2015年9月20日日曜日

書簡集展示のお知らせ

今年も書簡集での展示の季節になりました。
今年もいつものように展示をやれるということ、とても嬉しく思います。
今年は・・・悩みました。
わたくしごとでいろいろ躓くことが立て続けにあって、こんな状況で展示ができるのかなぁと。
そんな時、ひとりの友が、背中を押してくれました。
感謝、です。

そんなわけで、今年もやります。
「二十代の群像」シリーズから、「Kの旋律」「孤獅唄」、展示します。
「Kの旋律」、前期はカラー、
「孤獅唄」、後期はモノクロ、という構成になります。


展示期間中、私は土日は基本、書簡集に行けません。
平日のみになります。
本当に申し訳なく、ごめんなさい、です。
平日、お時間作れる方いらっしゃいましたら、会場でお会いできると思います。
その時はお声かけてください。

なお、DM、欲しいなーと仰って下さる方いらっしゃいましたら
遠慮なくメッセージください。
10月初めにはお届けできると思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

2015年7月21日火曜日

handmade photo book "SAWORI"

I'm selling a handmade photo book at my website now.
That's the self portrait collection.
I'm hoping to want a lot of people to see that.
photo by SAORI NINOMIYA,
text by RUI HAYASAKA,
English translation by TAKEKO FUJISAWA
edition 30.

Size: 180 mm x 180 mm x 14 mm.
Page 112(Black and white pictures)
book 5500JPY+Postage 1800JPY
そう、どれもこれも、日常の一断面に過ぎない。だけれども、そのどれもが唯一無二の瞬間瞬間であることを、私は強く感じている。これまで見過ごしていたものたちが光を放ってくっきりと輪郭をもって輝いて見えてくるということを、私は今、まざまざと体験している。
そして思うのは。
当たり前なんてものはこの世界にただのひとつもないのだ、と。どんなことも唯一無二の、愛おしい愛おしいものたちなのだ、ということ。
たとえ、過去にどんな被害に遭って穢れていようと、どんなに病が深く私を穿っていようと、私という代物もまた、この世界で唯一無二なのだ、と。
私は日常を愛す。当たり前とされる、でも何一つ当たり前のことなんてない、そんな日常を。
私は、愛す。
Those images are just a preview of my daily life. But I strongly feel that each one of those pictures are an unique moment. 
Those things that I didn't pay attention untill a certain period of my lifetime are highligthed, sharpened and brightened. 
There's nothing that is "normal". None. Everything is unique and lovable. 
Even though I have been soiled by any kind of assault, even if I am drilled by any kind of illness, 
I myself am still unique and irreplacable.
I love my daily life. A daily life that is said to be normal but nothing is normal.
I love it.
-----(from photo book "SAWORI")
This is my self portrait collection. I'd like to report these pictures and texts to you.


2015年7月8日水曜日

グループ展のお知らせ



7月20日から26日、写真集団Funky Makers、11名の有志による写真展示します。
テーマは「宙ニ謳フ」。
これを「ちゅうにうたう(チュウニウタウ)」と読むのか、それとも「そらにうたう(ソラニウタウ)」と読むのか、それとももっと他の音を当てるのか…あなたはどちらだろう。
「宙ニ謳フ」というタイトルのもと、11人の作家が集まった。写真集団FUNKY MAKERS。「宙ニ謳フ」の解釈は作家それぞれに任され、限られたスペースの中でその世界を展開する。作家それぞれの世界をご堪能いただだけたら。そして、この11人だからこそ奏でられる鼓動を感じていただけたら幸いです。

展示が始まるまでの間、facebookイベントページにて定期的に各作家の作品およびステートメントの紹介をしています。
https://www.facebook.com/events/520447421435713/

初日の20日にはオープニングパーティーを催します。この折、声と舞踏とチェロによる即興も予定しています。また、展示していない作品も含め今回の「宙ニ謳フ」というテーマで各作家の作品を動画にて上映します。
お近くにお越しの際はぜひ!お立ち寄りください。

2015年3月15日日曜日

この場所にだけ存在する掟

  朝5時を回る頃、私は家を出た。夏の朝は早い。あっという間に明けてゆく。昨夜遅くぱらついた雨の亡骸が、まだ街のここそこに残っている中を歩いてゆく。目的地はもう決まっている。夜では、今の私には決して行くことのできない場所。そこへ行くために私は下り電車に乗った。
 S町駅を降りてN小路を通り抜けさらに奥へ。一杯飲み屋、定食屋、ラン・パブ、瓦礫のような住家…それらがいっしょくたに存在する場所へと、私は向かう。
 H町駅を横目に過ぎ、わざと表通りを外れて裏へ裏へと足を進ませる。表通りでは、これから始まる一日のために、店開けの準備に忙しい人たちの姿があった。が、一歩ずつ裏へ入っていくほどに、その様相は変化してゆく。
 朝であっても季節は夏。蒸し暑さが肌にぴったりくっついて離れない。でもその気持ち悪さだけじゃない、何か違うもっと違う気配が、私の背中をだんだん覆ってゆくような感じを覚えた。来ちゃいけない場所に来たんじゃないか…?
 頭の上の方をK線鉄道が赤い車体を見せながら走っている。同じH町であっても、表と裏,駅前商店街とその裏側とでは全く違う顔を見せる町。
 まるでほったて長屋だ。高架下にびっしり…続いてゆく、まっすぐに続いている。隣りとの境などまるで定かでない、開けっぱなしにされた玄関口をふと覗けば、夜の商売の後片付けをまだ済ませていないままの散らかったカウンターで、釣り下げられたテレビをぼんやり眺める中年もとうに過ぎた女の背中。その1mも離れていないところにまた次の玄関口、酔いつぶれた客がそのまま寝込んじまったんだろうか、「ほら、もういい加減おきなよ、しょうがないねぇ、まったく。これ一杯おごるからそれ飲んだらもう家に帰るんだよ、ほら!」と、奥を眼で計ってみても2畳半あるかどうかのスペースしかないカウンターに伸びた客を揺り起こすママらしき女の姿。その反対側に、これも同じように2畳、3畳あるかどうか知れないスペースの小屋が数え切れないほどに続いている。
 このどれもに、女が一人ずつ、ぽつねんと佇んでいた。みな、朝の僅かな風を吸い込もうとしているのだろうか、ただ、朝の空気によりかかっているだけなのだろうか、とって付けたような扉を開け放ち、思い思いの格好でぼんやりしている。女達の顔には、まだ昨晩中飾っていたのだろう化粧の名残りが残っていた。特にその眼の周り…ファンデーションはすっかり崩れ落ちても、アイシャドーと口紅は、脂ぎった色合いでもってそれでも残っている。その小屋のすぐ隣りには、もう40年、50年来この土地に住み続けている人たちの朝食の支度の音が。使い古した盥に水を汲んでは玄関口に撒く姿も。…
 私は、だんだん言い知れぬ気持ちに覆われていった。何をと言われても困る。ただ、見てはならないものを私は見ているような気がして…。だから、すれ違う人、目が合っても合わずともすれ違う人にはみんな、「おはようございます」と大きな声で声を掛けながら歩き続けた。けれど、それに応えてくれる人は少ない。目礼だけでも返してくれるならまだしも、私の肩に掛けられたカメラを見つけた途端に扉をバシャンと閉める人のどれほど多いことか…。

 そんななか、何匹もの半野良猫に会った。彼らは知っているのだ。この場所がどういう場所なのか、私などよりもずっとずっと知っているのだ。それを直感した。なぜなら、声を掛けながらそろりそろり近づいてゆく私に、おまえは余所者だろ、という敵愾心を露にした視線を返してくるからだ、しかも一様に。
 途方に暮れた。私はここに来てはいけなかったのか…でも私は今、今この場所を撮りたい、撮らなければならない、なぜだろう、そんな思いがまるで強迫観念のように徐々に私の中で膨らんできた。
 もう、開き直ろう。開き直ってしまえ。向き合ったまま視線を逸らそうともせず余所者は帰れ、という猫の眼から私は離れ、もう一度歩き出した。「おはようございます」「おはようございます」返事なんてどうでもいい、私が彼女らに声を掛けたいから掛けるんだ、返事なんかどうだっていい。私は歩きながら、見かける女達女達みなに声を掛けてまわった。そして気づいた。彼女たちは全員日本人ではないことを。そして気づいたら私は、ふと眼が合った女の幾人かに、声を掛けていた。「おはようございます。あの…私、この街のこと写真に撮りたいんです。撮らせていただけますか?」。無駄だと分かっていた。所詮無駄だと。でも聞かずにはいられなかった。何かしら話し掛けずにはいられなかった。こたえはもちろん想像の通りだ。「ゴメンナサイ、ダメナノ」「ゴメンネ、ダメ」「ダメヨ、ダメヨ、ワタシ、コワイ目、合ウヨ」…。たどたどしい日本語で彼女たちはそれぞれに応えてくれた。私はその度、「ありがとうございました」と深く頭を下げた。頭を上げると必ず目が合う、彼女たちの弱い空ろな微笑は、まるで仮面を剥がされた道化師のようで、私の心を苦しくさせた。だから、めいいっぱい明るい笑顔を返して、私はさっさとその場を立ち去る、それしか私にはもうできることがなかった。

 途中、もうここに先代から住み着いているというおばあちゃんに声を掛けられた。私がちょうど、野良猫にシャッターを切った直後だった。私がシャッターを切り「ありがとね、にゃんこ」と声を掛けてその場を去ろうとすると、「あんた猫がよっぽど好きなんだねぇ」とおばあちゃんが笑った。そして、私は、思い切って尋ねた。
 ここは、撮ってはいけない場所なんでしょうか、私、この場所が好きで、どうしても撮りたくてそう思って来たんだが、と。
 答えは明快だった。笑いながらすぱっと。「そりゃね、ここは明日も知れない生活とセックスと酒と女、これで成り立っている場所だからね。ここにはこの場所の掟ってもんがあんだよ、昔っからね。それを守らせるために四六時中見回っているごろつきが、ほら、あそこにも、あっちにもいるだろ?」。
 そうだった。私が途中何度も気づいた視線たちは、この場所の掟を守り続けるための主たちのものだったのだ。
 うなだれかけた私に、おばあちゃんは続けてこう言った。「でもね、ここに住んでる人たちはね、懐が広いんだよ。これっくらいどうってことないさ。あんたが撮りたいと思ったら頑張るんだよ。みんな根はいい奴ばっかなんだ、これだけは言えるよ」。
 そう言っておばあちゃんは大きな声でまた笑い、私の背中をそっと押してくれた。
 再び道を引き返す。もう、さっきまで開いていた小屋の扉のほとんどは締められていた。所々開け放したままの小屋の中に居る女たちに「おはようございます」と私はさっきよりずっと大きな声で声を掛けて歩いた。返事を返してもらったのは2,3度だけ。目礼のみ。そして、中には細目に開けた扉の隙間から私の姿を見つけ、私がその扉を通り過ぎるとすぐに駆け出してゆき、この場所にだけ存在する掟を守る主たちに駆け寄り耳打ちする女も数人いた。その男達が幾人かで私の様子をかわるがわる見張っているのも、なんだかもうどうでもよくなった。わざと前から歩いて来て私のカメラを睨んだ男に「おはようございます」と言ったら、さっさと帰れというサインなのだろうか、片手を、邪魔なものを払うようなしぐさをしてそのまま通り過ぎていった。
 本当は、猫や長屋のように連なるさまざまな生活の渦巻く外側だけを撮りたかったんじゃなかった。この町で私が見るその姿を真っ向から撮りたかった。そのためにやってきたはずだった。でもこれ以上,執拗にレンズを向けるのは…。それでいいんだろうか。…入り込んではいけない場所があるということを、私に改めて教えてくれた。人の心にこれ以上踏み込んではいけないという一線があるように。
 だんだんとその場所から離れてゆく、私の中で、いろんな思いが浮かんでは消え、消えてはまた浮かんだ。
 あの女達はどこから来、いつまであそこにいるのだろう。多分、次々に顔は変わってゆくのだろう。用なしになればどこへ放り出されるか知れたものじゃない。それでも、彼女たちが夜に咲かせる華に、この街はこの通りは、きっと彩られ、支えられているのかもしれない。
 ほったて小屋のような、もう半ば雨樋も腐った木造小屋に住み続ける住民たちと共に、あてがわれた数畳の小屋に佇む女たち。住民達が住み続けるうちに幾つの女の顔がここで入れ替わり立ち代わり現れては消え、消えてはまた現れるのだろう。でも、女の顔は次々に入れ替わっても、女が夜咲かせる華は咲き続けなければならない。明日もしれない生活とセックスと女と酒…そのどれもが隣り合わせ、背中合わせに混在することで、この街は息づいている…。

 私は、いつのまにかN小路のあたりまで歩いて戻って来ていた。ふと右の方を見やった。O川はとうとうと流れている。その向こう側はF町。これも同じ外国人女たちが夜の華をきらびやかに咲かせる場所だ。けれど。
 何という違いなんだろう。川を挟んでこちらとむこう、向こう側でも夜の華が咲き乱れている。けれど、その華たちは、労働を終えたら、たとえせせこましい部屋であっても帰って眠る部屋を持っている。けれどこちら側は…。
 金を稼ぐために確かにそのために日本にやってきたのかもしれない。が、ひとつの川を挟んでむこうとこちら、何という違い。外国人女性によって成り立っている「性域」でありながら、その待遇の違い。この大きすぎる違いは一体何なんだ。
 私には分からない。分かろうとしても到底分かり得ないのだ…。
 こうして通りを、道を、恐々でもそれでも歩きまわり、いざとなったら警察署なり何なりへと飛び込めば、多少痛い目にあったってどうにかなるような私と、同じ「性域」の向こう側では労働を終えれば帰る場所を持ち、通りも歩いて帰る女たちと、こちら側では、二、三畳あるかないかの小屋から、労働が終わった朝でも、通りにその半身さえも出すことのかなわない彼女らと、…この何という大きな隔たり!!
 もう一度私は川向こうを仰ぎ見、そして振り返った。今、私の目の前に居並ぶ長屋のような小屋の連なり。この場所にだけ存在する掟。そして、通りに陽光を浴びに出ようとさえしない女たちの自由を知らない、羽を持っていても飛び方を知らない鳥のように、あの場所に居る女達の眼差し。忘れないだろう。きっと。
 私が再びこの場所を訪れる時、一体何人の同じ女の顔に出会うことができるのだろう。恐らく、ほとんどが入れ替わっているのだ、そうやって、何人もの女の汗とむせ返るような溜め息の匂いと諦めたとは違う、もっと根っこの方にある「知らない」ということが生み出すこの膿のような淀んだ何かは、私の中から決して消えない。
 また来よう。いや、来る。その時まで、ここが存在していますように。
 「じゃ、また来ます。今日はありがとうございました」。
 私は、深く、深く深く、このH町の一角に頭を下げ、帰途についた。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E7%94%BA より

2004年(平成19年)7月、売春防止法の罰則強化、不法滞在者の取締り強化要望書を中区から国へ提出。2009年(平成21年)の「横浜開港150周年」に向けて街のイメージアップを図るため、2005年(平成16年)1月11日より、「バイバイ作戦」と名づけられた警察による集中的な摘発がはじまった。機動隊の大型車両で突然乗り付けた多数の警察官が地区内へ突入し、風俗嬢らが叫び声を上げる中、大規模摘発が行なわれた。同年4月、県警は近くの町内会館や京急高架下に「歓楽街総合対策現地指揮本部」設置して監視を続けた。この結果同年8月までに全店が閉店した。

1997/11記

2015年2月19日木曜日

あたしの中に




動物は、自分の足を食いちぎってでも生き延びようとするそうだ。怪我を負ってどうしようもなくなった足は、ついているだけ邪魔になる。足がなければ不自由になることは分かっていても、そんなことより、生き延びることを本能が選択するのだろうか。
 そういう話を知り、かつてじいちゃんが生きていた頃、じいちゃんに、動物ってそうなんだって、すごいね、と話したことがあった。そしたらじいちゃんは、まだ尻にアオタンが残っているような子供のあたしにむかって、まっすぐにこう言った。
「動物だけじゃない。人間だってそうだ」
と。
 戦火の真っ只中、頭の上を砲弾が飛び交う。その砲弾を体の何処かに浴びれば肉は吹っ飛び血が噴出す。じいちゃんの戦友の何人もが体に弾を食らった。弾のおかげで片足が吹っ飛んだ奴もいれば、弾が肉の中に食い込んでそれが腐敗し始める奴もいた。吹っ飛ばずに肉の切れ端同士がくっ付いて、下手にくっ付いて残ってしまったが故に腐り始め、高熱に苦しむ奴もいた。そもそも、弾のおかげで木っ端微塵になる奴らがいた。戦場へ行った姿のままでいられる奴の方が少なかった。じいちゃんは淡々とそう言った。
 戦争を経ていないあたしには、到底考えられない光景だった。
「自分のナイフで足に食い込んだ弾を掻き出そうと足の肉を抉る奴もいた。まだ何とかくっ付いている弾を食らった足を、あまりの痛みで切ってくれとうめくように言う奴もいた。運良く掘建て小屋のような病院に辿り着いても、麻酔もなにもなく、命を守るために傷を負った手や足を切り落とさなければならなかった」
 それでも人間は生きるために必死だった。
 じいちゃんは、あたしに、そう言った。
「そんな必要のない世の中におまえは生きることができるかもしれない。そんなことをせずとも生きてゆける世の中になるかもしれない。でも、自分の手足をひきちぎってでも生きることを選ばなければならないときには、迷わず生きることを選べ」
 この世に産まれたからには生きろ。それが為すべき何よりも為すべきことだ。
 じいちゃんがあたしに、教えてくれたことのひとつだ。

 あたしのばあちゃんは、32の歳を数えると同時に癌にとっつかまった。最初は胃が冒され、冒された部分を切り取るために入院し手術した。きれいにとったはずだったが、何処かに残った癌細胞はばあちゃんの健康な細胞を食ってしぶとく生き延び、数年も経たないうちに再びばあちゃんを病院送りにした。今度は胃を半分切った。
 でも、癌は一度食いついた獲物は死んでも離すかといったふうに、ばあちゃんの胃を次々侵食していった。半分の次は残った半分をさらに半分にし、さらには胃を丸ごと奪っていった。
 まるで毎年の恒例行事かのように、ばあちゃんは入院し手術し、そして退院し、と、繰り返した。ばあちゃんの口癖はだから、「あたしは人生ヒトより短いんだから、やりたいことをやるのよ」だった。その口癖を完遂するかの如く、実際周囲が呆れるほどに、彼女は退院すると動き回った。踊りの師匠でもあったばあちゃんは、退院すればさっさと踊りに行き、舞台に立ち、かと思えば友達と旅行に駆け回り、とにもかくにも毎日毎日何処かに出かけた。人生短いんだ、やりたいことはその時にさっさとやらなきゃ。毎日毎日彼女は、死を意識し追い掛けて来る死を背中に感じながら、それに呑み込まれてたまるかと生を突っ走った。生き急ぐという姿があるなら、まさに彼女がそうだった。
 でも、そうやって走って走って走り続ける彼女を、癌はそれでも離さなかった。いくら手術を繰り返そうと一度巣食った癌細胞は、周囲の元気な細胞を次々食い物にし、最期、彼女の全身を見事に癌細胞にし尽くした。
 これが間違いなく最期の入院になる、今度の入院は死ぬことを意味する、どうしようもなくそのことを認識しなければならなくなったとき、周囲が何か言う前にばあちゃん自身がそのことを知っていた。まだ告知ということが今のように為されていなかったその時代、周囲はばあちゃんをなんとか騙そうと必死になった。大丈夫だよ、いつだって元気になって戻ってこれたじゃない、今度だってそうだよ、がんばろうよ、と。でもばあちゃんは知っていた。いや、今度はもうあたしは戻れない、絶対に戻れない、と。それを意識した日からばあちゃんはあたしに言うようになった。「ばあちゃんはもう死ぬからね。死ぬ前にこんなことがしたかった、こんなこともしたかった、でももうできない、いくら頑張ってももう時間がない。だからね、後悔なんてしないようにしなくちゃだめだよ、やれることはやっておくんだよ、生きているうちにやりたいことはやっておくんだよ」。
 そんな彼女が最期の入院の日までうちで過ごした数ヶ月の時間のうち、お風呂の中で泣いた日があった。もう体がぼろぼろになり、肛門の筋肉もすっかりゆるんで、お風呂に入れば汚物が自然と出てきてしまうような状態に陥ったとき、彼女は声を出して泣いた。こんなの見られたくないと言って泣いた。もういやだ、早く逝かせてくれ、と、声をあげておいおい泣いた。お風呂のドアのこっち側で、彼女がお風呂から上がってきたら体を支えるために待機していたあたしのことなど忘れたかのように声を上げて泣いた。あたしは、こうまでして生きなければならないばあちゃんの人生に、初めて涙が出た。悔しかった。悔しくて悔しくてたまらなかった。こんなに一生懸命に生きてるのにどうして、どうしてこんな。こんな思いするくらいなら、ばあちゃんをさっさとあの世に逝かせてやってくれ、と。そう思った。神様がいるなら、これを今見下ろしていながら何もしてくれない神様をあたしは呪った。
 32の歳からこれでもかというほど体を切り刻まれ、それでも生きてきたばあちゃんは、最期、骸骨のような枯木になって死んだ。
 あれはど生きることに一生懸命だった彼女の最期の願いは叶ったんだろうか。あたしには分からない。

 ばあちゃんもじいちゃんも全身癌に食われて死んだ。
 そのばあちゃんとじいちゃんが残してくれたものは、間違いなくあたしの中に在る。
  生きてるか。
  やってるか。
 どうしようもなくなったとき、思い出す。じいちゃんの声を。ばあちゃんの匂いを。
  生きてるか。
  やってるか。
 あたしはどんなふうに答えるんだろう。
  生きてるか。
  やってるか。
 答えはまだまだでない。まだまだ出ない。あたしが死ぬそのときに、あたしが見つける。だからその日まで答えなんか分からない。
 でもね。
 とりあえず今のところ、あたしはやってるよ、生きてるよ。
あの世でしっかり見ててよね、じいちゃん、ばあちゃん。あんたたちの孫は、これでもかってほどこの世にしがみついて生きているから。


2015年2月17日火曜日

口の中の鉄の味


 そこはまるで、映画の中でよく見る宇宙船の廊下のようなのだ。そんな廊下を私は歩いている。私の前にも私の後ろにも、何人かのヒトガタが在り、私と同じように前方の扉へ向かって動いている。そう、歩いている、のだと思う。歩いているのだとは思うが、それは、ぼわん、ぼわん、と、いつもの慣れ親しんだ規則正しい重力の方程式ではなく、云ってみれば投槍で中途半端なそれがかかっているかのようにぼわん、ぼわん、と、一足ごとに浮遊する。そうやって私たちは前方の扉へと進んでゆく。
 気がつけば開いているその扉を私たちはくぐる。と、そこには円形の部屋がひろがっており、スクリーンの代わりに分厚いガラスで作られた水槽が目の前にあった。円弧を描いて前方に横たわる水槽を正面にして広がる階段状の椅子にヒトガタたちはめいめい座ってゆく。私も左端の、前から三段目の場所に座る。
 なんとなしに振り向くと、二段後ろの斜め方向に、父がいた。そう、父だ。さっきまではいなかったはずなのに、そこには父がいた。私の父が。
 私が父だとそのヒトガタを認識したその瞬間、弟の声がした。「姉貴、逃げろ」。そしてその声とほぼ同時に、父であるヒトガタを下方から突きぬくかのように、深紅の水が噴き上がった。
 父が、父が死ぬ。死んでゆく。目の前で父のカラダが深紅の水で真っ二つになってゆく。だめだ、止めなくちゃだめだ、水を止めなくては、止めなければ父は死んでしまう。思うのに、そう思うのに、私の足は動かず、その様子を私はただ凝視するばかり。そう、指一本さえ動かせず呆然とただ凝視しているのだ、私は。
 そうしている間に父であるヒトガタの、今度は心臓部分から、同じく深紅の水が噴出し始める。すさまじい勢いで。部屋は見る間に水浸しになってゆく。あぁ、もうだめだ、父は、父は。その時、周囲で群れていたヒトガタたちがいっせいにざわめき始めている。
 「姉貴、逃げろ、逃げるんだ」再び弟の声がした。姿はない。声だけが私の耳にうゎんうわんと響く。「早く逃げるんだ」
 と、その時、弟の声の向こう側から、まるでずんずんと近寄ってくる軍隊の足音かのように束の声が響いてきた。
   「あいつが殺した」
    「あいつが殺した」
     「あいつが殺したんだ」
       「犯罪者を生かしてはおけない」
      「死ね」
     「死ね」
   「死ね」
 私は、逃げ出した。まるで吸盤のように地に吸い付いた足を千切れてもいいと無理矢理引っ張り上げ、そして走った。
 いや、走ろうとした。が、私はやはり、中途半端な重力のおかげで、まるで蚤のようにぴょーんぴょーんとはねているだけに過ぎず、それでも、私は必死になって逃げ出した。
   「殺してやる」
    「殺してやる」
     「罪人を生かしてはおけない」
      「殺してやる」
     「殺してやる」
    「おまえを殺す」
 ぴょーんぴょーんと私ははねて逃げる。声の群れが後方から押し寄せてくる。私は逃げる。声の群れも私と同じく蚤のようにぴょんぴょんはねる。追い掛けてくる。気付けば周囲の景色は山間から谷間へ、そして伸びる線路へと姿を変える。声の群れはそれでも木霊しながら私を追い掛けて来る。私は逃げる。声が追い掛けてくる。
 私は。
 私は殺してなどいなかった。父を殺してなんかいない。そんなこと一目瞭然だった。私は父を殺せる位置になどそのときいなかった。私じゃない。私じゃない誰か他の誰かが私の父を殺したんだ、私じゃない。
 私は何度も何度も、何度も何度も心の中でそう叫んだ。追い掛けてくる声に向かって叫んだ。だが、声はもはや私の叫びなど聞く余地など持たず、怒涛のように押し寄せてくるばかりだった。私は殺してない。殺してなんかない。でもそんなこと、もはやどうでもいいのだ、こいつらには。私がやったやらない、ではなく、この出来事を滞りなく片付けるためには事を起こした「犯人」が必要であり、その犯人として吊し上げる誰かが必要であり、誰かしら何かしらの対象を必要としていた彼らの目にたまたま、私が映ってしまったというだけで。それでもう充分なんだ、私を追い掛け、吊し上げ、抹殺する、それで全て丸く収まる。
 説明している余地などない、正論をいくらひけらかしてみせたって殺されたらそれで終わりになってしまう、いやだ、死にたくない、私はもう逃げるしかないのだ。逃げて逃げて逃げおおせるしか。私は逃げた。ひたすら逃げた。止まるわけにはいかなかった。止まったらそこで彼らに捕まる。捕まったが最後、私は殺されるだけだ。殺されたくなんかない、私は犯人なんかじゃない、やってもいない罪で裁かれるなんて真っ平ご免だ、逃げろ、逃げろ、逃げて逃げて逃げまくるんだ。
 ぴょーんぴょーんと私は蚤になって飛びはね逃げ続け、ぴょーんぴょぴょーんと、声の群れは何処までも私を追い掛け続け。ぴょーんぴょーん、ぴょーんぴょぴょーん…。
 そうして私は山を抜け谷を抜け線路沿いに逃げ続け、五つ目のトンネルを抜けるとそこにコンクリ打ちっぱなしのホームを見つけた。私はそこによじのぼる。そういう時に限って何故か跳ね上がることができない。必死に思いで自分の身長以上に高いホームによじのぼろうとする。
 と、誰かが私に手を差し伸べて来た。「ほら」と云う。あぁ、これで助かるんだ、と私は全身の緊張が落ちてゆくのを感じた。ありがたいと心の底から思いながらその声の主を見上げ、私の心臓は止まる。そこにあった顔は。その顔は。

 夢は必ずそこで終る。そこに在った顔は、その顔は、いくら頭をゆすっても思い出すことは叶わず、けれどそれが私の息の根を一瞬にして止めても不思議ではない顔であったことは確かであり。
 そして私はいつも口の中に溜まった鉄の味にそっくりな何かを重たい嘆息と共に呑み込む。私は殺してなんかいない、私は犯人なんかじゃない。
 そしてもうひとつ、重い重い鉛を呑み込む。

 あぁ今夜も、父が死んでゆくのをただ見ているしかできなかった、と。


2015年1月25日日曜日

猫おばさん


 「ここは捨て猫置場ぢゃない / ここに猫を捨てるな!!」
 玄関のよく見える場所に、手書きの張り紙がセロテープで張りつけてある。セロテープはもう茶色く色づいており、ずいぶん前に張られたものなのだということを見た者に教えてくれる。
 そこは猫おばさんの住む、通称猫屋敷。風が吹くと猫の小便の匂いがぷんと鼻をつく。蒸し暑い夏場ともなればその匂いはたまらない。通りの中央まで漂ってくる。
 ちょっと背伸びして門構えの中を覗き見してみると、長い綱に繋がれた猫がそこかしこに何匹もいる。庭は猫の毛だらけ、あっちこっちに糞が転がり小便の痕がある。梅雨が終わり夏の盛りにもなったら、ここは一体どういう匂いがしてくるのだろうと怖くなる。猫を飼っている私でもそう思うのだから、猫を飼ったことのない人にとってはもう何ともいえないものがあるだろう。
 ひょんなことから、その猫おばさんの声を聞くことになった。つっけんどんな、でも、猫によく似た背中の丸い小さな猫おばさん。

 触るんじゃないよ、とおばさんから突然呼び止められたのは、六月も下旬に近い日、路肩に猫が倒れていた日だった。恐らく人間の車にはねられたのだろう、ざっくりと切れた後ろ足が痛々しい。呼吸もだいぶ乱れている。ふつう、こういう姿を見つけたなら病院に連れてくなり何なりするものだと私はそれまで思っていた。が、猫おばさんは違うのである。触るんじゃないよ、と言う。
 私が言い返すと、じゃぁあんたはその猫を飼うことができるのかい? と言う。いや、もうすでに二匹の猫がいるのだから、そこに更に猫を増やすのはできない相談だ。無理だと答えると、じゃぁ触るな、と言う。
 もしここで死ぬならば、それがその猫の寿命だと猫おばさんは言うのである。その後飼ってやれもしないくせに人の手で寿命を延ばすのは不自然なことだと。猫は死ぬまで自分のエサは自分で獲ってこなければならないのだから、飼うことができないなら手を出すな、と。
 言い返せず、私は結局、倒れた猫をそのままにして家に戻った。いったん家に戻ったものの、気になって娘を抱いてもう一度表へ出てみる。と、猫おばさんが、その猫の頭の方に水とエサをいれた容器を置いているじゃぁないか。
 声をかけると、ふんっ と言う。食べるかどうかは本人の問題だからね、自分で治ろうとする力をちょっと後押ししてやるくらい、どうってことないさ、と。
 それからしばらくの間、猫の頭のすぐそばには、水とエサの入った容器が置いてあった。猫おばさんが毎日置いているんだろうか。
 一週間、十日、二週間、気がつけば猫は、びっこをひきながら歩くようになり、まるでズタボロの雑巾のように汚れていた毛も、ずいぶんきれいになってきた。毛繕いをする余裕が出てきたという証拠なのだろう。
 そうしていつの間にか猫は、何処からか獲ってきたのだろうネズミやらトカゲやらにしゃぶりついている。そういった獲物が獲れないときにはどうも、猫おばさんの家に入り込んで何やら食べさせてもらっているらしい。

 あの時。猫おばさんは、私に、触るな、と言った。
 もし言われていなかったら。私はどうしていただろう。もし病院に連れていっていたとして、その後は? 飼う事ができなくてどうする? 飼い主を探すか? 探しても見つからなかったら猫はどうなる?
 もし捨てることになってしまうのならば、多分拾うことはもちろん触れることさえしない方がいいに決まってる。多分、そう、いや、きっと、認めたくないけれど、私は、もしあの時下手に手を伸ばしてしまっていたら、猫を再び野に放る、要するに捨てざるを得ない状況になっていたに違いない。そして、猫は、一度拾われておきながらその人間の手によって捨てられる。捨てられる気持ちはどんなだろう。そんなことを考えるのはばかげたことか。
 猫おばさんは、下手に手を出さず、ただ、猫が首を伸ばせば届く位置に水とエサを毎日やり続けた。やり続けたとしても、猫自体が自分で治る力がなければ途中で死んでいたことだろう。そう、それが猫の寿命だったのだろう、けれど、あの猫は一生懸命自分の傷を舐め、そこにある水とエサを懸命に食べ、そうして生き延びた。
 生き延びた猫は今、再び、自分の力で自分の食料を得られるだけの力を取り戻している。
 「ほんと、匂いがたまらないんだけどね、もう、どうしようもないのよね、わざわざ夜中にここに来てあの家に猫を捨てていく人がいるんだもの。あの人はほら、猫が好きだから、自分の家に投げ込まれた猫はどうにかして世話しようとしちゃうわけよ。あの人が自分で拾ってきてるんならこっちも文句言えるんだけど、そうじゃないからねぇ、もう、どうしようもないわね、あの人じゃなくてあそこに捨てていく人が何より悪いんだから。ねぇ、あぁもう、臭い臭いっ」。
 猫屋敷の並びに住むおばさんが、そんなことを言っていた。
 足に怪我をした猫がてっこてっこと跳ねながら猫屋敷の庭に入っていく。しばらくすると再び姿を現し、通りを渡って何処かへ出掛ける。彼は今頃何処に住んでいるんだろう。

 赤の他人が捨てていった猫を、自分も捨てるということができずに、気付けば足の踏み場もないほど猫に屋敷の殆どを占領されながら、今日も猫おばさんは猫たちと一緒に暮らしている。
 「ここは捨て猫置場ぢゃない / ここに猫を捨てるな!!」
 玄関の白い張り紙が、なんだか眩しい。

2015年1月16日金曜日

黒パン


 黒パンが好きだ。パンの中で多分、一番好きなのが黒パンで、次がクロワッサンだ。これらとアイスクリームさえあったら、私は他の食べ物がぜーんぶなくなっても一向に構わない。
 この黒パンにまつわる想い出が私にはある。学生時代、卒業論文の締切もあと二ヶ月となったとき、私は突如、パリに飛んだのだった。表立っての理由は「卒論で扱っている作家がパリ出身でパリ中心に活動もしていたから卒論の仕上げをしに実地見聞してくる」ということだったが、本当の理由は、「自分の本当の場所探し」だった。
 その頃の私は、この今いる場所が自分の場所とは思えなかった。小さい頃から私の場所はここじゃない、何処か遠くにある、何処かにきっとある、ここは仮にいさせてもらっているだけで、私の場所じゃないんだ、だからいい子にしてなくちゃいけない、だから言われた事はちゃんとやらなくちゃいけないし愛される子でいなくちゃいけない云々、そう思っていた。
 でも探しても探しても見つからない。もしかしたらと思うたび、やっぱり違うと思い知らされるばかり。もうこの国の中にはないのかもしれないと思いつめ、何故か心に引っかかって仕方が無かった街、パリへと、私は飛んだのである。
 オープンチケットをぎゅうっと握り締め、財布には6万円ぽっきり、着替えは弟のお古のズボンひとつ、他にはパンツとシャツと三枚ずつにセーター一枚。それと常に持ち歩くノート二冊と作家に関する本を一冊、それだけリュックに詰め込んで、海の向こうの街へ。初日以降、宿は自力で探すしかなく、私は財布がさびしいこともあって、橋のたもとで歌を歌って拍手してくれたヒトからご飯をおごってもらったり、大学の構内に入りこんで日本語教えるかわりに今日泊めてくれる、という女子学生を必死に探したりして。今思うとかなり危ないことを当時の私は平気のへっちゃらでやっていた。
 幸か不幸か、ただ観光で来たわけじゃない、私はこの街を知りたいし学びたいことがあるんだ、という日本人の女の子に、あの街はやさしかった。雨が降って、歌を歌ってご飯をおごってもらうことができない日には、もう馴染みになった八百屋のおっちゃんが色あざやかなフルーツを投げてよこしてくれたり、安いからと泊まったボロ宿では、学生は腹が減ってちゃ勉強も身につかないと朝黒パンのサンドウィッチを作って宿主のおばちゃんが私にもたせてくれたりした。この黒パンが最高だった。飲み物がないと口の中がいつまでもパン屑でごわごわしそうなほど歯ごたえがあるのだが、これが、噛み締めれば噛み締めるほどパン生地に混ぜてある木の実やハーブの味がにじみ出てきてうまいのだ。バターかクリームチーズを塗っただけのサンドウィッチだったが、私にはそれは、最高のご馳走だった。
 もちろん作家を辿ってあちこち回り、資料を集めたりインタビューしてみたりいろいろした。でも、思うのだが、私は、彼女(作家のこと)を辿りながら、自分を辿ろうとしていたのかもしれない。彼女を辿る事で自分の輪郭が少しでも掴めたら、見えてきたら、そうしたら自分の立つべき場所もわかるんじゃないか、なんて、少し思っていたのかもしれない。そして、この街が、もしかしたら、本当に自分がいるべき場所なんじゃないかなんて、期待してもいたんだ。
 そんなふうに毎日毎日ひたすら歩いて歩き続けて、パリ市内のほとんどは歩き尽くしたといってもいいくらいに歩いた頃、私はサクレクール寺院のてっぺんに昇った。パリという小さな街をそこから見下ろして。私は。思い知った。
 あぁ、ここでも私は異邦人だ、と。
 私はまだ何もわかってなかった。私というものがどんなふうに形作られ、そもそもどんなふうにしてここまで歩いてきたのか、生きてきたのかを、まだ全然分かってなかった。そんな尻の青さを、私はつくづく感じた。どう足掻いたって私は日本人で、日本で生まれ日本語を喋り、こうやって外国にくれば日本の文化を背負って歩いてる。それなのに私には、語ることのできるものはまだ何もない。問われても自分の国を語る事なんてできやしないし、自分自身を語ることも全然なってない。こんなんで、自分の場所も何もあるもんか、と、私は、悔しいけど、認めざるを得なかった。
 日本に帰ろう
 そう思った。日本に帰って、もう一度出直しだ、と。

 今日、私の大好きな黒パンだけじゃなく、チーズケーキにレース編みを抱えた友達が遠路遥々訪ねてきてくれた。遠路遥々来てくれたというのに彼女は子のミルクの世話までみてくれる。我子も、子育て経験者である彼女のなれた手つきに安心し、にこにこ愛想をふりまいている。まったくどっちがお客様なんだ、と、穴があったら入りたい気分になってしまった。でも。
 彼女のパンの味は、なんだかちょっと、懐かしい味がした。あの、ボロ宿主のでぶっちょおばさんが作ってくれた黒パンみたいにごわごわなんかしてない、さわやかな舌触りのする黒パンなのに、それでも、何故か、懐かしい味がした。


2015年1月7日水曜日

私信 私の知るあなたへ


 最初にあなたに逢ったのは、まだおたがいが十六の晩秋だった。いきなり目の前で泣き出したあなたと、その後わたしに矢継ぎ早に問いかけを繰り返すあなたとに、私は戸惑うばかりだった。
 あなたは自分を月だといい、私を太陽だと言った。その頃の私には、とうていそんな言葉は受け入れられず、何を言ってるのかと心の中で思っていた。
 あなたは私を好きだといい、何も言わない私にそれでも付き纏った。さをりが男だったらよかったのに、とあなたは軽々と言った。さをりの全部が欲しい、さをりの全部を自分のものにしたいのに、と。でもさをりは男のことを好きになるんだよね、と。そんなあなたは私がいくら堤防を築こうと、平気で土足のまま私の中に入ってきては私の庭を踏み拉き、そしてさらさらと笑っていた。
 そんなあなたと約束をすると、十に九つは放られた。あなたから呼び出した約束であっても、あなたはいけしゃぁしゃぁと放った。そういうあなたに、私はいつも振りまわされている気がしながら、拒絶するという術をなかなか用いれず、放れるあなたを羨ましいとさえ思っていた。
 ヒトの恋人とキスしようと寝ようと、あっけらかんとあなたは私にそのことを言った。その報告をするときあなたは、さをりがあのヒトのことを好きなの分かるようなきがする、と最後に必ずそう言った。私が、男と女なんていうのは恋人だろうと恋人じゃなかろうと寝たけりゃ寝るしキスしたければキスする、愛なんてご大層な命題を掲げなくてもそうした行為は成り立ちもするし、また、愛なんて代物が全てを包み得るなんていうのは幻想で、もし愛というものがこの世にあり得るとするならば、憎悪や憤怒、その他諸々の感情を折り込んだ風呂敷それ自体こそが愛だろうと思うようになったのもあなたがきっかけだった。あなたの言動や行為、それにともなって起きた諸々の出来事。それらがきっかけだった。
 そうして、何よりも。
 私が初めて、生まれて初めて、自分からヒトとの緒を切るという行為をなし得たのは、あなたへだった。

 そんなあなたとまさか、十余年も経て再会することになろうとは、誰が思ってみただろう。

 あなたを目の前にしたとき、私はあなたにぶつけたい言葉が山ほどあった。どうにも清算できぬまま、どうにも昇華できぬままに引きずってきたこの重過ぎる荷物たちを、再会したならば私はあなたに正面から思い切りぶつけてやりたかった。私が背負わなければならなくなった重さをあなたに叩き返してやらずにはいられないと、ただそれだけを思ってた。
 なのに。

 あなたは私を認識することはなかった。いや、昔関わったことのある誰か、という認識は持ったけれど、私とあなたとの間で起こった出来事を思い出すことは、なかった。呆然と、愕然とした私に、あなたと私を知っているヒトがぼそりと私に言う。
 病気なのだという。
 認識する力がもはやないのだという。
 あなたの精神を神経を蝕んだその病は、もう私たちが出会った頃にはあなたを蝕み始めていたものであり、そして今のあなたはもうすっかりその沼に浸かり込んでいて、よくなるということはないのだという。

 そんなのって。
 そんなのって、ありか。

 伝えていないことがあったよ。
 まだまだ、あなたに伝えていないことがあったよ。
 これでもかというほど。これでもかっていうほど。
 なのに。

 もうそれは叶わない。もしそんなことをしようものならあなたの境界線はぐらぐらとゆらぎ、下手すればあなたをさらにその沼に落ち込ませるだけの行為になってしまうという。そんな状態のあなたに、もう私は何も、伝える術など持たない。

 あぁ。

 今、私に会釈しながらも焦点が合わないままのあなたの目は、まるで地上から八センチくらい上の所で浮遊するかのようにひらひらと泳いでゆく。そして思い出す。あなたが繰り返し私に言っていたことを。
 狂ってしまえたらいいって思うの。
 そうしたら楽でしょ、きっと。
 もしその言葉をそのまま受け取るならば、あなたは、望みどおりになったのだろうか。死にたいとは言わなかった、むしろ、何処までも生きていたいと言っていたあなたは、今、望みが叶った状態であるのだろうか。
 答えなど決して返ってこないことを知りつつ、無駄な問いかけを心の中で私は繰り返す。黙って、私の目の前でたゆとうように笑っているあなたを見ているのは、私にはたまらない。

 あぁ、
 あなたが憎かった、あなたが憎らしかった、絶対に許せないとも思ってた、あなたが同じ地上に存在して今も生きていると思っただけで膝が震えるほどに、私はあなたに怒ってた。
 それは今も変わらない。あなたが私を認識できなかろうと何だろうと、やっぱりどうしようもなく変われない。
 でも。
 でも、でも。
 そうだよ、同時に私は、あなたが妬ましかった、羨ましかった、憬れてた、そして何より、あなたが好きだった。

 私は、あんなにぶちのめされても、何でも、
 あなたのことが、そう、好きだったんだ。

 片付けようの無い感情の坩堝の中、見上げた空は高く、滲んでも滲んでも高く、手は届かない。今一度だけ言おう。あなたへはもはや届かない言葉で、最初で最後、一度だけ。この空に。

 わたしはあなたが好きだった。

2000/09/22記