2015年2月19日木曜日

あたしの中に




動物は、自分の足を食いちぎってでも生き延びようとするそうだ。怪我を負ってどうしようもなくなった足は、ついているだけ邪魔になる。足がなければ不自由になることは分かっていても、そんなことより、生き延びることを本能が選択するのだろうか。
 そういう話を知り、かつてじいちゃんが生きていた頃、じいちゃんに、動物ってそうなんだって、すごいね、と話したことがあった。そしたらじいちゃんは、まだ尻にアオタンが残っているような子供のあたしにむかって、まっすぐにこう言った。
「動物だけじゃない。人間だってそうだ」
と。
 戦火の真っ只中、頭の上を砲弾が飛び交う。その砲弾を体の何処かに浴びれば肉は吹っ飛び血が噴出す。じいちゃんの戦友の何人もが体に弾を食らった。弾のおかげで片足が吹っ飛んだ奴もいれば、弾が肉の中に食い込んでそれが腐敗し始める奴もいた。吹っ飛ばずに肉の切れ端同士がくっ付いて、下手にくっ付いて残ってしまったが故に腐り始め、高熱に苦しむ奴もいた。そもそも、弾のおかげで木っ端微塵になる奴らがいた。戦場へ行った姿のままでいられる奴の方が少なかった。じいちゃんは淡々とそう言った。
 戦争を経ていないあたしには、到底考えられない光景だった。
「自分のナイフで足に食い込んだ弾を掻き出そうと足の肉を抉る奴もいた。まだ何とかくっ付いている弾を食らった足を、あまりの痛みで切ってくれとうめくように言う奴もいた。運良く掘建て小屋のような病院に辿り着いても、麻酔もなにもなく、命を守るために傷を負った手や足を切り落とさなければならなかった」
 それでも人間は生きるために必死だった。
 じいちゃんは、あたしに、そう言った。
「そんな必要のない世の中におまえは生きることができるかもしれない。そんなことをせずとも生きてゆける世の中になるかもしれない。でも、自分の手足をひきちぎってでも生きることを選ばなければならないときには、迷わず生きることを選べ」
 この世に産まれたからには生きろ。それが為すべき何よりも為すべきことだ。
 じいちゃんがあたしに、教えてくれたことのひとつだ。

 あたしのばあちゃんは、32の歳を数えると同時に癌にとっつかまった。最初は胃が冒され、冒された部分を切り取るために入院し手術した。きれいにとったはずだったが、何処かに残った癌細胞はばあちゃんの健康な細胞を食ってしぶとく生き延び、数年も経たないうちに再びばあちゃんを病院送りにした。今度は胃を半分切った。
 でも、癌は一度食いついた獲物は死んでも離すかといったふうに、ばあちゃんの胃を次々侵食していった。半分の次は残った半分をさらに半分にし、さらには胃を丸ごと奪っていった。
 まるで毎年の恒例行事かのように、ばあちゃんは入院し手術し、そして退院し、と、繰り返した。ばあちゃんの口癖はだから、「あたしは人生ヒトより短いんだから、やりたいことをやるのよ」だった。その口癖を完遂するかの如く、実際周囲が呆れるほどに、彼女は退院すると動き回った。踊りの師匠でもあったばあちゃんは、退院すればさっさと踊りに行き、舞台に立ち、かと思えば友達と旅行に駆け回り、とにもかくにも毎日毎日何処かに出かけた。人生短いんだ、やりたいことはその時にさっさとやらなきゃ。毎日毎日彼女は、死を意識し追い掛けて来る死を背中に感じながら、それに呑み込まれてたまるかと生を突っ走った。生き急ぐという姿があるなら、まさに彼女がそうだった。
 でも、そうやって走って走って走り続ける彼女を、癌はそれでも離さなかった。いくら手術を繰り返そうと一度巣食った癌細胞は、周囲の元気な細胞を次々食い物にし、最期、彼女の全身を見事に癌細胞にし尽くした。
 これが間違いなく最期の入院になる、今度の入院は死ぬことを意味する、どうしようもなくそのことを認識しなければならなくなったとき、周囲が何か言う前にばあちゃん自身がそのことを知っていた。まだ告知ということが今のように為されていなかったその時代、周囲はばあちゃんをなんとか騙そうと必死になった。大丈夫だよ、いつだって元気になって戻ってこれたじゃない、今度だってそうだよ、がんばろうよ、と。でもばあちゃんは知っていた。いや、今度はもうあたしは戻れない、絶対に戻れない、と。それを意識した日からばあちゃんはあたしに言うようになった。「ばあちゃんはもう死ぬからね。死ぬ前にこんなことがしたかった、こんなこともしたかった、でももうできない、いくら頑張ってももう時間がない。だからね、後悔なんてしないようにしなくちゃだめだよ、やれることはやっておくんだよ、生きているうちにやりたいことはやっておくんだよ」。
 そんな彼女が最期の入院の日までうちで過ごした数ヶ月の時間のうち、お風呂の中で泣いた日があった。もう体がぼろぼろになり、肛門の筋肉もすっかりゆるんで、お風呂に入れば汚物が自然と出てきてしまうような状態に陥ったとき、彼女は声を出して泣いた。こんなの見られたくないと言って泣いた。もういやだ、早く逝かせてくれ、と、声をあげておいおい泣いた。お風呂のドアのこっち側で、彼女がお風呂から上がってきたら体を支えるために待機していたあたしのことなど忘れたかのように声を上げて泣いた。あたしは、こうまでして生きなければならないばあちゃんの人生に、初めて涙が出た。悔しかった。悔しくて悔しくてたまらなかった。こんなに一生懸命に生きてるのにどうして、どうしてこんな。こんな思いするくらいなら、ばあちゃんをさっさとあの世に逝かせてやってくれ、と。そう思った。神様がいるなら、これを今見下ろしていながら何もしてくれない神様をあたしは呪った。
 32の歳からこれでもかというほど体を切り刻まれ、それでも生きてきたばあちゃんは、最期、骸骨のような枯木になって死んだ。
 あれはど生きることに一生懸命だった彼女の最期の願いは叶ったんだろうか。あたしには分からない。

 ばあちゃんもじいちゃんも全身癌に食われて死んだ。
 そのばあちゃんとじいちゃんが残してくれたものは、間違いなくあたしの中に在る。
  生きてるか。
  やってるか。
 どうしようもなくなったとき、思い出す。じいちゃんの声を。ばあちゃんの匂いを。
  生きてるか。
  やってるか。
 あたしはどんなふうに答えるんだろう。
  生きてるか。
  やってるか。
 答えはまだまだでない。まだまだ出ない。あたしが死ぬそのときに、あたしが見つける。だからその日まで答えなんか分からない。
 でもね。
 とりあえず今のところ、あたしはやってるよ、生きてるよ。
あの世でしっかり見ててよね、じいちゃん、ばあちゃん。あんたたちの孫は、これでもかってほどこの世にしがみついて生きているから。


2015年2月17日火曜日

口の中の鉄の味


 そこはまるで、映画の中でよく見る宇宙船の廊下のようなのだ。そんな廊下を私は歩いている。私の前にも私の後ろにも、何人かのヒトガタが在り、私と同じように前方の扉へ向かって動いている。そう、歩いている、のだと思う。歩いているのだとは思うが、それは、ぼわん、ぼわん、と、いつもの慣れ親しんだ規則正しい重力の方程式ではなく、云ってみれば投槍で中途半端なそれがかかっているかのようにぼわん、ぼわん、と、一足ごとに浮遊する。そうやって私たちは前方の扉へと進んでゆく。
 気がつけば開いているその扉を私たちはくぐる。と、そこには円形の部屋がひろがっており、スクリーンの代わりに分厚いガラスで作られた水槽が目の前にあった。円弧を描いて前方に横たわる水槽を正面にして広がる階段状の椅子にヒトガタたちはめいめい座ってゆく。私も左端の、前から三段目の場所に座る。
 なんとなしに振り向くと、二段後ろの斜め方向に、父がいた。そう、父だ。さっきまではいなかったはずなのに、そこには父がいた。私の父が。
 私が父だとそのヒトガタを認識したその瞬間、弟の声がした。「姉貴、逃げろ」。そしてその声とほぼ同時に、父であるヒトガタを下方から突きぬくかのように、深紅の水が噴き上がった。
 父が、父が死ぬ。死んでゆく。目の前で父のカラダが深紅の水で真っ二つになってゆく。だめだ、止めなくちゃだめだ、水を止めなくては、止めなければ父は死んでしまう。思うのに、そう思うのに、私の足は動かず、その様子を私はただ凝視するばかり。そう、指一本さえ動かせず呆然とただ凝視しているのだ、私は。
 そうしている間に父であるヒトガタの、今度は心臓部分から、同じく深紅の水が噴出し始める。すさまじい勢いで。部屋は見る間に水浸しになってゆく。あぁ、もうだめだ、父は、父は。その時、周囲で群れていたヒトガタたちがいっせいにざわめき始めている。
 「姉貴、逃げろ、逃げるんだ」再び弟の声がした。姿はない。声だけが私の耳にうゎんうわんと響く。「早く逃げるんだ」
 と、その時、弟の声の向こう側から、まるでずんずんと近寄ってくる軍隊の足音かのように束の声が響いてきた。
   「あいつが殺した」
    「あいつが殺した」
     「あいつが殺したんだ」
       「犯罪者を生かしてはおけない」
      「死ね」
     「死ね」
   「死ね」
 私は、逃げ出した。まるで吸盤のように地に吸い付いた足を千切れてもいいと無理矢理引っ張り上げ、そして走った。
 いや、走ろうとした。が、私はやはり、中途半端な重力のおかげで、まるで蚤のようにぴょーんぴょーんとはねているだけに過ぎず、それでも、私は必死になって逃げ出した。
   「殺してやる」
    「殺してやる」
     「罪人を生かしてはおけない」
      「殺してやる」
     「殺してやる」
    「おまえを殺す」
 ぴょーんぴょーんと私ははねて逃げる。声の群れが後方から押し寄せてくる。私は逃げる。声の群れも私と同じく蚤のようにぴょんぴょんはねる。追い掛けてくる。気付けば周囲の景色は山間から谷間へ、そして伸びる線路へと姿を変える。声の群れはそれでも木霊しながら私を追い掛けて来る。私は逃げる。声が追い掛けてくる。
 私は。
 私は殺してなどいなかった。父を殺してなんかいない。そんなこと一目瞭然だった。私は父を殺せる位置になどそのときいなかった。私じゃない。私じゃない誰か他の誰かが私の父を殺したんだ、私じゃない。
 私は何度も何度も、何度も何度も心の中でそう叫んだ。追い掛けてくる声に向かって叫んだ。だが、声はもはや私の叫びなど聞く余地など持たず、怒涛のように押し寄せてくるばかりだった。私は殺してない。殺してなんかない。でもそんなこと、もはやどうでもいいのだ、こいつらには。私がやったやらない、ではなく、この出来事を滞りなく片付けるためには事を起こした「犯人」が必要であり、その犯人として吊し上げる誰かが必要であり、誰かしら何かしらの対象を必要としていた彼らの目にたまたま、私が映ってしまったというだけで。それでもう充分なんだ、私を追い掛け、吊し上げ、抹殺する、それで全て丸く収まる。
 説明している余地などない、正論をいくらひけらかしてみせたって殺されたらそれで終わりになってしまう、いやだ、死にたくない、私はもう逃げるしかないのだ。逃げて逃げて逃げおおせるしか。私は逃げた。ひたすら逃げた。止まるわけにはいかなかった。止まったらそこで彼らに捕まる。捕まったが最後、私は殺されるだけだ。殺されたくなんかない、私は犯人なんかじゃない、やってもいない罪で裁かれるなんて真っ平ご免だ、逃げろ、逃げろ、逃げて逃げて逃げまくるんだ。
 ぴょーんぴょーんと私は蚤になって飛びはね逃げ続け、ぴょーんぴょぴょーんと、声の群れは何処までも私を追い掛け続け。ぴょーんぴょーん、ぴょーんぴょぴょーん…。
 そうして私は山を抜け谷を抜け線路沿いに逃げ続け、五つ目のトンネルを抜けるとそこにコンクリ打ちっぱなしのホームを見つけた。私はそこによじのぼる。そういう時に限って何故か跳ね上がることができない。必死に思いで自分の身長以上に高いホームによじのぼろうとする。
 と、誰かが私に手を差し伸べて来た。「ほら」と云う。あぁ、これで助かるんだ、と私は全身の緊張が落ちてゆくのを感じた。ありがたいと心の底から思いながらその声の主を見上げ、私の心臓は止まる。そこにあった顔は。その顔は。

 夢は必ずそこで終る。そこに在った顔は、その顔は、いくら頭をゆすっても思い出すことは叶わず、けれどそれが私の息の根を一瞬にして止めても不思議ではない顔であったことは確かであり。
 そして私はいつも口の中に溜まった鉄の味にそっくりな何かを重たい嘆息と共に呑み込む。私は殺してなんかいない、私は犯人なんかじゃない。
 そしてもうひとつ、重い重い鉛を呑み込む。

 あぁ今夜も、父が死んでゆくのをただ見ているしかできなかった、と。