2014年9月28日日曜日

自信と傷つき

その朝、彼は勢いよく現れた。
おはようございます。その第一声からして、気合が入っていることが感じられた。
この日、彼と彼女と私と三人での撮影になるはずだった。が。
病身の彼女の病状が急変し、彼女は突如来れなくなった。

私も彼も、気持ちが抜けてしまい、ちょっと困った。
とりあえず珈琲でも飲もうということになり、珈琲屋へ。
気持ちを切り替えるのは早いはずの私も、さすがの事態に正直戸惑っていた。

選ぶ道は二つ。
二人で撮影するか、それとも二人で喋り倒すか。

そうしてしばらく悩んだ末、彼はぱっと切り替え、撮ってください、と言った。
その方が来れなくなった彼女もきっと喜ぶだろうから、と。

ならば、ということで、二人して小汚い街に向かった。
普段なら私たちはすでに撮り終えている時間帯、つまり町が動き出している時間帯。
そういう時間帯に撮るのは初めてだった。


この撮影の一か月ほど前、彼は自分の作・演出で朗読劇をこなしていた。
その朗読劇を私は、運よく見に行った。
多くを語る必要はない、というほど、その舞台は、彼の「今」を映しこんだものだった。
今の彼にしか書けない脚本、今の彼にしか描き出せない雰囲気が、これでもかというほど織り込まれた舞台。実に爽快だった。

そんな朗読劇を経て、彼はどう変わったろう、と私はレンズ越しに思っていた。
彼は。
自信をつけていた。
同時に。
ひどく傷ついても見えた。

自信がついた分、どうしようもなく自分の嫌な部分も見えてきてしまったのだろう。
自分の弱い部分、醜い部分、辛い部分を、さらに直視せざるを得なくなったのだろう。
そういう、傷つきが、見えた。

でもそれは。
その年代特有の、その年頃でしか得ることのできない、ある種の勲章なんだよ、と
私はレンズ越し、思っていた。
彼に直接言葉では伝えなかったが、
そのことを思っていた。

二十代。
二度とない時代を、駆け抜けろよ。
また、カメラを挟んで向き合う日を楽しみにしている。


2014年9月19日金曜日

友の言葉


これまで生きてきてつくづく思うけれど、どんなことも時間が解決してくれるものよ。そう言ったのは大切な友人の一人だった。その彼女の言葉なのだから覚えておかねばと思いつつ、私はある種の反発を覚えていた。十年ほど前の話である。

時間が解決してくれるわけがない、そんな無責任なことを言ってくれるな。当時の私は、心の何処かでそう思っていた。でも近頃、そうかもしれないと私は思うようになった。
あれほど悩んでいた親子関係も犯罪被害者となったことも、多くの友人の死も。今ならすんなり受け入れられるような気がする。
何故だろう。
忘れられたのか? 
いや、忘れられるものじゃぁない。では何故?

時間である。時間が経ったのだ。時を過ごしてゆく中で私は、それらの荷物をどう背負って歩くのかを、いつのまにか学びとっていた。
もし今また同じことが起こったとして、それがどんな深い傷を私の中に生み出すか言い表すことなどできないが、でも、
私はもう知っている。
それを引き受けながらも生き続けてゆくことの意味を。

時間が解決してくれるものよ。その言葉にどれほど深い意味が含まれているのか、
私は今更ながら噛み締める。


2014年9月9日火曜日

こんなにも


今為している治療はとても地味だ。
ひとつは、ひたすら語る。自分のトラウマについて徹底的に語る。
現在形で語ったり、主語をいちいちつけて語ったり。
そうやって記憶を鮮明にさせてゆく。させてゆくと同時に、それが「過去」であることを刻印させてゆく。現在ではない、過去なのだ、と。
しかし、現在形で自分のトラウマを語ったことがあるひとになら分かるだろうが、その地味な作業がとても辛い。記憶がぶわっと今に襲い掛かってくる。襲い掛かってくるから避けようとして現在形から逃れようとする。でも、一度今に舞い戻ってきた記憶は怒涛の如く私を呑み込む。結果、息が上がりぜぇぜぇと息切れし、語り続けられなくなる。
その繰り返し。

他人事のように語ることは、いくらだってできるのだ。私にも。
まさしく他人事のように、こんなことがあったあんなことがあった、と語ることは。
しかし、
現在形、しかも主語が自分、となると、私は避けてしまう。とてもじゃないが語り切れない。
語るごとに現在が過去に侵されてゆく。

もうひとつは、課題をこなすこと。
たとえば、他人と本屋などで背中合わせに10分20分耐えること。
たとえば、長い時間歩いて他人と何度もすれ違うこと。
たとえば。

挙げればどれもこれも地味すぎる、当たり前すぎることなんだろう。
しかし。たとえば他人と背中合わせに立って耐えることは、私には辛い。
どうしようもないくらい怖い。
また同じことが起こるんじゃないか、起こるに違いない、起こってしまう!という危機感に何度も襲われ、そのたび時間を超えることなく逃げ出してしまう。

普通のひとにとっての当たり前が、こんなにもできないなんて。
それを思い知らされる毎日だ。

それでも。
いつか大丈夫になりたいから。
いつか傷をちゃんと過去のものにしたいから。
いつか。

と思って、治療を続ける。

そんな今日この頃。


2014年9月5日金曜日

引き受けられる荷物が


私は二十歳になる直前、泣いた。大泣きした。わんわん泣いた。生まれて初めて自分から声を上げてひとり、泣いた。
理由は簡単で、二十歳になる、と思った瞬間、どわっと後悔が押し寄せたからだ。
十代らしいこと何一つやっていないのに、私はもう二十歳になるのか。
そう思ったら、泣くしかなかった。

だから、三十になる時には、せめて泣かないで済むように生きようと決めた。
そうして二十代を生き始めたつもりだった。なのに。
私は性犯罪被害に遭ってしまった。遭ってからの日々は地獄だった。
針山の上、のたうち回るような痛みしか、生きていて感じられなかった。
だから、いつだって死んでやると思ってた。

そうして三十になった。
なんだか呆然と、三十になってしまった。
でも、泣かなかった。

三十も後半になって、何となく、こんなもんかな、と思えるようになってきた。
こんなもん、というのは、年齢のことだ。
それまで、年齢と自分の生とがどうやっても重なり合わず、私は苦しかった。
でも。
少しずつ少しずつ、その差異が、少なくなってきた、そんな感じがあった。

四十になって。
ほっとした。
ああ、四十だ、と思った。はじめて、年をとるのが嬉しかった。
そうか、私は四十か、四十になるのか、四十まで無事生きたか!
そう思ったら、なんだかとっても嬉しかった。

人生、辻褄が合うようにできてるもんだ、と、帳尻が合うようにできてるもんだ、と、
私の二倍、この世に生きて在る友人が言っていたことを思い出す。
それを最初に聴いた時は、ふざけんな冗談じゃないよ、と思っていた。何が辻褄合うように、だ。何が帳尻合うように、だよ。被害者になって帳尻も辻褄もへったくれもないさ!
なーんて、
私は思っていたのだ、その頃。
でも。

四十を数えて。越えてみて。
なるほど、と思えるようになった。
自分が引き受けられる荷物が、しっかり自分の肩に乗っている。
不思議と、自分が引き受けられるぎりぎりの、限界の量、しか、乗っていない。
なるほど、これが帳尻か、辻褄か。
もちろん、この先まだまだ何かしらあるんだろうけれど。何があっても不思議はないけれど。

でも。

何とかなる。きっと、何とかなるんだ。

今は、そう思う。


2014年9月1日月曜日

じわじわとした変化


まだ部屋からなかなか出ることができなかった頃、ぽつぽつと部屋の中のものを撮っていた。
その中でも、カーテン越しに垣間見える空は、私にとって愛おしい、羨ましい存在だった。
いつだってそこにあって、そこにいて、それが赦される空が、
どうしようもなく愛おしく、羨ましかった。

あの頃どうしてあんなにも、空を見ていたんだろう。

当時住んでいた部屋のすぐ隣には、川が流れていた。水辺がとてもすきな私なのに、
すぐ隣に流れていることが分かり切っているのに、それでも部屋から出て行くことが
恐くて怖くて仕方なかった。
また嫌なことが起こる、またとんでもないできごとに見舞われる、
また・・・
そんなどうしようもない思いが私をぎゅっと掴んで離さなかった。

もし、
写真をやっていなかったら。
私はまだまだ、外に出て行くことが叶わないまま、閉じこもっていたのかもしれない。

写真を見つけたから、
私はじきに、外が気になりだす。
外の世界がどうしようもなく気になり出し、
そろそろ、と、這い出していったのだった。

あれからもうずいぶん時が経つ。
私の幾つかの習慣は、あの頃からまだ変わらず、私に沁みついていたりするけれど。
でも。
自転車さえ私の隣にあるなら、
私はずいぶん遠くまで出かけてゆけるようになった。
どうしても会いたいひとに会うためになら
電車にだって乗れるようになった。

そういうもんなんだろう。

時が経つ、というのは、そうやって、
少しずつ少しずつ、じわじわと、
変化してゆくことなんだ、と思う。