2014年12月25日木曜日

徒然記 20141225


この時期になると私は徐々に具合が悪くなる。いわゆる記念日反応の症状が始まる。
二十年経ってもそう。もうこれは、致し方ない。

二十年前、私の親友もこの時期に被害に遭った。
彼女はクリスマスに、私は阪神淡路大震災の直後に。
その後私たちが選択したことは、右と左くらいにそれぞれ別で、
だのに心が辿る道筋は、殆ど一緒だった。
だからかもしれない、彼女とは親友という言葉より、戦友という言葉が似合う。

この時期しんどくなると、だから、彼女を一番に思い出す。
しんどいのは自分だけじゃない、彼女は彼女で今必死にここを越えようと抗っているはず、
ならば私もここを越えねば、と。
ただひたすら、その一念で、私は這いずる。

そんなこの時期、川縁に植えられた桜の樹にはすでに花芽が孕まれており。
散り落ちた葉の後からもうすでに固い芽が現れており。
ああそうか、葉が散り落ちるのはこの芽をこの世に運び出すためだったのだ、と気づかされる。
そうやって、植物は連綿と、命を繋ぐ。

ひとも。
そうやってひとからひとへ、命を繋いでいるんだと、思う。
ただ、そのやり方が、時々ヘタッピイになるから、ぶちっと緒が切れたり、緒が絡まったりしてしまうんだろうな、と。

たとえば母から私へ。私から娘へ、と繋がれるバトンは
一体何を孕んでいるのかと、改めて考えてみる。
母が担った荷物を、私が背負えるわけでなし、私が背負った荷物を娘に背負わせるなんて考えただけでもぞっとするわけで。
それでも。
母から私へ、私から娘へ、と、連綿とバトンタッチされてゆくものは確かにあって。

今更だけれど。そういうずっと続いてきたものたちを大事に慈しみたいなと、思ったりする。
ひとがひととしてあるということの意味を、噛みしめながら。

植物の営みを、見本にしながら。


2014年12月6日土曜日

handmade photo book "A thin and tiny voice"

I'm selling a handmade photo book in my HP now.
This book of the title as "A thin and tiny voice".
I kept taking sexual misusage and survival of sex crime damage for a long time.
Their voice is low. That's very small.
But they live strenuously anytime.
Damage undermines them, but they're making an effort in order to surpass that on a day in sometime.
I took them.
Those pictures were gathered by this one copy.