2014年5月30日金曜日


あれはまだ私がPTSDの症状が酷い頃。
とはいっても、思い出そうとしても断片を幾つかしか思い出せない。

私を撮ってほしいとやってきた彼女。
私の前に立ち、ただそれだけを言った。

何を考えるまでもなく、私は撮ろうと思った。
何故瞬間的にそう思ったのか、何故そんなことができたのか、
今思い返すと分からない。

ただ、
撮ろうと思った。
だから、撮った。

まだ夏になる前の、なのにそれはまるで夏のような日差しの或る日、
私たちは街を駆けた。

何故だろうその時、私にはくっきりと色が見えたのだった。
これでもかというほどの鮮やかな、青。

雲を焼くように、
風を焦がすように、
青は、青、だった。

彼女は今頃どこでどうしているのだろう。

私は、知らない。


2014年5月25日日曜日

二十代の群像より

二十代の群像というシリーズでつきあいのある若者と撮影に行った。
早朝午前三時に起きだし、三時半には出発。そして目的地の公園に着いたのが午前四時。
でも夏の朝は早い。あっという間に空の色は緩み始める。
冷えるね寒いねなんて言い合っている間に、空は朝焼けの色へ。

撮影開始。
彼とカメラを挟んで向き合うのは二度目だが、彼は実にのびのびしている。いや、
本当は緊張しているのかもしれないが、その緊張を上回るように「楽しい」という感じが伝わってくる。
だから私も思う存分楽しんでいる彼を追いかける。

一度目に撮らせてもらってから彼には本当にいろいろあったらしい。
私が知っている範囲でも、あれもこれもといろいろあった。
でもそのどれもが、きっと彼の血肉になって、肥やしになって今在るに違いないと感じられる。

二十代。
二度とない年月だ、それは。
十代でも三十代でもない二十代にしかできないことがどれほどあるかということは、過ぎてみて初めて知る。
二十代だからこそ赦されること、
二十代だからこそでき得ること、
二十代にしか見えない地平が、確かに在った。私にも在った。
だから、私は彼らに伝えたいと思う。
思う存分足掻けよ、抗えよ、意地をはれよ、見栄をはれよ、肩ひじ張って駆け抜けろよ、と。

朝はあっという間に明けていった。
朝露でぐっしょりぬれた足で、その日私たちは帰路についた。

また、向き合える日を、楽しみにしている。
 
 

2014年5月23日金曜日

それぞれの一日。


  

春が終わってゆく。
慌ただしく、個展やグループ展やと走り回った春が終わってゆく。

そしてもうすでに、初夏の陽気だ。
時が経つのは本当に早い。

そんな私と、娘や息子の時間はきっと
違う流れ方をしている。

まだまだこれからの彼らは、毎日何かしら新しい発見に出会い、
慄き、或いは歓喜し、それを自分の内に取り入れるのにきっと四苦八苦しているに違いない。
私は。

私は、これまでの人生を時折振り返りながら、
それらを浄化する作業に、取り掛かり始めている。

人生が終わるまでに、それらを全部為し得るかどうか。定かではないけれど、
それでもやらずにはいられない自分だから、仕方がない。

さぁ今日も新しい一日が私たちを待っている。
それぞれに、それぞれの時の中で、精一杯呼吸しよう。
 


2014年5月7日水曜日

ありがとうございました。


一か月に渡る個展、おかげさまで無事終えることができました。
それもこれも、みなさまのおかげです。どうもありがとうございました。

お会いできた方も、お会いできなかった方も、足を運んでくださったこと、本当に感謝しています。
そして、感想ノートなどに一筆残していってくださった方も、その言葉、確かに受け取りました。

杏子のその後を案じて下さった方々、
彼女は生きています。今日もちゃんと生きています。
もちろん、もしかしたら明日、彼女は死ぬかもしれない。それでも
精一杯「今」を生きています。
もし半年後、彼女がこの世にいなかったとしても。
あなたの心の眼の中に、彼女は生きていてくれるんじゃないか、と
私はそう思っています。

生きることは、しんどいです。もうそれだけで、奇跡の連なりです。
私も杏子も、何度死のうとしたことか。でも、生き残ってしまった。
生き残ったからには、できるのはただ、生き続けることです。
死を迎えるその日まで、潔く、生き切ること、です。
今生きることを躊躇わざるを得ない状況に陥っているなら、どうか、今一瞬、
躊躇い続けてください。
そして、できるなら、生きてください。
生きてよかった、と思えることなんて、もしかしたらないかもしれない。
でも、
あなたの命をいとおしく思う誰かは、必ずいるんです。
たとえば杏子の命をいとおしく思う私がいるように。
必ず、いるんです。

もしかしたら私が明日事故に遭って、私が杏子より先に逝くかもしれません。
生きているというのは、そういうものです。
いついかなる時に死が訪れるか分からない。誰の上にも平等にそれはある。
そういう、ものです。
だからこそ、眩しいほど光り輝いているのだと思います。

生きて、また会いましょう。
その日を、楽しみに、しています。

今回は本当に、ありがとうございました。


にのみやさをり