました。

その葛藤を、あるがまま綴ったのが、ブログ「勿忘草は要らない」です。

彼女が書くほどに、批判中傷の声があがりました。
でも。
いったい何をもってして、あなたは批判中傷できたのだろう?

あなたは「遺族」というもののイメージを勝手に膨らませ、そのイメージにはまらない彼女を断罪しようとしただけじゃないだろうか?

遺族、特に自死遺族というと、そのイメージはとても狭い。
亡きひとをいつまでも思ってうなだれて、幸薄い、今にも倒れそうな細いイメージ。
違いますか? あなたは今そんなイメージを抱いていませんでしたか?

ブログを読めばわかりますが。
織似子さんは最初、勝手に死んだ夫を憎みさえした。
そのことを彼女は正直に綴っています。
そして、
仏壇に手を合わせられない日々。
それを批判中傷する赤の他人がたくさんいたそうです。が。
どうして、いったいなぜ、批判中傷できるのでしょう?


彼女がどれほど葛藤したか。
今もどれほど苦しみ、どれほどの荷物を引きずって担って立っているか。
どうしてそのことに、思いをはせることができないのでしょう。

既存のイメージからちょっと外れたから。外れているから。
つまり「例外」は排除せよ、ということでしょうか。

あなたは、あなた自身がそうされたときのことを、ちょっとでも想像したことが、ありますか?

私は言いたい。
あるがままを見よ、ということを。
誰に接する時でも、自分の中にふつふつと湧き起こる勝手なイメージを見るのではなく、
目の前のひとのあるがままをこそ、受け容れてほしい、ということを。

イメージは、
ひとを殺し得ます。
そのことに、気づいてほしい。

ひとを、追い詰めるのです、あなたが勝手に作り上げた相手のイメージによって、
その相手は息切れし、窒息し、死ぬことだってあるということを。

どうか、その心に、心のどこかに、
置いてほしい。

今ブログは山場を迎えています。
それをあなたはどう読んでくれるだろう。

私は。
彼女に教えられました。生きることは美しい、と。
でもその美しさの足元には、どれほどの血反吐が、痛みが、苦しみが、横たわっていることか。

「勿忘草は要らない」
よかったら、訪れてみてください。
http://chikuonk.blog.fc2.com/

2014年4月12日土曜日

ブランコを揺らしながら、


ブランコ。私はブランコを眺めるのが好きだ。
昼間ブランコは忙しく、子供たちの間で揺れている。でも、夕暮れて、子供たちが散り散りになった後、ぽつねん、と、そこに残る。

私はその、ぽつねん、と取り残されたその、ブランコの姿がたまらなく好きで。
夕暮れに公園にゆくとだから、いつもそっと、手を伸ばす。

子供らの相手をして疲れ果てたのだろう、ブランコの鎖は冷たくたゆんでいる。
座る部分はたいてい存分に汚れており。でも、
それはブランコの勲章でもあって。

だから私はそっと、手でブランコを揺らす。

そんな時何故かいつも同じことを考えている。
ストックホルム症候群。
私もかつて、それに陥ったことがある。
今省みるとぞっとするが、でも同時に、そうしかなかった、とも思う。

ブランコを手でゆらりゆらりと揺らしながら、私は、ゆらりゆらり被害者としての自分と加害者との間を揺れていた自分を思い出す。
被害者と加害者は、どこか似ていると私は思う。
共に、世界から取りこぼされるところが。世界から疎外され孤立するところが、ひどく、似ている。
そんな被害者と加害者が向き合うと。
ストックホルム症候群なんてところに行きつくしか、なくなる。

今でも、ひどいフラッシュバックや孤立感、不安感、焦燥感に襲われると、
これを共有してくれるのは誰なんだろう、と途方に暮れる。
そうしてぽかん、天井を見つめると、そこに加害者の影があって。
瞬間ぞっとするのだけれど、でも、どこかそれは、本当にほんの僅かだけれどもでも、懐かしくて。

結局、
こんな自分の感覚を理解してくれるのは、加害者だけなんじゃないか、なんて
いまだに思ってしまう瞬間が自分にはある。

恐ろしいことだ。

世界からとりこぼされた者同士、交感しちゃぁいけない。
そんな交感は、もう、二度と味わいたくない。

そんな交感に浸って現実逃避するくらいなら。

私はひとりきり、必死に足を踏ん張って世界に対峙する方が、ずっと、いい。



2014年4月10日木曜日


海や風が好きなのと同等に、空が好きだ。

表情のある空は、見ているだけでもうどきどきわくわくする。
追いかけて行って、ぎゅっと手掴みしたくなる。
たとえば雲が轟々と音を立てて流れてゆくような空は、もうそれだけで私を狂喜乱舞させる。
嵐に見舞われた空なんてたまらない。

でも、しんと静まり返った空もまた、私は好きだ。
雲がほとんどなくて、風も止み、まるで世界が止まったかのように見える瞬間。
私は、私という体の輪郭がすっと消えるのを感じる。
消えて、境目がなくなって、空の一部になるような錯覚。

息子を保育園に送る道すがら、
病院へ通う途中、
買い物に自転車で走るその途中、

私は隙さえあれば空を見上げる。傘をさしていてさえ見上げる。

そしてふと、立ち止まり、問いかける。

そこに、いますか。
あなたはそこに、いますか。
死んでいった友よ、祖母よ、祖父よ、
みんなそこにいますか。

そして心の中、手を伸ばす。
あなたから私は、今、見えますか。
私はしっかり、生きていますか。

私もいつか、そこへ行けるほどに
しっかり、生きているでしょうか。

と。


2014年4月8日火曜日

脆く儚い日常だからこそ、


いつだって。隣には本があった。活字があった。言葉があった。
幼い頃からの夢は、「本を作るひとになること」だった。
その夢は叶った。私は編集者になった。でも。

そこで性犯罪被害に遭って、私はPTSDを抱え込んだ。
それによって、仕事を続けることができなくなった。
日々襲ってくる幻聴幻覚、眩暈、動悸、フラッシュバック、パニック発作。
ありとあらゆる症状に襲われ、結局職場を離れた。

それでも諦められなくて、私は本づくりの現場にいることに拘った。
何とか、本づくりにかかわっていたくて。ただその一心で。

でもPTSDはどんどん悪化していった。
結局。
働くことさえままならなくなった。

その頃10階のマンションに住んでいた。
もう仕事を続けることさえできなくなって私は、とてん、と床に座って、
ただ床に座って、何日も過ごした。
この部屋から、ベランダから、飛び降りたら。楽に死ねるかも、なんて想像を何度もした。
処方されている薬を全部飲めば、どうにかなれるかもしれないとやってみたこともあった。
でも、全部、失敗した。

私は生き残ってしまった。

そんな日々を越えて、今が、在る。
私は知っている。
日常というものがいかに儚く脆い代物であるかを。
簡単に壊れて崩れてしまうものであるということを。

だから。

私はささやかなものを愛する。
どうでもいい毎日の習慣を。
どうでもいい毎日の会話を。
愛する。


2014年4月7日月曜日

個展関連情報~二冊の手作り写真集について


今回の個展に合わせ赤い帆布を表紙に用いた写真集「彼女の肖像~杏子痕」を手作りしました。印刷からデザイン、製本すべて私の手によるものです。
三章から成り立つ一冊、杏子痕のできるだけたくさんの作品を掲載しました。
巻末にはテキストも掲載しています。
ぜひ多くの方に手に取って頂けたらと思っています。よろしくお願いします。
お申込みお問い合わせはこちら!



また、もう一冊、手乗り文鳥ならぬ手乗り写真集を作りました。紺色の和紙が表紙になっています。開いてリボンを結ぶと六角形のお星さまになります。タイトルの「流々」は流れるように私の断片を見て頂けたらと思いつけました。こちらもぜひ!




2014年4月2日水曜日

個展「彼女の肖像~杏子痕」始まります。

4月5日から5月5日の一か月、個展を催します。
詳細はこちら。
http://reminders-project.org/rps/saorininomiya-jp/

以前からブログや風の旅人を通してお届けしていた「彼女の肖像」。
一挙、展示します。
わたしたちが歩んだ日々、みなさんにも立ち会っていただけたら嬉しいです。

長いような短いような時間でした。
でも、私たちが歩んだ時間は、確かにこの写真の中に在って。
今、杏子は、病がさらに進んで痛みの発作等に毎日襲われています。
それでも。
彼女はあきらめない。
だから、私は彼女を信じている。

そんな私たちの日々を、どうぞ見てやってください。

5日には、オープニングパーティーを催します。
私が料理を担当しますが、
よかったら、お酒やお料理、持ち込んでください。
みなさんに会えるのを、心待ちにしています。

どうぞよろしくお願いいたします。